青雲高校の沿革

昭和50年代から60年代(昭和末)までの沿革です。
沿革3(〜昭和60年代)
     日付      内容
昭和50年 4月 1日 兵庫県立姫路東高等学校協力校を廃止し、姫路分校が設置される。
社、山崎、八鹿の協力校は分校所属となる。
専用校舎新築完成。6月9日より使用開始。
昭和50年10月 1日 エレベーター設置工事完成。
昭和50年10月 11日 姫路分校仮校舎完成。
昭和51年 3月31日 兵庫県立香住高等学校協力校廃止。
昭和51年10月 1日 姫路分校専用校舎完成。
昭和51年11月 1日 西田喬校長 兵庫県立社高等学校へ転出。
兵庫県立氷上農業高等学校より 神沢亀貴校長着任。
昭和52年 3月31日 併修生を廃止。
昭和52年 4月 1日 定員:本校2,400名 分校800名 計3,200名
昭和54年 2月17日 教育長通知により姫路分校、社、山崎、八鹿の協力校は昭和54年以後、生徒募集を停止し、昭和55年度末をもち廃校と決定する。
昭和54年 4月 1日 神沢亀貴校長 兵庫県立神戸北高等学校へ転出。
兵庫県立神戸甲北高等学校より 田中義昭校長着任。
定員:本校2,400名 分校600名 計3,000名
昭和54年 4月22日 校友会が同窓会(立雲会)と名称を改正。
昭和54年10月 1日 校門から校舎までの直線通路新設工事完成。
昭和54年12月 1日 教育長通知により姫路分校とその協力校の廃止を一年間延期し昭和56年度末と決定される。
昭和55年 4月 1日 定員:本校2,400名 分校400名 計2,800名
昭和56年 4月 1日 定員:本校2,400名 分校200名 計2,600名
昭和56年10月19日 6月9日を創立記念日と制定。
昭和57年 3月14日 姫路分校閉校式を挙行。閉校記念碑を兵庫県立姫路東高等学校校地に建立。
昭和57年 3月31日 姫路分校廃止
昭和57年 4月 1日 田中義昭校長 兵庫県立社高等学校へ転出。
兵庫県立明石西高等学校より 原田達郎校長着任。
昭和59年11月23日 創立20周年記念式典、校歌を制定。
昭和60年 4月 1日 原田達郎校長 兵庫県立姫路東高等学校へ転出。
兵庫県立姫路南高等学校より 東仲俊明校長着任。
昭和63年 3月31日 東仲俊明校長 定年により退職。
昭和63年 4月 1日 兵庫県立加古川南高等学校より 中村勇造校長着任。