カフカの書いた小説は今の日本の読者には意外に身近に感じられるかもしれない。毎朝起きて
仕事に行くだけで、恋人もいないし、友達と山に遊びに行くこともない生活。今の日本の若者にと
っては、そんなグレゴールに自分を重ねて「変身」を読むのは難しいことではないだろうが、同時に
グレゴールは自分とは違うことを一時も忘れることがないだろう。時代も文化も違っていることが、
文章の雰囲気やディテールから伝わってくる。そこが読書のいいところで、たとえばフェイスブック
だったら、そこで演出されている自分が本当の自分だと思い込んでしまう人も多いのではないかと
思う。そうではなく、感情移入しては突き放されるという運動を何度も繰り返すうちに、初めは四畳
半の狭さだった心や頭が劇場のように大きくなっていく。
もしもカフカが百歳まで生きたら、ユダヤ人を大量虐殺したナチスドイツと同盟を結んだ日本を
非難したかもしれない。 その時わたしは、自分が日本人だというだけの理由で歴史を歪めてまで
も日本を弁護するだろうか。おそらくカフカの意見をもっともだと思い、日本を非難するだろう。他
者の目で見ると、歴史は全く違って見える。わたしたちは近い将来、何も悪いことをしていないのに
逮捕されるかもしれないし、拷問を受けるかもしれない。カフカを読んでおけばそんな時にきっと役
に立つ。」(多和田葉子)
「カフカ(集英社文庫ポケットマスターシリーズ01)」
《「変身(かわりみ)」・「祈る男との会話」「流刑地にて」「歌姫ヨゼフィーネ、あるいは鼠族」・「お父さんは心配なんだよ」他》