用語解説一覧

ひょうご伝説紀行に関連する用語解説一覧です。
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西方浄土(さいほうじょうど)

 仏教において、この世の西方、十万億の仏土を隔てたところに存在する、阿弥陀仏の浄土。極楽浄土。

最明寺(さいみょうじ)

 神戸市西区神出町に所在する真言宗の寺院。雄岡山(おっこさん)と号する。7世紀に法道仙人が開いたという伝承をもつ。また、鎌倉幕府の5代執権北条時頼(ほうじょうときより:1227〜63)が、出家して最明寺入道と名乗り各地をまわった際、この寺に立ち寄って、法道仙人の遺言と法華経を入れた石箱を地中に埋めた後、梅の実を噛み割って、半分をそこに植えたという伝承がある。現在も境内には、何代目かにあたる「時頼かみわりの梅」がある。

篠山盆地(ささやまぼんち)

 兵庫県中央部を東西にのびる山地の東端にあたる、丹波山地内にある盆地。盆地北部の山々は、日本海側と瀬戸内海側の分水界をなす。盆地周囲を囲む山々の標高は、500〜800m、盆地中央部の標高は約200mを測る。

里山(さとやま)

 人里に接する位置にある山で、森林を中心とした生態系を、人が継続的に管理・利用している場所。兵庫県下では、薪炭林(しんたんりん)として利用される、クヌギ・コナラなどの雑木類を中心とした雑木林であることが多い。多様な動植物が生育するため、生態系としての価値は高いが、近年は利用度が低下して放置され、荒廃する例が増加している。

山陰道(さんいんどう)

 都から発し、丹波・丹後・但馬を経て山陰地方を結んだ、古代の主要街道の一つ。兵庫県下では、篠山市、丹波市、遠阪峠を通って但馬に入り、朝来市、養父市、香美町、新温泉町を経由する。また養父市からは、豊岡市域に所在した但馬国府へ至る支線があった。

三田市(さんだし)

 兵庫県東部に所在する市。旧有馬郡北半部にあたり、江戸時代には三田藩として、九鬼氏が約240年間統治した。1958年より市制を施行。1980年代以降はニュータウン開発が進み、神戸、大阪のベッドタウンとして発展した。2007年11月現在の人口は、約113,600人である。

三田焼(さんだやき)

 三田市内で、18世紀後半から昭和10(1935)年ごろまで生産された陶磁器の総称。寛政11(1799)年から大正初期まで続いた、三輪明神窯はその代表である。三田焼で最も著名なものは三田青磁(さんだせいじ)であるが、初期には、赤絵や染付などを生産していた。

 文政7(1810)年には、京都から欣古堂亀祐(きんこどうかめすけ(1765〜1837):京都の陶工。三輪明神窯に招請されて特に青磁の制作を指導し、三田青磁の恩人と称えられる。後には、篠山市内で王子山焼の制作を指導した)を迎えて、青磁のほか、赤絵や染付磁器も多数生産されるようになり、三田焼は最盛期に至った。しかし、亀祐が去って以後はしだいに衰退した。明治に入り三田陶器会社が設立されて、一時復興をとげたが、昭和10年ごろに生産を終えた。

三番叟(さんばそう・さんばんそう)

 能の翁(おきな)で、千歳(せんざい)・翁に次いで3番目に出る老人の舞。正月や秋祭などで、祝いのために舞われる。多く場合、千歳・翁・三番叟の3つの舞からなり、これらを式三番という。翁には猿楽の伝統を伝えるものや、能・歌舞伎・人形浄瑠璃の影響を受けたものがある。兵庫県では摂津・丹波・但馬を中心に広くおこなわれている。

磁器(じき)

 やきもののうち、白色で透光性があり、硬く緻密(ちみつ)で吸水性がなく、叩(たた)くと金属的な音を発するもの。ただし磁器の概念は幅が広く、国によっても異なっており、中国においても陶器と磁器の区別は、日本と大きく異なっている。

式内社(しきないしゃ)

 『延喜式』の「神名帳」に掲載されている神社。全国で2,861か所。

時光寺(じこうじ)

 高砂市時光寺町に所在する浄土宗の寺院。遍照山(へんしょうざん)と号する。また、播磨の善光寺と称される。縁起によれば、時光上人が播磨灘の海中より引き揚げた、阿弥陀如来像を祭るため、1249年に堂宇を建てたのが始まりという。その後の争乱で幾度か焼失したが、1613年に現在の本堂が再建された。境内の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)は県指定文化財。

時光上人(じこうしょうにん)

 鎌倉時代の僧(?〜1276)。俗姓は源経家(みなもとのつねいえ)。浄土宗の証空上人(しょうくうしょうにん)の弟子となり、時光坊と称した。高砂市伊保崎(いほざき)の心光寺(しんこうじ:現在の網堂)での修行中、五色の雲に乗って現れた高僧のお告げによって、播磨灘各所で網を引いたところ、阿弥陀如来像の手足や体が引き揚げられたという。時光寺は、この如来像を祭るため建てられたもの。

守護大名(しゅごだいみょう)

 南北朝期〜室町時代に、将軍足利氏によってその国の支配を委任された守護。主に足利氏の一門や有力家臣が任命された。守護は幕府から与えられた権限を利用して、国人(こくじん:領地を所有する在地の武士)層を家臣として組織化し、この結果、守護と国人層による領国制度が成立していったとされている。

荘園(しょうえん)

 奈良時代から戦国時代まで存在した、田地を中心とした私有地。所有者は、主として貴族や寺社で、政治的地位を有する者であった。現在、文献で知られる荘園は4,000か所近くあり、東北地方から九州地方まで分布するが、特に近畿地方に集中している。

正倉院(しょうそういん)

 古代には、寺院や官の主倉庫を正倉と呼び、正倉院とはその一角を指す言葉であったが、現存するのは奈良県の東大寺に付属する正倉院のみであるため、正倉院といえばこれを指す。現在、東大寺正倉院は宮内庁が管轄しているが、その中でも特に歴史的に重要なのは、校倉造(あぜくらづくり)の宝庫で、奈良時代以来の遺品がおさめられている。

称徳天皇(しょうとくてんのう)

 奈良時代末の女性の天皇(718〜70)。第46代の孝謙天皇(こうけんてんのう)として在位した後、淳仁天皇(じゅんにんてんのう)に譲位したが、藤原仲麻呂の乱の責めによって淳仁天皇を退位させて、再度第48代天皇として即位した。その後、天皇に寵愛された僧道鏡が実権を握り皇位を奪おうとしたため、これに反対する貴族が、和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣して、神託を得るという事件が起こった。

浄土寺(じょうどじ)

 小野市浄谷(きよたに)町に所在する真言宗の寺院。極楽山(ごくらくさん)と号する。東大寺の播磨別所として、重源(ちょうげん)が建久年間(1190〜98)に開いた。

 この地域には、古くから東大寺の荘園(大部荘:おおべのしょう)が営まれていたが、重源は、東大寺大仏復興のために、長く荒廃していた同荘園を東大寺別所として経営することとなった。

 境内は、中央の池(放生池)を中心に、西に浄土堂、東に薬師堂を配する。

 西の浄土堂は、重源が1194年に建立したもので、当時の中国(宋)の建築様式を取り入れた大仏様(だいぶつよう)と呼ばれる様式で建てられており、鎌倉時代以降の寺院建築に大きな影響を与えた。大仏様の建築は、ほかに東大寺南大門、同開山堂などが残されているのみで、本尊の阿弥陀三尊像とともに国宝に指定されている。

 浄土堂は夏の間、阿弥陀三尊の背後から夕日が射しこむように設計されており、夕暮れ時に朱色に染まる堂内は荘厳そのものである。

 ほかに1517年に再建された薬師堂、重源坐像、境内の浄谷八幡神社本殿・拝殿、絹本著色仏涅槃図(けんぽんちゃくしょくぶつねはんず)ほかの重要文化財、県指定文化財など多数を保有し、播磨を代表する古刹といえる。

城ノ山古墳(じょうのやまこふん)

 朝来市和田山町東谷に所在する古墳。4世紀末に築造された円墳で、直径は36mを測る。長さ6.4mという長大な木棺を埋葬しており、人骨のほか、銅鏡6面、石製腕輪、玉類、鉄製品などが出土している。城ノ山古墳の築造は、南但馬における王墓の成立として重視されている。

縄文海進(じょうもんかいしん)

 後氷期の世界的気温上昇に伴い、完新世初頭(約1万年前)に始まり、縄文時代前期の約6,000年前に最盛期を迎えた海面上昇。最盛期の海面は、現在より数メートル高かったと考えられている。

神功皇后(じんぐうこうごう)

 『日本書紀』によれば、第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后。名を息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)という。仲哀天皇の死後、これに代わって朝鮮へ出兵して、新羅を討ち、百済・高句麗を帰服させたとされるが、これは日本を大国として位置づけるための架空の説話である。

真言宗(しんごんしゅう)

 仏教の一派。インドに起こり、平安時代前期に、空海によって日本へもたらされた。空海は、高野山に金剛峯寺を開いて、真言宗の道場としたほか、823年には京都に教王護国寺(きょうおうごこくじ:現在の東寺)を受け、これらの寺院が同宗の中心となった。

神積寺(じんしゃくじ)

 神崎郡福崎町に所在する天台宗の寺院。妙徳山(みょうとくさん)と号する。正暦(しょうりゃく)2(991)年、慶芳上人(けいほうしょうにん)が文殊菩薩のお告げにより創建したと伝えられる。平安時代後期には隆盛し、播磨六ヶ山(播磨天台六山)の一つに数えられた。延慶(えんきょう)2(1309)年、火災のため焼失し、天正15(1588)年に再建された。本尊の薬師如来座像は重要文化財であり、境内の石造板碑(いたび)、石造五重塔などは県指定文化財となっている。創建の故事から、「田原の文殊さん」として親しまれている。

神仏分離(しんぶつぶんり)

 明治時代初め、政府が天皇の神権的権威確立のためにとった宗教政策。従来習合していた神道と仏教を分離することを旨とする。この政策が廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の運動となって、全国で仏教に対する破壊的活動が起こり、廃寺となる寺院が続出した。

神武天皇(じんむてんのう)

 記紀に登場する初代の天皇。和風諡号(しごう:死後に贈られる名)は、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)。記紀によれば、日向(ひゅうが:現在の宮崎県地方)から軍勢を率いて東征し、大和を征服。紀元前660年に橿原宮(かしはらのみや:奈良県橿原市)で即位して初代天皇となったという。初めて国を統治した天皇という意味で、ハツクニシラススメラミコトとも呼ばれる。

 ただし天皇に関する記紀の記述のうち、特に初代神武天皇から第9代開化天皇までの記事は、合理性を欠く部分が多い上、系譜はあるものの旧辞(きゅうじ:記紀編纂の基礎となった史書。現存しない)に記されていたはずの事跡も記載がなく、生存の年代観も実際の歴史と整合しない。このためこれらの天皇は、朝廷の権威と支配を正当化するために付け加えられたものであり、いずれも実在ではないと考えられる。

推古天皇(すいこてんのう)

 第33代の天皇(554〜628)で、史上初の女性天皇。母は蘇我氏の出身。敏達天皇(びだつてんのう)の皇后であったが、その没後に立った用明天皇(ようめいてんのう)がわずか2年で病死、さらに崇峻天皇(すしゅんてんのう)が在位5年で死亡(蘇我馬子による暗殺説がある)すると、蘇我氏に推されて即位した。厩戸皇子(うまやどのおうじ:聖徳太子)を摂政とし、大臣蘇我馬子との均衡を図りつつ政治を運営した。その治世には冠位十二階や十七条憲法の制定、遣隋使(けんずいし)の派遣、法隆寺の建立、国史の編纂など、政治制度の整備や文化の振興などがおこなわれた。

須恵器(すえき)

 古墳時代中期に生産が開始された無釉の陶質土器。須恵器の技術は、5世紀代に朝鮮半島からの渡来人によってもたらされ、大阪府南部で生産が開始された。半地下式の登窯(のぼりがま)を用い、1100度前後の還元焔(かんげんえん)で焼成されるため、表面は青灰色を呈する。6世紀以降は、北海道を除く全国で生産されるようになり、平安時代末には陶器へと発展してゆく。

末の観音様(すえのかんのんさま)

 三田市末に伝わる民話。戦乱によって観音像が池に投げ込まれ、それを知らない人が池に入って像を踏んだところ、腹痛をおこした。そこで池を干したところ、観音像が見つかったため、村でお祭りをするようになり、以降、村では常に田畑の実りも豊かであったと伝える。

菅原道真(すがわらのみちざね)

 平安時代前期の公卿(くぎょう)、学者(845〜903)。菅公(かんこう)と称された。幼少より詩歌に才能を発揮し、33歳で文章博士(もんじょうはかせ:律令政府の官僚養成機関であった大学寮に置かれた教授職)に任じられた。宇多、醍醐両天皇の信任が厚く、当時の「家の格」を超えて昇進し、従二位右大臣にまで任ぜられた。しかし、道真への権力集中を恐れた藤原氏や、中・下級貴族の反発も強くなり、左大臣藤原時平が「斉世親王を立てて皇位を奪おうとしている」と天皇に讒言(ざんげん)したことで、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、同地で没した。

スクナヒコナノミコト(すくなひこなのみこと)

 記紀や風土記に見られる神。『日本書紀』では少彦名命(すくなひこなのみこと)、『古事記』では少名毘古那神(すくなびこなのかみ)。『播磨国風土記』では、オオナムチノミコトとともに国造りをおこなったとされている。道後温泉や玉造温泉などを発見したと伝えられ、温泉開発の神としても祭られる。『古事記』によれば、少彦名命は、天之羅摩船(アメノカガミノフネ:ガガイモのさやでできた船)に乗り、蛾(が)の皮の衣服を着て出雲国にやってきた小さな神とされており、民話「一寸法師」の原型とも言われている。

スサノオノミコト・クシナダヒメノミコト(すさのおのみこと・くしなだひめのみこと)

 記紀の神話に登場する神。古事記では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と呼ぶ。イザナギノミコトの3子の末。イザナギから海を統治するよう命ぜられるがそれを拒否する。一時、姉のアマテラスオオミカミが治める高天原に滞在したが、後に出雲国に至り、怪蛇ヤマタノオロチを退治。クシナダヒメと結婚したとされる。出雲神話の祖となる大国主命(おおくにぬしのみこと:『日本書紀』ではオオナムチノミコトとする)は、スサノオの子とも六世あるいは七世孫ともされている。

青磁(せいじ)

 青緑〜緑色の釉(うわぐすり)を特徴とする磁器。白磁、黒釉磁(こくゆうじ)とともに、東アジア三大陶磁器とされる。

遷宮(せんぐう)

 神社において、本殿を建て替えて、神体・神霊を移すこと。遷座ともいう。定期的におこなわれるものを式年遷宮と呼び、伊勢神宮の場合は、20年に一度すべての社殿を建て替えて遷宮がおこなわれている。

千光寺(せんこうじ)

 洲本市上内膳(かみないぜん)の、先山山頂に所在する真言宗の寺院。先山(せんざん)と号する。本尊は千手観音。寺伝によれば、平安時代延喜元(901)年の開基とされ、縁起として狩人忠太と大猪の伝説が伝えられている。このほか『淡路通記(あわじつうき:17世紀末成立)』には、性空上人(しょうくうしょうにん)、役小角(えんのおづぬ)やイザナギ・イザナミにまつわる伝承が記録されている。境内の鐘楼にある鐘は、弘安6(1283)年の銘をもち、重要文化財に指定されている。

善光寺(ぜんこうじ)

 長野県長野市に所在する無宗派の寺院。尼寺であり、浄土・天台両宗の管理に属する。定額山(じょうがくさん)と号する。7世紀初めの創建とされるが、詳細は不詳。本尊は、欽明天皇の時代に、百済の聖明王から献じられたという阿弥陀三尊であるが、絶対の秘仏であり、善光寺住職さえ見ることはできないという。本堂は昭和28(1953)年国宝に指定されている。 

先山(せんざん)

 洲本市北西にある山。標高は448m。その山容から、淡路富士とも称される。山頂には千光寺が建つ。江戸時代の画家、谷文晁(たにぶんちょう)の『名山図譜』にも描かれるなど、古くから知られる山である。シイ、カシなどの暖帯樹林に覆われ、この山系にのみ生息する昆虫も知られている。

千年モミ(せんねんもみ)

 追手神社(おってじんじゃ)境内にあるモミの巨木。樹高34m、幹周り7.8m、推定樹齢は800年とされる。

蘇我馬子(そがのうまこ)

 飛鳥時代の中央豪族(?〜626)。地位は大臣(おおおみ)。大連(おおむらじ)であった物部守屋を滅ぼし、天皇との姻戚関係を利用して勢威をふるった。仏教を受容し、法興寺(ほうこうじ:馬子が建立した日本最古の伽藍。飛鳥寺)を建立した。子は蘇我入鹿。

染付(そめつけ)

 素焼きした磁器の表面に、呉須(ごす:酸化コバルトを主成分として鉄・マンガン・ニッケルなどを含む鉱物質の顔料)で下絵付けを施し、その上に透明な釉(うわぐすり)をかけて焼いたもの。青または紫がかった青に発色する。中国の元代に始まり、明代に隆盛。日本では江戸初期の伊万里焼に始まる。

尊勝寺(そんしょうじ)

 堀河天皇の発願により、平安京内に建てられた寺院(創建は1102年)。法勝寺(ほっしょうじ)、最勝寺(さいしょうじ)、円勝寺(えんしょうじ)、成勝寺(せいしょうじ)、延勝寺(えんしょうじ)とともに六勝寺(ろくしょうじ・りくしょうじ)と称される。