学校の様子(城崎小学校)  〜その1〜
「5月日誌」 城崎尋常高等小学校(学校日誌より)
【5月23日(月)】(震災当日)
前古末曽有宇の大震災、校舎半壊後消失。
御影、諸詔書、重要書類の大部、無事に取り出すことを得ず。
授業中の児童生徒無事。今津山を越えて今津方面に避難す。
幼稚園児は、薬師公園にて無事なり。
帰宅後にて不幸にも横死せる者6人(幼稚園児等含む)、その他重軽傷数名あり。
職員家族中死亡せる者1名あり、職員家屋の全焼せる者、家財全部を消失せり。
初震は、午前11時11分、震源地は津居山円山川河口付近と聞く。
当初、職員一同の一致協力、私を顧みず学校中心に然も統一したる臨機の処置にいでたる。推奨するに余りある。
<社会>
城崎町は今津無事、他は全滅なり。湯島は全部消失と見て可なり。死者211名他。外に浴客の死者7,80名ありと聞く。豊岡、津居山、瀬戸、内川村、飯谷、久美浜損害多し。
   
【5月24日(日)】2日目
職員は、状況視察、児童調査に活動せり。
午後、校庭東南隅肋木の南に仮小屋を設け、小学校本部として職員これにおる。
校旗を樹上に揚げ、学校の表象とす。
<社会>
救援事業に混雑をきわむ。
【5月25日(月〕】3日目
貸与されたテントを廻旋塔前に張り、事務所本部をこれに移す。
学校の秩序漸く整い、職員の活動益々目覚まし。
夜、男職員を2班に分かち、各避難場所につき、児童調査をなさしむ。在住せる者261名なり。児童救護の方法につき、郡と協議し、県教育委員会に申し出ず。
【5月26日(火)】4日目
職員全部、物資に供給、宿舎の整理、児童調査に忙殺さる。
校庭に張りたる鉄道省の天幕(500坪)を一時校舎に代用。なるべく早く授業開始の方針を定む。
【5月27日(水)】5日目
町役場より校長・職員に対し、当町衛生事務、救護事務にっき委嘱あり。
明28日より授業開始に定め、出席簿の作成及び児童の伝達方につき各方面多忙を極めむ。午後5時頃、文部省書記官視察のため来校。文書及び口頭にて概要報告す。 職員被害状況の報告を郡になす。全焼6名、全壊2名、半壊又は損害3名、その他は先ず無事なり。
【5月28日(木〕】6日目(時々小雨)
震災後初めて授業開始.天幕を使用す。
午前9時開始。集まる者全部267名なり。
本日より、男職員交代で午前7時より午後5時まで救護本部に出張助手をなす。
<社会>
町民のいまだ立たず。自失せるか或いは自暴自棄に陥れるにはあらざるか。町長の講話は児童を通して父兄に覚醒せしむにありたり。
【5月29日(金)】7目目(強雨)
強雨あり。出席少なし13名なり各地より集まれる慰問品を児竜に配布す。
津倉本県視学来校。本校の被害調査をなし。校長と将来の学校経営救済方法につき種々の談合をなす。(天幕、林間学校、バラック校舎、本建築)バラック校舎建築を県に上申し、なるべく早く竣工を期することとする。震源地は津居山港付近地下2里くらいの所。余震は引き続きあるも、ここ1〜2週間くらいにて平静に復すらん。
【5月30日(土〕】8日目
本日出席259名。9時始め11時解散す。
10時より極楽寺において死亡追弔会あり。職員数名参拝する。
<社会>
10時より、極楽寺において死亡者追弔会あり。職員数名参拝す。
【5月31日(日)】9日目
山積する慰問吊の整理、郡役所本部に職員は大車輪なり。
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