益気の八十橋
天まで届く岩の段

加古川市平荘町池尻(かこがわしへいそうちょういけじり)に、升田山(ますだやま)と呼ばれる山があります。この山の東面には、「益気の八十橋(やけのやそはし)」と呼ばれる岩場があります。奈良時代には、このあたりは「益気の里」と呼ばれていたので、こうした名前がついているのです。

益気の八十橋は、下から見あげると、岩が階段のように連なっていて、まるで天に登っていく階段のように見えます。古代の人々はこの岩場を、たくさんの神々が天上と地上とを行き来する階段だと考えました。この話は、奈良時代の初めに編集された『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』という書物にのせられていて、つぎのように記されています。

益気の里には石の橋がある。むかしむかし、この橋は天まで届いていて、たくさんの人々が登ったり、降ったりして、天上と地上とを行ったり来たりしていた。それで、「たくさん」という意味の「八十(やそ)」を付けて、「八十橋」と言うのである。

なお、ここでは「八十橋」と書かれていますが、『播磨国風土記』のころは、階段のことも「橋」と呼んでいました。

(『郷土の民話』東播編をもとに作成)