用語解説一覧

ひょうご伝説紀行に関連する用語解説一覧です。
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あ行

柳田國男(やなぎたくにお)

1875―1962。1875(明治8)年、現在の福崎町西田原辻川区(ふくさきちょうにしたわらつじかわく、当時の兵庫県神東郡田原村辻川)に松岡操(まつおかみさお)の6男として生まれる。11歳の時辻川の旧家三木家に預けられ、同家の蔵書を濫読したという。13歳で長兄の鼎(かなえ)に引き取られ、茨城県利根町(いばらきけんとねちょう、当時の茨城県北相馬郡布川村)に転居した。

東京帝国大学に入学し、このころから兄井上通泰(いのうえみちやす)の紹介などで、田山花袋(たやまかたい)、島崎藤村(しまざきとうそん)などの文学者との交流を持つ。大学卒業後、柳田家の養子となり、農商務省に就職し、その後法制局参事官、内閣書記官記録課長、貴族院書記官長などを歴任する。

こうした官僚としての仕事の傍ら、『遠野物語(とおのものがたり)』の刊行や雑誌『郷土研究』の創刊など、後に自らが「民俗学」として確立させる分野の研究と組織作りを進めた。1919(大正8)年に官界を辞職、以後東京朝日新聞社客員などを経て、民俗学研究の確立に専念する。戦後も自宅に民俗学研究所を設立、日本民俗学会の会長を務めるなど活躍を続けた。1962(昭和37)年死去。著作集としては、『定本柳田國男集』全31巻+別巻5冊(筑摩書房)、『柳田國男全集』全36巻+別巻2(筑摩書房、刊行中)などがある。

山名氏(やまなし)

南北朝の内乱の中で、山陰地方を中心に勢力を広げた一族。南北朝最末期には一族で11ヶ国の守護職を持ち、「六分の一殿」とも呼ばれたが、明徳の乱(1391年)によって勢力を削減された。乱後は、但馬(たじま)などの守護職を一族で分有したが、嘉吉の乱(1441年)によって、赤松氏旧領国の播磨(はりま)、備前(びぜん=現在の岡山県南東部)、美作(みまさか=現在の岡山県北部)の守護職を獲得した。

応仁・文明の乱(1467―77年)では宗全(そうぜん)が西軍の主将となった。戦国時代前半には、播磨の再占領を目指して赤松氏と数度戦ったが、その後、但馬、因幡(いなば=現在の鳥取県東部)の一族間での争いや、重臣層の台頭によって次第に衰えていった。

但馬守護家は天正8(1580)年に羽柴秀吉(はしばひでよし)によって滅ぼされ、子孫は旗本となった。また、因幡守護家の子孫は但馬の村岡(むらおか=現在の香美町村岡区)に6,700石の領地を持つ上級の旗本(はたもと)として存続し、明治初年の高直しによって11,000石の大名となって廃藩置県を迎えた。

溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)

火山の噴火による噴出物が、地上に堆積したときに、自らが持つ熱と重さによって溶けて圧縮されることによってできる岩石。