沈黙の部屋」谷川俊太郎

四方は白いしっくい壁にとりかこまれている。壁は最近塗られたばかりのように新しいが、実はもう何世紀も前に塗られたのである。ただ、ここに住んだ人々が、何も家具をもちこまなかったし、時には呼吸すらごくひっそりとくり返すにすぎなかったので、(もちろん火を焚くことなど、思いもよらなかった。)白い壁は汚れることも、煤けることもなく、いつまでも新しく見えるのである。白いしっくい壁の或る一面に、(何故或る一面などと、あいまいな云いかたをするのかというと、ここには窓がないので、方位を決定することができないのだ。)一枚の扉ががかかっている。この扉は非常に写実的に描かれた一枚の絵にすぎない。つまりこの扉を開けても、そこには白いしっくい壁があるだけなのだ。そのかわり天井は非常に高い。高いけれどそれは上に行くにしたがってせばまっていて、ちょうど鋭い立方錐の内側のようになっている。その頂上は非常に狭く、おそらくヘアーピンを用いなければ掃除することはできないだろう。天井は壁と同じように白いしっくいで塗られているが、もちろんそこにも埃はおろかしみひとつない。

床は石でできている。地殻に直接つながる花崗岩を平らに磨きあげたものである。だがそれは、今や厳密には平とは云えない。何世紀にもわたる沢山の人々の足が、(木靴や、ぞうりや、鋲を打った靴や、はだしが)床をすり減らしてしまったのだ。床は真中が最も低くすり減っている。これは人々の多くが、部屋の中心にいることを望んだ証拠であって、よく見るとそこにはごく僅かではあるが、血痕が付着している。

 

※本書の中ではこんな詩が語られている。とりあえずこの詩を読んでみてください(しまくま)

2015霜月 その

渡邊十絲子「今を生きるための現代詩」(現代新書)