後編
荘厳な気配がどんどん近づいてくる。アザミは胸を躍らし、レモングラスはきらきらと目を輝かせていた。
砂埃がどんどん大きくなってゆく。そして…気配の正体の姿があらわになる・・・
「紹介するわ…私の脚の"サザンカ"よ。」
ズンッと大気が震えるような音を立てて、巨大な『龍』が目の前にとどまる。アザミは初めて見る空想の動物に心を奪われた。レモングラスはというと、これをチャンスにとどこから取り出したのか『水中用カメラ』でバシバシ写真を撮っている。
「サクラ姉さんって、何気にこんなもの隠してたんだね!?」
「人聞き悪いわねぇ…レモンちゃんにはスグリがいるから言わなかっただけよ。それに、あなたは大人でしょ?こんな階段さっさと上れなきゃ恥じゃない。」
「サクラ姉さんだって大人じゃん!僕より年上のくせに!!」
「私は"かよわい女性"だからいいのです。」
激しい一人ブーイング(効果;薄)を送るレモングラスを無視して、サクラはアザミを優しく抱きかかえるとサザンカの上にゆっくりと乗せてあげた。洗礼された氷のように滑らかな肌、青白く輝く鱗、波に優雅に揺れる鬣、細く長い髭・・・想像していた龍とはあまりにもかけ離れすぎている。アザミが見入っている間に、サクラはサザンカに飛び乗ると、レモングラスを置いてさっさと浮上してしまった。
「あぁぁぁぁぁぁっ!置いてくなぁー!!」
レモングラスの叫びはサザンカの鼻息によってむなしくかき消されてしまう。アザミとサクラの二人は、屋敷までの静かなランデブーを楽しんだ。
「これはね、"リヴァイアサン"っていうのよ?」
考えていることをまた当てられて、アザミはサクラから身を引いた。サクラはアザミの目を見ながら、レモングラスのように笑みをたたえている。
「どうして、考えていることが分かるのか?って思っているでしょう。」
また当てられた。アザミは、心の内が覗かれているかもしれないと思い、今度は警戒の眼差しを送る。サクラは「そんな顔しないで。」と軽く受け流すと、おもむろに横を向いた。
「私ね、かなり長生きしているから、表情とか動作で人の考えていることはたいてい分かってしまうの。もともと人の思想とかよく判るほうだったから…余計にね。」
アザミは申し訳なさそうにうつむく。サクラは優しく微笑むと、アザミの額を指で突いた。
「そんな顔しないで。って言ったでしょう?」
サクラがしつこく額を突いてくるのでアザミは自然と笑顔になる。アザミとじゃれあいながら、サクラは時々こんな言葉をもらした。
「子供って・・・大好き。」
城の前についたとき、サザンカはゆっくりと息を吐きながら降下した。相変わらず着地する音と振動は激しい。周りの振動がまだやまないうちに、サクラはアザミの手を引いてゆっくりと飛び降りた。
「レモンちゃんは・・・まだ着いていないみたいね。」
「ここにおるわ。馬鹿たれが…!」
声のほうを向くと、そこには青筋を浮かべたレモングラスの姿が・・・アザミは「まさか!?」と思いながら目を輝かせた。
「御主のおかげで、使わんでもよい"無駄な"魔力を浪費してしまったのだぞ。」
(相変わらず態度のでかい)声の主"スグリ"は、『早く詫びをいれぬか』と言う顔つきでサクラを見る。サクラはそれを軽く無視すると、指笛で下女を呼び、アザミを館内へと案内するように言った。
「先に上がって待っていて頂戴。お菓子もたくさん用意してあるから。」
まだ何か言いたそうな目をするアザミを、サクラは「すぐに行くから。」と言って笑顔で見送った。そして、改めてスグリのほうへ向く。
「ここへ何しに来たのか…まだ聞いていなかったわね。貴方は正当な理由が無い限り、ここに立ち入られないことになっているわ。」
サクラは真剣な顔でスグリに尋ねた。スグリは嫌そうな表情をあらわにする。
「今日は『レモングラス』としてここに来たのだ。本来は我とてこんなところに出たくは無い。」
「どうだか…」
サクラは吐き捨てるように言うと、スグリを無視して御殿へと進んで行く。スグリはその場に突っ立ったまま動こうとしなかった。玄関に入ろうとしたとき、サクラは良心の痛みに耐え兼ねてか、顔を引きつらせながらヒステリックに叫んだ。もちろん、相手のほうを向かないで…
「わぁかったわよ!!いらっしゃいよ!入ってらっしゃいよ!!」
「…済まんな。」
「キーッ!!腹が立つ!!」
相手の策略に見事はまったサクラは、頭の中に勝手に浮かぶスグリの不適な笑みに悔しがりながらも、スグリと久しぶりに話せることにすこしの嬉しさを覚えていた。
「で、何のようなのかしら!?」
顔を引きつらせながら、サクラは紅茶を嗜んだ。ここはサクラの自室。いや、"オフィス"と言ったほうが正しいだろうか…最先端の情報関係の機器が所狭しと並んでいる。奥には大きなテレビがあり、世界地図と株の移り変わりを映していた。
「さすがだな。これがたかが紙切れにすべてを賭ける者の成長っぷりか・・・」
客人用にと、壁に垂直に並べられている見るからに高そうなソファーに堂々と腰を下ろすスグリも、紅茶を嗜みながら毒舌を披露する。
「貴方からの言いつけでしょう…?一度死んでボケてしまったのかしら?」
そう、彼女はこの世界の経済を司る経済王なのだ。なぜ彼女がこんなことをしているのかというと、それは彼女のお金に賭ける情熱と、スグリの判断でこうなってしまったということで勘弁して頂きたい。(訳わからん…)
「とにかく、何の用なのよ。」
サクラは気を取りなおして、体の二倍ほどありそうな椅子に深々と座りなおした。頭とは正反対に心臓が脈打つ。スグリはおもむろに立ちあがると、サクラの目を見つめながらゆっくりと歩み寄ってきた。
「な・・何よ・・・!?」
スグリ(レモングラス)の整った顔立ちが目の前にある。サクラは真っ赤になった頬を両手で隠しつつも、早鐘のように脈打つ鼓動の音を聞かれないように平生を装った。指の長い手がサクラの右手を覆う。サクラは瞬発的に目を瞑った。
「旅費をくれ。」
「・・・・・・・・・今、何て…??」
「耳が遠くなったのか?二度も同じことは言わんぞ。」
物を頼むときでも態度は大きい。スグリはフン、と鼻で面倒くささを表現すると、またソファーに戻ってどかっと座った。しばしの沈黙…スグリの紅茶をすする音だけが唯一二人の存在を明らかにしていた。
「どうして、貴方にお金をあげなきゃならないのよ。」
女は沈黙を至極嫌う生き物である。この場合はスグリの態度にも絶えられなかったのだろうが…
「決まっておろう?金が必要だからだ。」
「そうじゃなくて、どうして私なのよ!?」
「金の無い者から巻き上げるのは少々酷でな。そうこうしているうちに、御主に白羽の矢が刺さったという訳だ。」
淡々と、スグリはいきさつを話す。それに比例して、サクラの脳の血管はブチブチとキレまくっていった。そして、痛恨の一言…
『我に頼られてもらっておるのだ。有り難いと思え。』
・・・ブツッ…!!!!
スグリにまで聞こえそうな音を立てて、血管がぶちキレる。スグリは怪訝そうな顔をしてサクラの方を見た。彼女はというと、体を小刻みに震わせながら"おたく笑い"(顎を引いて肩を揺らしながら『クックック…』と笑う動作)を繰り広げている。
「あげればいいんでしょ…?あげればいいのね…?あげれば・・・」
今までのときめきは何処へやら…胸に刺さった金の矢はいつの間にかすたれてその辺に転がっている。スグリは気にした様子を微塵も見せずに紅茶をまだ啜っていた。(これで合計5,6杯目)最後の一口を一気飲みして『堪能した』といった表情を浮かべると、重い腰をあげて扉のほうへと進む。サクラがそれに気付いたときには、スグリはもう扉の向こう側に立っていた。ランプの逆光で顔が見えない。急に切なさを感じて、サクラは「待って!」と声を荒げた。
「・・・利子は…体払いだからね!一生こき使ってやるんだから!!」
「我が御主を小間使いに任命するの間違いだろう?」
二人の大人気無い毒舌大会は、スグリのニヒルな笑いで幕を閉じる。扉が完全に閉まるのを見届けると、サクラは大きな溜息をつきながら椅子に体を預けた。一体どれだけ彼といたのだろう。外はもう、太陽が昇ったせいで水が明るくなってきている。今までは、スグリといることが普通だった。ほとんどの世界を彼と同じ視線で、彼と一緒に見ていた。『あのこと』があるまでは・・・
「やーめた。」
サクラは頬を軽くたたくと、椅子に頬を摺り寄せた。表面の温度が冷たくて心地よい…今までの疲れがどっと出たのか、サクラはそのままゆっくりと瞼を閉じた。
「どうもぉ!お世話になりました!!」
地上では正午にさしかかろうとしているとき、御殿の門の前でレモングラスの馬鹿っぽい声が響いた。
「済まんな。獣王が来ていたというのに何の構いも出来なくて…」
細くて黒い髪を斬新に切り上げ、煌びやかな装束を適当に纏った男が二人に軽く頭を下げる。アザミは慌てふためいた。
「き、気にしないでください!海人王。」
「俺のことは"カエデ"と呼んで欲しいな。ここで王と呼ぶのは御法度なんだぜ?」
軽いノリの海人王"カエデ"は、アザミの頭を掻くように撫でると「サザンカ!」と明後日の方角に大きく一声を張り上げた。
「それにしても、サクラの奴何やってんだ!?大事な客なのに見送りも無しかよ。」
辺りをきょろきょろと見まわしてカエデはサクラの気配を探すが、レモングラスはそれを制した。
「夕方に突然訪れたんです、サクラ姉さんも疲れてるんでしょう。ゆっくりと寝かせてあげてください。」
「そ、そうか?じゃ…俺が代わりにお前達に餞別をやろう!」
そうこうしているうちにサザンカが二人の前に降りたつ。カエデは二人を上に乗せると、濃い藍色の玉をアザミに投げた。
「俺からお前達にこのサザンカをくれてやる!こいつは戦闘能力もあるし、空だって飛べるんだ!使わないときはその玉にいれればいい!俺とサクラが手塩にかけて育てた一級品だ!傷物にしたら容赦しないぞ!!」
カエデはサザンカの口に軽く唇を寄せると、「またな。」と囁いてサザンカから離れた。サザンカは主人を恋しがるように咆哮すると、ゆっくりと動き出す。
「待って!スグリ!!」
後方からサクラの声がして、その場にいた3人は一斉にそちらを向いた。見るとサクラは、今までのように走っているのではなく、イルカのように後ろ足をはためかせている。服からかすかに朱色の尾ひれが見え隠れしていた。
「サクラさんって、足が無かったの!?」
「言わなかったっけ?サクラ姉さんって人魚なんだよ。」
二人が取り留めのない会話をしているうちにも、サザンカは浮き上がり、サクラは二人の側に寄ろうと必死である。しかし、急に圧力が違うところへ行ったら身が持たない。サクラは軋む体に鞭打つと、レモングラスの顔めがけて何かを思いきり投げつけた。
「ぅいったぁぁっ!!」
見事レモングラスの頬にクリーンヒットをかましたそれは、勢い良く張りつくとレモングラスの手の中にあっけなく落ちた。アザミと二人で手の中を覗きこむ。それは、経済王ご用達のゴールドカードだった。
「あんまり無駄遣いしないでよね!?私をこんな風に使うあんたなんか大嫌いなんだから!!」
吐き捨てるように言ったサクラの台詞が辺りにこだまする。もう、レモングラス達を乗せたサザンカは大豆ほどの大きさになっていた。レモングラスはサクラに向かって、今までに出したことの無い大声を張り上げた。
「スグリンがねぇ!我は御主が好きだぞ!だって!!」
「えっ!?」
顔を赤らめ呆然とするサクラ。もうサザンカの姿は見えない・・・後ろで笑いを噛みしめるカエデが、サクラの側へとやってきた。
「サクラ。お前、スグリンとやらに一本取られたんじゃないか?」
その後、痛みと屈辱のサクラの叫びが海人界中に響き渡ったのは言うまでもない・・・
おわり
