退職を迎えて〜後期終業式〜

兵庫県立青雲高等学校校長 高橋 一男

「K君から教えられたこと」

 今から35年前のことである。
当時私の年齢は25歳で教師になって4年目のことである。

 話は宝塚高校へ転勤し、第1学年の担任をしていたときのことである。
 hrの時間、クラスの生徒から「2年生になって」とか「将来の夢」について等の話を聞いていた。
 何人かと話をした後、k君という生徒と面談することになった。
 k君は途中急に泣き出した。 びっくりし「何かあったんか」「どうした」と聞くと次のような言葉が発せられた。
 『先生はクラスのみんなと弁当を食べていたが、僕とは一度もありません』
 「ええ、何故や」「みんなと食べたで」と私は答えた。
 k君曰く『先生と一度あるのは、校内球技大会で優勝した時に、先生とは食堂のうどんをクラスの皆と食べたことがあるだけです。
 そして、何故なら僕は一度も弁当を持って登校していません。』
 『先生は、自分で食べる弁当ぐらい自分で入れて来いと言われるでしょうが、入れるものがありません。』
 『母親は朝早く仕事へ出ますから。だから僕は食堂で昼食を食べるのです。』
 私は彼と面談する中で、泣かされてしまった。

 私はクラスの生徒と食事をしながら、生徒を知る努力をしてきたと自負があった。
 k君とのやり取りがそれ以後の教師生活で充実した生徒指導を行うには「一人一人の生徒を知ること」であるということを学んだ。
 未熟な私との面談のなかで「教師に求められているものは何か」を考えさせてくれた。
 口では生徒を知ると簡単に言うけれど、教師の見落としが多いことをこのk君から教えてもらった。
 そして彼とのやり取りの言葉が今も教師を続ける原動力になっている。
 担任や学年主任をしている時、「思い込みで生徒を知る」ということにならないように気を付けた。
 k君が教えたかったのは、教師として『一人一人の生徒を十分理解することであり、誠実な教師』であってほしいとのメッセージと受け止めている。

 後年新聞記事を読んでいると、焼死体で20歳の男性を発見と載っていた。この記事からk君の死亡を知るのである。
 偶然拾った記事かも知れないが、虫の報せではなかったかと思っている。
 今年も卒業証書授与式で生徒の顔を見ながら思うことの一つに、この中にk君と同じ経験をした生徒はいなかっただろうなと願いながら、269名の卒業生を見送った。