学校の様子(豊岡小学校)
豊岡尋常高等小学校(豊岡小学校八十八年史・豊岡小学校百年史より)
時恰かも第3校時を了へ、児童の多くは舎外に遊歩し、移動教室に至る者は尚少数校舎内にありし折り、突如として一大音響と共に襲来したる一大激震は到底地震とは思われず、只此の世の破滅んありと直感せられるのみなりき。
【5月23日】当日
・激震と共に職員児童全部校庭に出ず、全部顔色蒼白、恐怖心にかられて恟々たる裡に異常の緊張を示し、朝礼の如く整列、中に泣き叫ぶものあり。
・所々に倒壊家屋あり、火災各所に起こる。
 児竜は帰宅を許さず父兄又は責任ある者に手渡しす。
・高等科生徒は実習部生徒及び准教員講習生と共に、学校附近の倒壊家屋に人命救助の手助けに行く。
・学校内火気を全部消滅す
・校庭は臨時救護所兼避難所に充てられ、罹災者の搬入、係員の出頭等にて大混雑を極む。
・午後3時、火災の漸次近寄るを見て御真影奉遷の要ありとし、校長奉持して中学校に奉遷す。
・此の頃に至りて、児童全部を父兄に托し終わる。
・重要書類は、全部コンクリート校舎内に搬入う。
【5月24日】
・校庭は救援隊にあてられ、兵庫県救援本部を始め、軍隊等が位置する。
・本校職員は全部出勤し、学校監視及び救援事務の助力をなす。
避難所となった運動場
避難所となった運動場の写真
【5月26日】4日目
・午前9時より寿公園に児竜を招集し、校長より訓話をなす
・徒らに過去にみを顧みることなく新しき生気を以て復興へと進むべし。
・配給品と奉仕の労力に対して衷心感謝すべし。
・焼け跡を彷掴し作業の彷徊となるな。
・上水道破損の折柄飲用水に十分注意せよ。
・総て飲食物の量及質に細心の注意をなせ。
・バラック生活の夜は殊に衛住上の注意を怠るな。
・当分休校す。各児は此の際家事の手助けを専らとなせ。
【6月1日】
・本日より神武山において開校す。その行事次の如し。
遙拝、君が代、合同体操、校長訓話、各受持訓話、今回の震源地及一般地震についての講話
・11時解散。午後1時より職員会議を開き、授業開始に関する諸般協議をなす。
【6月15日】
・本日より校舎内にて授業を行ふ。但し、校庭の救援本部尚撤退せず。環境未だ復帰せざるを以て幼学年は3乃至4時間、高学年は4乃至5時間を以て終了することとす。
【6月22日】
・本日より授業其の他万般平常に復旧す。
【6月23日】
・震災1ヶ月記念日なるを以て、横死者尋ー5名、工業部1名、幼稚園児5名、及其の影響により震災後2日にして病死したる尋五1名、計12精霊の追弔会を講堂において午前10時より神武山にて行い児童参拝す。
【7月3日】
・校庭に於いて、震火災横死者の町葬執行、児童参列す。
この学校に於いても児童の引き渡しがなされ、3時くらいには保護者への児童を引き渡しが終了している。しかし、現代に於いては、保護者の勤務地が遠く、又、交通事情等から考えると引き渡しの時聞幅がかなり広がるのではないかと考えられる。したがって、引き渡しまでの間の児童管理(保護〕の担当者を決めておく必要があろう。
本校を含め、前記の各学校全てに「地震に際し、机の下に潜って身(頭)を守る」という行動についての記述がない。「激震と共に校庭に出ず。」の記載通り、地震と同時に屋外へ飛び出したと考えられる。安全とは言えない校舎において、机に潜るのが良いのか、外へ飛び出すのが良いのか疑問の生じるところである。
校舎が倒壊・焼失・其の他の理由により使用困難にも関わらず、非常に早い時期に授業が再開されている。このことは、子ども達の心の安定においても、また、組織として動き出したことにより、地域全体の茫然自失から立ち直り、復興への意欲にもっながっていったものと考えられる。