《我が心の内奥を鋤起こさば、情感一葉の上に溢るべし。汝満ち足るや、はた遣りなすや。あれ痴(し)れ者なめりと思ゆるか》
この下手な擬古文調は、十八世紀ドイツ疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)時代の一節……というわけではない。秘
めたる心、溢れる情感を湛えた詩文、愛と狂気など、モチーフだけなら『若きヴェルターの悩み』と十年、いや二百年一
日のごとく重なりながらも、これはもはや「若気」の直接の吐露ではなく、「老いたる少年」の孤独な繰り言なのである。若
さと老いは両立する。しかし、老いてますます、というのとは違う。人が老いるように若さも老いる、若さそのものに老いが忍
び込むのだ。テクストは、The Rolling Stones “It's only Rock'n' Roll”(1974)から。流血、自死など一々不穏な言葉
の割に、声も弦も上りつめず、むしろ投げやりである。老いた若さを抱え、さながら「生き延びたヴェルター」である彼らには
、「わかっちゃいるけど」の緩い愚行が確かに似合う。けれどヴェルター自身は、やはり自らに手を下した英雄であり、私
たちは「ヴェルターを生き延びて」いるのだと思えてならない。彼の「若さ」は老いからも見放され、幾世紀を跨いで彷徨(さ
まよ)う魂となる。私たちを引きずり込むその濃密な青臭さには、「死せる若さ」の瘴気もまた、隠れ混ざっている。《装塡し
友を集わしめよ……灯消せば危うからず。我ら此処にあり、歓待せよ。我が愚かさこそ疫(えやみ)たれ》こちらは
Nirvana “Smells Like Teen Spirit”(1991)から。「涅槃」とは裏腹に、救われぬドイツ精神(ジャーマン・スピリット)の馨(か
ぐわ)しき毒が立ちこめる騒然たる闇。ヴェルターの魂は不意に取り憑く若さという不滅の「疫」である。しかしこれを不幸と
は呼ぶまい。私たちの愚かさの奥底にこそ幸福への通路が隠れていたのだと、ヴェルターたちを生き延びた者にさえ気づ
かせてくれるのだから。 疾風怒濤は様式でも技法でもない。魂のざわつきなのだ。私たちの「疾風怒濤(ロックンロール)」
が愚かに繰り返したように。(大宮勘一郎)
最近の東大のドイツ語、ドイツ文化の先生は、かっこいいことを言うなあ。でも、高校生諸君は、この紹介記事って理
解できますかね?とりあえず、「若きヴァルターの悩み」、昔は、ウェルテルって読んでたけど、を読んでみて下さい。
ここにも世界文学への最初の階段があります。上手くすれば、この先生の文章の意味にたどり着けるかもしれない。
(館長)
「ゲーテ 集英社文庫ポケットマスターシリーズ02」
《「若きヴァルターの悩み」・「親和力 第二部」・「ファウスト 第二部」》