「西条古墳群」の巻

 加古川の古墳群
 加古川市には、古墳時代前期の日岡山古墳群、中期の西条古墳群、後期の平荘湖古墳群という代表的な古墳群があります。PDF 古墳分布図
日岡山古墳群の古墳の形や出土した銅鏡は、ヤマト政権の広がりを示しています。また、西条古墳群の行者塚古墳の副葬品や古墳のまつりを示す遺構は、古墳時代中期の新たな見方をしめしました。
さらに、行者塚古墳をはじめ平荘湖古墳群のカンヌ塚、池尻2号墳は、朝鮮半島との交流を物語っています。このように、加古川の古墳は、私たちに古墳時代の社会のようすや変化について教えてくれる大切なものです。 
西条古墳群 
西条古墳群は、加古川流域に成立した古墳群の一つで洪積台地末端に位置しています。
古墳群は、行者塚古墳(前方後円墳)、人塚古墳(円墳)、尼塚古墳(円墳)の三基の大型古墳を中心に、数十基の小古墳で構成されていましたが、団地造成により小型古墳のすべてが失われています。この古墳群は播磨における古墳時代の成立発展を考えるうえで貴重な遺跡であり、中核をなす前記3基の古墳が国史跡に指定されています。
 人塚古墳
人塚古墳は、前方部を除き周濠をもっている古墳時代中期の円墳で、たて径約50m、高さ約9m、周濠約18mの大型古墳で、前方部に造り出しをもっていましたが、現在は削られ消滅しています。なおこの古墳は、円墳としては県下で最大のものです。
人塚古墳に南方に小型円墳が10基ほどありましたが、この古墳内には円筒埴輪棺が発掘されています。そのほか、横穴式石室や木棺直葬の古墳も確認されています。
また、近くに日岡古墳群があります。


        現地説明会報告
尼塚古墳 
尼塚古墳は全長約51.5m、高さ約6mに復元される造出(つくりだし)付円墳です。周囲には幅約7mの濠がめぐらされています。墳丘は二段につくられており、上段の斜面は表面を葺石(ふきいし)でおおわれていますが、下段にはありません。葺石には河原石が多く使われていますが、一番下の基底部分には大きな竜山石がすえられています。上段と下段の間には平坦面(テラス)があり、埴輪(はにわ)が並べられていました。
埴輪の特徴などから古墳時代中期(5世紀)に位置づけられ、行者塚古墳より新しい時期の古墳と考えられます。
 
行者塚古墳 
行者塚古墳は全長99m、高さ約9mの前方後円墳です。市内最大級で、播磨地方でも屈指の規模をほこります。古墳時代中期の4世紀末から5世紀はじめ頃につくられました。現在は土や木でおおわれていますが、当初は土を盛った墳丘の斜面全体に石をはっていました。これを葺石(ふきいし)といいます。墳丘は三段につくられ、その平らな部分には円筒埴輪や朝顔形埴輪などの焼き物を立て並べていました。その総数はおよそ2,500本と推定されています。また、造り出しという高さ1m程度の低い台形の突出部が4つあります。そして、後円部の周囲には幅約14mほどの浅い堀がめぐり、その外側にも溝をめぐらせていました。この古墳は平成7年度に発掘調査が行われ、金銅製帯(こんどうせいえ)金具の出土など貴重な発見が多くありました。
帯金具 
 行者塚古墳の墳頂部から、被葬者とともに埋められた箱が見つかりました。その中には、鉄製の馬具や銅製品とともに、キラキラ光る透し文をほどこした金銅製の帯を飾る金具が入っていました。
 この時代の帯金具は、大陸から伝わったたいへん珍しいもので、日本列島では奈良県広陵町の新山古墳から出土しているに過ぎません。また、よく似た帯金具は中国や朝鮮半島北部で数件の出土例があります。
 加古川の首長とともに葬られていた帯金具の発見は、当時の東アジア世界と日本列島の交流を考える新たな手がかりになるものです。
 

行者塚古墳から出土した埴輪
(はにわ)
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