大手前大学との共催企画「シンポジウム赤松氏研究の新展開」

12月17日 土曜日

 ひょうご歴史研究室では、この2年間、県内の上郡町の赤松地区を主なフィールドとして、赤松氏や中世の山城についての調査研究をすすめてきている。
 このシンポジウムは、赤松円心から義則の時代の特徴について、文献史学の最新の学術成果を発表する場として、12月17日、大手前大学史学研究所によって主催された(会場は大手前大学さくら夙川キャンパスA44教室)。
 ひょうご歴史研究室はその共催団体に加わり、歴史研究推進員の大村拓生氏が、自らの研究成果を報告するとともに、パネリストの1人としてシンポジウムに参加して、討議をおこなった。
 報告は13:15から開始され、まず市澤哲氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が「14世紀の内乱と赤松氏の台頭」と題する報告をおこない、赤松氏の出自をめぐる研究史や、護良の側近としての挙兵の特質、『太平記』の史料としての可能性などについて論じた。
 前田徹氏(兵庫県立歴史博物館主査)の報告、「播磨国竹万荘と赤松円心の遺領配分」では、従来、不明だった竹万荘が山陽道が貫通する交通の要衝であったことを明らかにされ、それが赤松貞範に譲与された意味、鎌倉期の関東御領であったことなどが論じられた。
 大村拓生氏は、「赤松氏の拠点形成 -白旗城・法雲寺・宝林寺-」というテーマの報告をおこない、白旗城という呼称の持つ足利将軍家との関係、法雲寺建立と鎌倉期に播磨守護代だった小串一族との関係、赤松則祐の家督継承と宝林寺の赤松地区造営の意味について述べた。
 馬田綾子氏の報告、「守護赤松氏の領国支配 -『国衙眼代』小河氏をめぐって-」は、赤松氏と国衙機能との関係について、まるごと包摂したとみる従来の史料解釈は誤りで、小河氏はもとから赤松被官であり、「国衙眼代職」は国衙領の代官という意味で、1380年代には、すでに赤松氏は国衙機能を吸収していたことを明らかにした。

 休憩の後、参加者(約170名)から寄せられた質問用紙をもとに、小林基伸氏(大手前大学教授、ひょうご歴史研究室客員研究員)の司会で質疑が行われ、それぞれの論点が深められた。
 さいごに藪田貫室長が閉会の挨拶を述べ、3月4日に開催予定の歴史研究室研究成果発表フォーラムについても紹介した。
 専門研究者の参加は少なかったが、報告、討論を通じて、前期赤松氏研究を一段階すすめるものとなった。