用語解説一覧

ひょうご伝説紀行に関連する用語解説一覧です。
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佐渡島の団三郎狸(さどがしまのだんざぶろうだぬき)

佐渡島の狸の大将とされる。夜道を歩く人を壁を作り出しておどかす、蜃気楼で化かす、木の葉を化かした銭で買い物をする、などの話が伝わっている。また、芝右衛門狸とよく似た狐との化けくらべ話もある。加賀国で狐と化けくらべをすることになり、団三郎が大名行列に、狐が奥女中に化けて殿様に声をかける、とのことになった。やがて大名行列がやってくると、狐は女中となって殿様の籠に声をかけようとしたが、実は本物の大名行列で狐は斬られそうになり、あわてて逃げていった、という。

 なお、佐渡では狸を狢(むじな)と呼ぶので、団三郎狢と呼ぶのが一般的である。

讃岐屋島の禿狸(さぬきやしまのはげだぬき)

香川県高松市屋島にある屋島寺の守護神で、四国の狸の総大将とされる。源平の屋島合戦での様子を幻術で再現するなどしたという。後に猟師に撃たれて死んでしまうが、その霊が阿波に移り住んだともされている。

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)

京都市東山区にある仏堂で、正式には蓮華王院(れんげおういん)本堂と呼ぶ。蓮華王院は、長寛2(1164)年に後白河上皇(ごしらかわじょうこう)が、平清盛(たいらのきよもり)に命じて、自身の離宮である法住寺殿内に造営した寺院。鳥羽上皇(とばじょうこう)が清盛の父平忠盛に造営させた得長寿院(とくちょうじゅいん)にならって、三十三間の細長い堂に、1,001体の観音像が安置された。なお、後白河が造営した蓮華王院は、建長元(1249)年の火災で焼失し、現在の堂は文永3(1266)年に再建されたものである。

十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)

現在の姫路市十二所前町にある神社。この場所は旧城下町の南西隅近くにあたる。現在の祭神は少彦名神(すくなひこなのかみ)。社伝では、延長6(928)年、一夜のうちに十二茎の蓬(よもぎ)が生え、その葉で病を治すようにとの神託に従って、南畝(のうねん)の森(現在の姫路駅西側付近)に創建されたという。その後、安元元(1175)年に現在地へ移ったとされている。

聖徳太子(しょうとくたいし)

574―622。推古天皇(すいこてんのう)の摂政(せっしょう)・皇太子。本名は厩戸王(うまやどのおう)。仏教への信仰が厚く、四天王寺(してんのうじ)や法隆寺(ほうりゅうじ)を建立したほか、経典の注釈書も著したとされる。また、冠位十二階(かんいじゅうにかい)や十七条の憲法を制定するなど、摂政として政治改革にも努めたとされる。ただし、こうした国政上での活躍は、奈良時代における創作である、などとする説もある。

聖徳太子をめぐっては没後、さまざまな伝説が語られるようになった。平安時代中ごろ成立の『聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)』は、そのころまでにできあがっていた諸伝説を集成したもので、以後の聖徳太子信仰の展開に大きな影響を与えた。

浄瑠璃(じょうるり)

楽器の伴奏にのせて章句を語る音曲。語り手を「太夫(たゆう)」と呼ぶ。このうち義太夫節(ぎだゆうぶし)という流派の語りに、あやつり人形が加わるものを人形浄瑠璃(文楽、ぶんらく)と呼ぶ。本来は演劇的要素が希薄な語り物であったが、江戸時代中ごろから人形劇を伴うものが主流となっていった。

『諸国百物語』(しょこくひゃくものがたり)

延宝5(1677)年刊。100話の怪奇物語を収める怪談集。幽霊などの妖怪変化を扱った民話的な怪奇物語が大半を占め、先行する『曽呂利物語(そろりものがたり)』との類似関係が目立つことが指摘されている。本書以後、18世紀中ごろまで、『御伽百物語(おとぎひゃくものがたり)』、『太平百物語』、『古今百物語評判』など、「百物語」を題名の中に持つ怪談集が続々と刊行されるようになった。

神功皇后(じんぐうこうごう)

『古事記(こじき)』、『日本書紀(にほんしょき)』の神話に現れる伝説上の人物。夫である仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の急死後、住吉の神のお告げによって、子供の応神天皇(おうじんてんのう)を妊娠したまま朝鮮半島に出兵して、朝貢を約束させたという。また、朝鮮半島から畿内へ帰る途中、香坂皇子(かごさかおうじ)、忍熊皇子(おしくまおうじ)が反乱をおこして行く手をさえぎったが、これを平定したという。

随願寺(ずいがんじ)

現在姫路市白国(ひめじししらくに)の増位山(ますいやま)にある天台宗(てんだいしゅう)の寺院。古代以来の寺院で、もとは山麓の平地部にあったが、元徳元(1329)年の洪水被害によって現在地に移転したとされている。書写山円教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)などとともに「播磨天台六ヶ寺」の一つで、平安時代後期以来、播磨全体の安穏のための法会が行われる寺院と位置づけられていた。

菅原道真(すがわらのみちざね)

845―903。幼少より学問に優れたとされ、文章博士(もんじょうはかせ、大学寮の教官)や讃岐守(さぬきのかみ)などを歴任する。政治の刷新を進めた宇多(うだ)天皇(のちに譲位して上皇)の信任が厚く、右大臣(うだいじん)にまで昇進した。しかし、学者出身の右大臣は異例であり、従来からの権勢を保持しようとする藤原氏をはじめ、他の貴族たちの反感を買い、謀反の疑いをかけられて、延喜元(901)年に大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、大宰府で没した。

崇神天皇(すじんてんのう)

『古事記』・『日本書紀』の神話では第10代の天皇とされる。実在の可能性が指摘されている最も古い代の天皇でもある。

石英安山岩(せきえいあんざんがん)

火成岩のうち、マグマが急激に冷えて固まった火山岩の一種。二酸化ケイ素が63〜70パーセントのもので、「デイサイト」ともいう。

総持寺(そうじじ)

石川県輪島市門前町(いしかわけんわじましもんぜんまち)にあった曹洞宗の大本山の一つ。もとは真言宗の寺であったというが、元亨元(1321)年、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が律宗から禅宗にあらため、永平寺(えいへいじ)とならぶ曹洞宗の大本山となった。1898(明治31)年、火災による焼失を契機に移転計画が進められ、1911(明治44)年に神奈川県横浜市鶴見区(かながわけんよこはましつるみく)に移転した。なお、輪島市門前町には現在も総持寺祖院が残る。

『捜神記』(そうじんき)

東晋(とうしん)王朝の官僚である干宝(かんぽう)が編纂した怪異話、奇談を集めた書物。こうした書物のジャンルを「志怪(しかい)」と呼ぶ。本書が著された六朝時代(3〜6世紀)は、こうした「志怪」が現れはじめ、盛んに記されていた時代であった。著者の干宝は、王朝の歴史編纂にも携わっており、『晋紀(しんぎ)』という晋王朝の歴史書も著している。『捜神記』にも、こうした干宝の学識が反映されていると見られていて、収録された話題の幅が広いことや、過去の史料や書籍からの引用が見られる点が特徴とされている。

『捜神後記』(そうじんこうき)

干宝(かんぽう)著『捜神記』の続編を標榜した書物。鬼神や動物にまつわる怪異話が目立ち、仏教に関する話題が収められている点が特徴とされる。著者は陶潜(とうせん、365―427)とされる。陶潜は字(あざな、通称)は淵明(えんめい)。現在の江西省の人で、自由な隠遁生活を好み、詩の「帰去来辞(ききょらいじ)」の作者としてよく知られている。

曹洞宗(そうとうしゅう)

禅宗の宗派の一つ。日本では、鎌倉時代にこの宗派の教えを伝えた道元(どうげん)の法系によって代表される。道元は、現在の福井県永平寺町(ふくいけんえいへいじちょう)に永平寺を開いた。曹洞宗は、南北朝・室町時代以降になると、庶民の葬送儀礼に積極的に関わることによってその教線を広げていった。