おわりに  
北但大震災は、割合的に捉えると阪神淡路大震災を上回る大災害であった。特に城崎町の死亡者数は全町民の8%で、阪神淡路大震災時の東灘区の10倍にも及んでいる。
また、児童生徒が在校中であり、港西小学校の6名もの犠姓者を出した。他にも下校中に被災し、死亡した児童があるなど、学校防災の在り方も考えさせる災害であった。
本震災を通して、身体の安全と心の安心の確保の重要性を感じる。身体的及び物的な被害の中で、人々の心は極限の不安に陥り、更に「地震再来」の噂が追い打ちをかけていたようである。また、関東大震災の揺れと比較し、「あの揺れ(関東大震災時の揺れ)で東京が壊滅状態になったのたら、この揺れ(北但大震災の揺れ)だと日本中が壊滅したのではなかろうか。また、そうだとすれば救助隊は来ないのでは…」と不安がつのるばかりであったと語れている。正確な情報が得られない状況の中で、この不安を払拭し、勇気づけられたのが飛行機からのビラであったらしい阪神地区は無事で、助けが来る。」という大きな安心感を得たという記録がある。学校は常に安全で安心な所でなければならない。
6名の犠牲者を出した港西小学校を教訓とし、ハード面、ソフト面の両方から安全・安心対策を考えていく必要があろう休憩時間で運動場に出るために靴を履き替える時の被災であり、職員は何もできなかったであろうと思われる。であるとすると、ハード面において、災害に強い壊れにくい校舎建築が必要となり、行政の管轄となろうが、学校現場は安全点検を実施し、転倒物や避難時の障害物等のチェックを常に行っておく必要を感じる。学校の役割は大きい。多くの子どもをあずかる所としても、地域コミュニティーの中心としても、それぞれの役割を自覚し、準備しておかなければならない。
しかし、これらの事を蔑ろにさせているのは、「地震なんか来ない。」という何の根拠もない安心感ではなかろうか。北但大震災の前もr但馬は地震のない安全な地域」と言われていたようである。少なくとも「あるかもしれない。」という危機意識を少しは持ち続けていなければならない。人間としての在り方・生き方関する教訓では、ボランティア活動、救援物資・義捐金あるいは命の尊厳等々に関して、阪神淡路大震災でのそれと全く同じである。
子ども達は、災害弱者として保護の対象だけでなく、復1日作業の従事者として何ができるかも考えていくことが必要ではなかろうか。本震災の教訓を生かし、今後の災害において、1人でも犠牲者が減ればと願ってやまない。

復旧作業に従事する学費