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ランタンリンク本峰7225m(左側)、4700mベースキャンプより

「 兵 て 」    平成 20 年(2008 年)1 月吉日

1.会設立の経緯

「兵工山の会」は明治 35 年(1902 年)11 月設立、(第1回卒業生は明治40 年に卒業)の兵庫県立工業学校( 県工) 登山部ならびに昭和23 年学制改革に伴い校名を改称した兵庫県立兵庫工業高等学校山岳部の OB会です。

 県工登山部の設立は文献等が残っていないために推測ですが、登山部の大先輩である*(故)遠山豊三郎氏(機械科)が大正 7 年に卒業されていますので、それ以前に登山部はなく、登山同好会が存在していたものと思われます。

このようなことから兵工高山岳部は、現存の全国の高等学校登山部・山岳部の中でも、もっとも早くから登山に係る諸活動をはかってきたという伝統があります。

 「兵工山の会」は、昭和14 年(1939年) 113 日に(故)荒木猪太郎氏(工業化学科)が中心となって、県工登山部の卒業生に呼びかけ、山岳活動を通じて会員相互の親睦を図ることを目的として 設立されたものです。

 *(ご参考)

(故)遠山豊三郎氏(当時の三菱内燃機製作所勤務)は、新田次郎著の山岳小説「孤高の人」に出てくる外山技師のモデルとなった方です。

また、同氏は大正から昭和にかけて単独行で有名な(故)加藤文太郎氏(三菱内燃機製作所勤務)の登山活動に大きな影響を与えた方といわれています。

なお、加藤文太郎氏は勤務しながら兵庫県立工業学校(県工)別科機械科を卒業されています。

2.当会の特徴

 メデイアの話題となるような国内登山や海外遠征等の華々しい活動は行っていませんが、冬季合宿はもちろん、会を挙げての北ア錫丈岳の岩登り合宿、昭和 30年初頭の岐阜県石徹白でのスキ−合宿、 大峰・大台山域の登山、等々広く、多様な活動を実に長く続けていることは、他の会では見られない 特徴の一つかも知れません。

 大正7 年から現在まで、山を愛し、寝食を共にした同窓、同門(登山部、山岳部卒業生)の絆は強く、先輩は後輩の面倒をよくみる、後輩は先輩を慕い、お世話になった 歴代の顧問先生とも交流を深めるなど、人間形成をはかりながら、山登りやスキ―技術の向上を期す。という、良き伝統を受け継いできていることは会が誇るべき特徴であります。

更に特徴的なこととしまして、次のようなこともあります。

1)     会員が資金を出し合い、自らの手で山小屋の建設に情熱を傾けたこと。

・戦前―(六甲山系・帝釈山系)

       昭和7年以前に烏原水源地上流の山小屋及び昭和18年の柏尾谷池湖畔西南の山小屋

・戦後―(六甲山系・帝釈山系)

昭和23年に柏尾谷池湖畔西南の再建及び昭和28年の菊水山北部の城ヶ越山小屋

(現在は地主との契約解除や倒壊等で維持できず、山小屋は全て残存していない)

2)昭和 14年初発行以来の年報、会報「石楠花」(全 26巻、871 ぺ−ジ)及び月報「蝸牛」157号が 現存していること。

 3)母校山岳部への支援を心がけていること。

 4)兵庫県山岳連盟には、連盟創立時に加盟し、連盟の運営や諸活動を通じて地域社会の登山諸活動に貢献していること。

3.兵工山の会(県工登山部・兵工高山岳部OB 会)の概要










 
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