第1回研究会(6/24)

『播磨国風土記』研究班の今年度第1回目の研究会が、平成29年6月24日(日)の午後、館内会議室で開催された。
垣内章客員研究員の「『播磨国風土記』写本調査速報」と、高橋明裕客員研究員の「『紀要』第2号古市晃「国家形成期における淡路の位置」をめぐって」という2つの報告があった。
 垣内氏は、加藤家本『播磨風土記』(姫路市史編集室蔵)と、某氏本『播磨風土記』の調査成果を速報的に報告した。
討論ではそれに対し、@加藤家本の書写は、国学者や神官たちによる書写とは異なる目的を持つと考えられ、この点で当史料は、風土記「受容史」の研究において、新たな評価を与えられる可能性が高いこと、A明治20、30年代以降、古代資料の書写にあたり、古体の字を写せなくなる状況についての本質的要因を探るべき、などの意見が寄せられた。
 高橋氏は、『ひょうご歴史研究室紀要』第2号の古市晃論文の書評をするとともに、今後、淡路古代史研究を進めていく上で重要となる点、とりわけ淡路と播磨との関わりについては、明石・美だけでなく、西播や北播など、もっと広域的な視野を持つべき点などを指摘した。
 討論では、@5世紀の淡路島に古墳が築造されないのは、王権の直轄地であるが故の現象とみるべきではないか、A美郡や加古川流域の山直氏については、金属加工ではなく、船材を含む材木の伐り出しが主な職掌であり、その点で山直氏と明石海峡や淡路島の「海人」との不可分の関連性を読み取れるのでないか、B古代の海部の性格をもっと厳密に捉えるべきこと、とくに海運・舟運こそが、海部の本質とみるべきではないか、Cその上で瀬戸内海交通路で果たした海部の役割を、中世〜近世史の場合と同じく「分節」的に検討すべきことの重要性、などが指摘された。
参加者は15名。

(文責・坂江渉)