異世界の一部である獣族のテリトリー、秘境とまで歌われた広大な草原が地平線いっぱいに広がっている。
小さな花たちが今を盛りと咲き誇り、所々にある大きな木々が太陽の光をあふれんばかりに浴びている。
動物達は、本能の赴くままに『弱肉強食』を繰り広げていた。小鳥が囀っている。
とても…平和である…しかし、このような自然はココにしかない。自分たちの住処拡大のために、他種族は木々を伐採してしまい、彼らにとって『住みやすい』土地を確立したのだ。
その結果、必然的に自然と共存して生活する獣族と、精霊達のテリトリーにしか残らなかったのである。
「だぁぁぁぁぁ…っと。」
草原“サバンナ”の一角。涼しい風が吹き抜ける草原の真中で、人間が…いや、よく見ると“獣人のような人間”が大の字になって寝転んでいた。
歳は9歳前後、金髪とも銀髪ともつかない癖毛風の長髪を方々にばら撒いて、太陽の光を体中で受け止めている。
小麦色の肌、ほっそりとした体つき。彼女…いや、この人こそが『獣王アザミ』(性別;男)なのである。
腕には王を証明する刺青が彫られており、額にはチャクラがつけられている。両手首、足首には…なぜか鉄球がつながれていた。
「アザミ!またこんなところにいたの!?」
頭の上から、人間の女の声がした。アザミは退屈そうに女の人に目を向ける。
「あ…母さん。」
本来なら、自分たちの種族のテリトリーに異種族は入れないのだが、(許可無く侵入したり、連れてきたら死刑となる。)アザミの母『タイム』は、前獣王『セリ』が身分を隠し、直々に国を巡って探し当てた“運命の人”なのである。(よくある花嫁探しだ。)
人間界で迫害を受けて絶滅したニールギリ族の最後の生き残りである彼女は、自分が自由で安全に住める土地を求めて、とにかく人間界から離れるために身分を隠し、素顔を隠して行き当たりばったりの旅をしていた。
偶々獣人界に足を踏み入れた時、道に迷っているところをセリに助けられたのだ。
セリが手配してくれた宿屋の一室で、これまでのいきさつを打ち明けたタイムは、うっすらと涙を浮かべて「勝手に獣人界入り込んで…申し訳ありませんでした…」と謝った。
まだ彼女に身分を打ち明けていなかったセリは、彼女の境遇に、また彼女の清楚さに心を打たれて
「俺がこれからあなたの面倒を見ます!」
と、いきなり告白したのだ。そんなすっちゃかめっちゃかなセリを見て少し笑顔を取り戻したタイムは、あなたが迷惑を被るから…と辞退していたのだが、セリの押しの強さにとうとう折れてしまい彼についていくことにした。
セリが獣王であることを知った時のタイムの顔ときたら、驚きと安堵と尊敬が入り混じった表情で開いた口がふさがらなかったらしい。
セリが側に来て優しく抱いてあげると、タイムは顔をくしゃくしゃにしてセリの胸の中で泣いた。泣きながら、『ありがとう…』と何度も言っていた。
その後、反対を恐れたセリが親にも語らずに間髪をいれず挙式をあげ、落ち着いてから隠居した両親に二人で報告をしに訪れた。
二人は猛反発を受けると思っていたのだが、父親がアンドロイドだったことが幸いし、(母親が獣王だったのだ。)反対もされずむしろ、思っていたよりも多大な祝福を受けたのだ。
そして…甘く、幸せな時を過ごしていた二人だったが、タイムがアザミを身ごもったと同時にセリが魔族に暗殺され、神隠しのように消えてしまったのである。
彼が生前一人でこもっていた書斎の壁には、朱色の鮮血がいたるところに飛び回っていた。
アザミもこうなってしまうのではないかと思ったタイムは、アザミが生まれた時に一人でどこかに行かないように鉄球付きの枷を両手足につけ、ずっと目の届く範囲においていた。
しかし、たとえハーフとはいえ獣族である。
アザミはある程度大きくなると、鉄球を引きずりながら歩き、挙句の果てには腕につけていた鉄球を叩き割ってしまったのだ。
窓からしか見られなかった外の世界に一人で遊びに行きたかったアザミは、これをチャンスに大草原に飛び出していった。
しかし、やたらと広くて入り組んだお約束の屋敷である。
迷っているところを下女に見つかってしまい、すぐタイムのところに連れ戻されてしまった。
タイムはアザミをこっぴどく注意した後、「次の誕生日にサバンナに連れてってあげるから。」と優しく抱いてくれた。
そして、つい先日9歳の誕生日を迎えたアザミはタイムや血族から厚い洗礼を受け、偉大なる大地への第一歩を踏み出したのである。
それからは、太陽が照りつける間中ずっとサバンナの『自称:特等席』であるこの場所に、タイムの心配をよそに入り浸っている。
「出入りを許したといっても、危ないからあんまり出歩かないって約束したでしょ?」
金髪の長髪を風に預け、タイムはアザミの隣に座った。白い肌に太陽の光が反射して、より白く、輝いて見える
「だって…部屋にいるよりもこっちにいたほうがいい。」
アザミはふてくされた顔をする。タイムは少し含み笑いをした。
「・・・お父さんのようになっちゃうかもしれないのよ?」
急に真剣な面持ちになったタイムを見て、アザミは少し体を震わせたが、むきになって答えた。
「まだ死にたくないけど…だけど、僕はここが好きだからここに来たい。」
アザミの真剣な眼差しを見て、タイムは「そう…」と力なく答えた。そして、心中を悟られないようにすぐ笑顔で頭をなでてあげた。
「そうよね、好きなことしたいわよね。でも、あんまりここにこないでね?お母さん、心配しちゃうから。」
「ウン!!」
アザミの満面な笑みを見て、タイムは複雑な笑みを浮かべると、心中でアザミの無事を祈りながら屋敷へ戻っていった。
その後姿を見送り、もう一眠りしようと思ってふっと前を見ると、この暑い中何枚も服を着こんだ人間が、自分の体くらいの大きさのハープを片手に日陰のないサバンナを悠々と歩いていた。
アザミは好奇心からか、無意識にその人のところまで走っていった。男はその気配に気づいたようだ。
「こんなところで何やってるの?ここは獣族のテリトリーだからよそ者は入れないはずだよ?」
アザミは男の側までやってくると、息も切らさずに尋ねた。男は少々驚いたが、アザミの背丈に合わせてしゃがむとにこやかに話し出した。
「僕の名前はレモングラスって言うんだ。」
二人の間に、たとえようのない沈黙が訪れた。
「ふーん…って、そんなこと聞いてないよ!ここに何しにきたの!?おじサン!!」
「僕はおじさんじゃないよ?でも、もう25歳だけどね。」
「だから何しに来たのってばー!!・・・って、えっ?」
かなりベタな漫才をよそに、アザミは男に不可解な違和感を感じ、相変わらず笑顔の耐えないレモングラスと自分を見比べた。
外見には、変なところは見当たらない。アザミは神経を集中させて、レモングラスをまじまじと見つめた。
その気迫に押されてたじろいだ彼は、苦笑しながら口を開いた。
「ごめんね。僕ってそんなに汗臭いかなぁ…」
アザミははっとした。そして、違和感を感じた理由をやっと理解できた。『言葉だ…』アザミは心の中でつぶやいた。
そう、レモングラスは今までアザミ相手に獣族独自の言葉で話していたのだ。(仮に、これを獣語と定める。)
「どうして・・・」
アザミは言葉が出なかった。
なぜなら、獣語を喋れるのは獣族と各世界の王のみだからだ。
まして、王族制度のない人間界にはこのような他種族の言語を教える機関など存在しない。
それどころか、人語を共通語とすべく魔族と結託して、魔王スグリが滅びた二十数年前から植民地開拓に乗り出している。
「人間界には王なんて存在しないのに、どうして、どうして…」
「それは、私がこいつを支配しているからだ。」
今までとは違う声色に、アザミは改めてレモングラスを見た。
そこには今までの満面な笑みはなく、代わりに眉間にしわの寄った威厳のある顔立ちがあった。
「年端もゆかぬ餓鬼にもかかわらず、なかなかの知識を得ているな。アザミよ。」
低く威厳に満ちた口調に、アザミは言葉が出ない。外見はまったく変わらないのに、今までとは違う混沌の闇のようなオーラにアザミは魅了され、ひきつけられていた。
自分の名前をなぜ知っていたのかということを、忘れさせるほどに…
「私の名はスグリ。かつて、何もなかったこの世界に調和をもたらした魔王。妻サルビナの計画を止めるべくこいつの体を支配し、やつを殺すためにかつての戦友を探す旅をしているのだ。」
「スグリ…おじさま…」
アザミは側によって、匂いを嗅いでみた。人間独特の甘い匂い…タイムのそれと、とてもよく似ている。
スグリといえば、アザミの曽祖父が戦って唯一負かされたのだそうだ。
地球に似たこの土地をこぞって奪いあっていた時代、戦いだけが神聖なものであると認められていた時代の勝利者である彼は、こんな経歴にもかかわらず戦いを好まない男らしかった。その理由は教えてくれなかったけれども、こんな彼に惹かれたのだと、彼は私を…そして獣族の未来を変えてくれた男だと常々漏らしていたらしい。
こんな武勇伝を毎日聞かされていたアザミは、“スグリ”という男に憧れを抱いていた。
「自分もこのようになる!」と意気込めるほどに。
そして、今本物がここにいる。アザミは無礼を承知でスグリを抱きしめると、恭しく顔を上げた。
そこには・・・気の抜けるような、太陽のような笑顔があった。
「うわぁぁぁっっ!!!」
あまりの豹変っぷりに、アザミは腰を抜かした。
「ひどいなぁ。僕を勝手に抱きしめといて、そのリアクションは無いよね?」
顔は相変わらず笑っていたが、額には青筋がかすかに浮き出ていた。
「違うよ!!僕はスグリおじさまを抱きしめたの。別にお前を抱いた覚えは無い!」
顔を赤く染めながら必死に弁解をするアザミをよそに、レモングラスは鼻をくんくんと言わせながらあたりを見回した。
「だから、その…って、聞いてるの!?」
「ねえ、君の家からだよね?このおいしいご飯の匂いは。」
アザミも気づいて、鼻を鳴らす。
「うん、そうだよ。」
「じゃあ、行こう!!案内して?」
レモングラスはそう言うと、すたすたと歩いていく。アザミは頭に?を浮かべながら後に続いた。
「スグリおじさまとは、どう言う関係なの!?」
岐路の途中、アザミは怒気を含みながら尋ねた。レモングラスは鼻歌を歌いながら答える。
「君の家に着いてからね。」
アザミは青筋を2・3本立てながら、怒りのオーラをあらわにしながらレモングラスの横に立っていた。 つづく。
