私の歩む道

k・a

私は三年前、普通の小学生から普通の中学生になりました。

私は三人兄弟の末っ子で、親にも一番甘えていました。それは中学になっても変わりませんでした。何でも母に頼んだり、思い通りにいかないとわがままを言ったりしていました。でもそんな時、大好きな母が突然倒れたのです。母はすぐに入院しました。父に病名を聞くと「わからへんねん。でもきっと治るから。」と言ってました。よかった、と思いました。また家に帰ってくるんだ。私も兄もそう信じていました。ところが入院して2週間後、八月の一番最後。母は私たちを残して天国に行ってしまいました。まさかと思いました。なんで?治るって言ってたのに…。

母が亡くなったその夜、父は私たちに本当のことを喋ってくれました。「本当はもう助からない病気やってん。生きられて5年しかなかったんや。」

−それを聞いたときは涙が止まりませんでした。母は毎日七時間近くもパートに出ていて、帰ってきたら家事と大忙しでした。後悔ばかりがあふれてきました。そして今まで自分がやってきた行いにも腹が立って仕方ありませんでした。…なんでもっと手伝ってあげなかったんだろ。…お米とぎや洗濯ぐらいできたでしょ?…何わがままばかり言ってたの?…私、いったい何してきたのさ。

大切なものを失って初めて気づいた事。それは“親のありがたみ”でした。

私は母を失くしてから、学校も休みがちになっていました。「こんなんじゃお母さん悲しむのにな…」そう思いました。思いながらもどうしようか悩んでいた、どうしていいのかわからなかった。でもそんな私を支えてくれた人がいました。それは家族です。

「学校がすべてじゃない」これは兄が言ってくれました。私は前向きにやっていくことができました。この時、私の中には今まで経験した事がないほどの“感謝の気持ち”がいっぱい芽生えてきました。こんなに周りの人に感謝したのは初めてでした。

「私、大人になろう。」そう強く思いました。

それからの私は、常に家族を思いやる気持ちを持つ事ができました。やっぱり家族ってイイな。最近よくそんなことを思います。

そして家族だけではなく、気がつくと私の傍にはさみしい時や辛い時、いつでも話を聞いてくれた叔母や、常に私のことを理解してくれていた学校の先生方がいることにも気づかされました。

人は誰かとつながっているから頑張れる。誰かがきっと見てくれていると思えるからこそ頑張れるんだと思います。今の私があるのも支えてくれているたくさんの人のおかげです。…「ありがとう」、こんな花の種があったらきっと今の私、その花を満開にして見せられる、今ではそんな気持ちでいっぱいです。

最近、よく心の中で天国の母にこんなことを語りかけます。

「こんなふうに、いっぱい感謝できる気持ちになれたのも、きっとお母さんがくれた宝物なんだね。人を思いやる気持ち、私ずっと忘れてたよ。…今いる場所は違っても家族は見えない強い絆で結ばれているんだね」

そして父にも。普段はなかなか口に出して言えませんが、本当はいつも心の中で思っています。

「お父さん。いつもいつも相談にのってくれてありがとう。私、お父さんが家族のために頑張っている姿いつも見てるからね。大好きだよ。」

最後に、今、日々私が思うことを詩にしてみました。聞いてください。

前に進むのが怖くって閉じこもっていた。
けど誰かが私の背中を押してくれて前に少し進んだ。
先にあった物は私の思っていた事とずいぶん違った。
成功する気がした。もっと前を歩いてみた。楽しかった。
途中急な山を登った。でも応援してくれる人がいたから越える事ができた。
楽しくって走ってしまった。つかれて辛くなった。
今度はゆっくり歩いてみた。周りに見える美しい景色も楽しみながら。
ゆっくりゆっくり。焦っちゃダメだね。
私は歩み続ける。
どんな辛い事があっても、その時は少し立って休めばイイじゃないか。
頑張りすぎず自分のペースで。この道をきっと最後まで歩いてしまいたい。
楽しみながら。
人生一度きりだから。
十五歳の私、歩み続ける。

−ご静聴ありがとうございました。