学校の様子(港西小学校)
港西尋常高等小学校(学校沿革誌・北但震災誌より)
 

一般児童は、第3校時後の休憩中にて運動場に出で居たる際にて大多数は無事なるを得たるも、数名は屋内にありて倒壊校舎の下敷きとなりて6名の圧死者及ぴ3名の負傷者を出せり。(北但震災誌)

 
【大正14年5月23日】
午前11時10分俄然大音響と共に上下動大震災起こり、職員一同之を意識するまもなく、校舎2階中間破壊、僅かに両端を残して倒る。控所又同時に倒る。児童の泣き叫ぶ声凄まじ。急を見て、職員・父兄の応援を求め、一方必死となりて児童の救助をなす。児童4名控所に於いて圧死の悲惨を遂げ、校庭大亀裂生じ、所々に噴水。井戸近くには音を発して洪水のごとく流る。午後3時頃、瀬戸、津居口、気比、城崎より出火。思う間に津居山全焼。城崎全焼一町全く火の海と化す。
中央部分が倒壊した校舎

中央部分が倒壊した校舎の写真

【5月24日】
咋日の行方不明の2氏又も控所より出た。
圧死者計6名
6名の児童が死亡した控所
6名の児童が死亡した控所の写真
【7月4日】
チブス予防として全校生ワクチン注射
大阪市より寄贈古机を受取。60人分
【7月6日】
児童保護者書中を以て、子ども死の印と貯金十円寄付せらる。
京都市有志よりなる子供連合会の主催、慰安伽話会あり。
【7月7日】
第2回ワクチン注射施行。
【7月15日】
本校控所に於いて、恩賜救恤金伝達式あり。
各宮家下賜金をも添う。式壮厳の中に終わる。
【7月21日】
海水浴廃止,回復の際、短縮なり精励す。
【7月28日】
新郡長神戸元三郎氏来校、視察
【7月31日】
第1時、校舎内外の整理整頓
第2時、終業式を行う。
慰間品、手帖2冊宛全児童に与う。
焼失者に被服を与う。
被災地の学校に於いて、校内で死亡児童生徒があったのは当校だけである。
不運にも3校時終了後の休憩時間であったための被災であったように思われる。死亡した6名全員が控所(現体育館〕に設置された下駄箱付近で発見されている。つまり、休憩時問に運動場に遊びに出るために下履きに履き替える時の被災であろう。
この6名の子ども達を死なさずに済む方法はなかったのだろうか?
まずは、体育館の構造上の問題である。
次に、児童自身が防災リテラシーを身に付けることが重要であろう。
常に、職員の災害時の行動内容である。2人の児童が翌日に発見されていることから考えると、更に子ども達の動きを充分に把握しておく必要を感じる。しかし、休憩時間の発災であったことがこのことを困難にしていたであろう。
この震災から2年前に起こった関東大震災が、第2学期の始業式当口の昼前であったことも併せて考えると、避難訓練や防災マニュアルの在り方(時問・場所〕を考えなければならない。

時間 授業時間・休憩時間(掃除時間等も同様)・登下校時・校外学習時・在宅時・他
  夜在宅時・也
場所 在校 普通教室・理科室・家庭科室・廊下階段・体育館・運動場・便所・昇降口・その他
  道路 建物の近く・交通量の多い道路・歩道橋・電線の下・その他
  在宅 各家の各部屋・その他

学校職員が子ども達の命を守ることには限度があり、基本的には児童自身が自らの命を守ることが基本となろう。そのためには、日頃の防災教育の充実が不可欠であると考える。