用語解説一覧

ひょうご伝説紀行に関連する用語解説一覧です。
五十音順で検索いただけます。

初鹿野山(はじかのやま)

 神崎郡神河町に所在する山。標高は507.8m。初鹿野の名は、『播磨国風土記』の中の「波自加(はじか)村」に由来する。

羽柴秀吉(はしばひでよし)

 安土桃山時代の武将(1536〜98)。尾張国中村の人。はじめ木下藤吉郎と名乗る。年少の時期から織田信長に仕え、戦功をたてて重用され、羽柴氏を称した。信長の命による中国地方経略の途上で、明智光秀による信長殺害(本能寺の変)が起こった。秀吉は毛利氏と和睦し、山陽道を経て淀川右岸を北上、山崎の合戦で光秀を破った。

 その後、各地の大名を服属させた秀吉は、1585年に関白、翌年には豊臣姓を下賜され、また太政大臣に任ぜられて天下統一を達成した。晩年には、朝鮮および明への侵攻を図り、2度にわたって派兵したが失敗に終わった(文禄・慶長の役)。太閤検地による税制の確立、兵農分離政策、都市や主要鉱山の直轄支配など、幕藩体制への基礎をつくった。

八幡神(はちまんしん)

 農耕神または海の神とされている。総本社は大分県宇佐市の宇佐神宮(宇佐八幡宮)であるが、全国に数千の神社があり、稲荷社に次ぐ信仰を集めている。元は宇佐地方一円にいた大神氏(おおみわし)の氏神であったとも考えられているが、現在では、応神天皇、神功皇后、比売神の3神を合わせて八幡神(八幡三神)として祭られている。

播磨天台六山(はりまてんだいろくざん)

 兵庫県播磨地域における主要な天台宗寺院。播磨六ヶ山ともいう。円教寺(えんぎょうじ)、八葉寺(はちようじ)、随願寺(ずいがんじ)、一乗寺(いちじょうじ)、普光寺(ふこうじ)、神積寺(じんしゃくじ)の6寺院。

播磨灘(はりまなだ)

 兵庫県の播磨地域に面する、瀬戸内海東部の海域。東を淡路島、西を小豆島(しょうどしま)、南を四国によって画されている。面積は約2,500平方キロメートル。近畿、中国、四国、九州を結ぶ重要な航路がある。

播磨国風土記(はりまのくにふどき)

 奈良時代に編集された播磨国の地誌。成立は715年以前とされている。原文の冒頭が失われて巻首と明石郡の項目は存在しないが、他の部分はよく保存されており、当時の地名に関する伝承や産物などがわかる。

日女道丘(ひめぢをか)

 『播磨国風土記』に記された丘の名。現在の姫山に比定されている。

日吉神社(ひよしじんじゃ)

 神崎郡神河町比延(ひえ)に所在する神社。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、オオナムチノミコト、スクナヒコナノミコト。『播磨国風土記』の、「埴岡里」の伝説に関係がある神社といわれる。(『兵庫県大百科事典』下) 

蛭子命(ひるこのみこと)

 日本神話に登場する神。蛭子神、水蛭神と同じ。イザナギとイザナミの間に最初に生まれた子であったが、婚姻の際、イザナミが先に声をかけたのが原因で、満足のゆく子にならなかったため、葦舟に乗せて流されてしまったと伝える。蛭子命と2番目に生まれたアワシマは、2神の子には数えないとされている。後に蛭子神は、恵比寿(戎:えびす)と同一視され、信仰の対象となった。

広田八幡神社(ひろたはちまんじんじゃ)

 南あわじ市広田広田に所在する神社。祭神は応神天皇。寿永3(1184)年、平家追討中の源頼朝が摂津の広田社(西宮市)に広田荘を寄進し、戦勝を祈願したことに始まるという。神社は明治32(1899)年に失火で全焼し、現在残っている社殿は4年後に再建されたもの。隣接して広田梅林があり、観光地となっている。

札所(ふだしょ)

 仏教の霊場で、参詣したしるしに札を受けたり、納めたりするところ。西国三十三箇所、四国八十八箇所など。

ブラックバス(ぶらっくばす)

 スズキ目サンフィッシュ科の淡水魚のうち、オオクチバス、コクチバスなどの総称。北米が原産で、日本には、1925年に移入された(箱根、芦ノ湖)。その後人為的放流が繰り返されたことで全国に広がったが、特に1980年代以降、ゲームフィッシングの対象魚として爆発的に広がり、兵庫県下でもほとんどの河川、ため池等で生息が確認されるまでに至っている。ブラックバスの放流によって、在来の魚類が激減するなどの影響が指摘されており、2004年に制定された「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」により、輸入放流などが禁止された。

豊林寺(ぶりんじ)

 篠山市福井に所在する真言宗の寺院。玄渓山(げんけいざん)と号する。伝承では、651年に法道仙人が開いたとされ、陽成天皇(ようぜいてんのう:在位876〜84)の時には勅願所(ちょくがんしょ)となったと伝えられる。鎌倉時代には修験道の寺院として栄えたが、応仁元(1467)年、兵火により焼失した。再興後も、明智光秀の丹波侵攻により再び兵火をうけた。本尊は観世音菩薩坐像。

豊林寺城(ぶりんじじょう)

 篠山市福井に所在する中世の山城跡。豊林寺背後の城山山頂(520m)にあり、福井城、大雲城(おくもじょう)とも呼ぶ。応永年間(1394〜1428)に築かれ、大芋氏(おくもし)代々の拠点であった。

ホアカリノミコト(ほあかりのみこと)

 『播磨国風土記』によれば、オオナムチノミコトの子であるが、記紀ではアメノオシホミミとヨロヅハタトヨアキツシヒメとの子とされている。『播磨国風土記』によると、あまりにも乱暴な子であったため、オオナムチが船に乗せて出航した際、立ち寄った場所に置き去りにしようとした。これがホアカリノミコトを怒らせ、海が荒れ狂ったため船は難破して、オオナムチは非常な難渋をしたという。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)

 本来は「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」を納めるための塔。日本では平安時代末ごろから作られるようになり、鎌倉時代中ごろからはその役割が、墓碑や供養塔に変化していった。多くの場合石塔である。

北条時頼(ほうじょうときより)

 鎌倉幕府の第5代執権(1227〜63)。幕府に引付衆(ひきつけしゅう)を置いて、裁判の迅速化と公正化をはかるなど幕府政治の改革をおこなったほか、有力豪族であった三浦氏を滅ぼして北条氏独裁体制を確立した。民政にも尽力したとされ、このため、諸国巡回の伝説がある。

法道仙人(ほうどうせんにん)

 法華山一乗寺(ほっけさんいちじょうじ)を開いたとされる、伝説上の仙人。他にも数多くの、近畿地方の山岳寺院を開いたとされる。法道仙人についての最も古い記録は、兵庫県加東市にある御嶽山(みたけさん)清水寺に伝わる1181年のものである。

 伝説によれば、法道仙人は天竺(てんじく=インド)の霊鷲山(りょうじゅせん)に住む五百侍明仙の一人で、孝徳天皇のころ、紫雲に乗って日本に渡り、法華山一乗寺を開いたという。千手大悲銅像(千手観音)と仏舎利(ぶっしゃり)、宝鉢を持って常に法華経を誦(よう)し、また、その鉢を里へ飛ばしては供物を受けたので、空鉢仙人とも呼ばれたとされる。室町時代初期に著された『峰相記(みねあいき)』には、播磨において法道仙人が開いた寺として、20か寺があげられている。

法隆寺(ほうりゅうじ)

 奈良県生駒郡斑鳩町に所在する聖徳宗の寺院。聖徳太子が建立した寺院のひとつで、創建年代は7世紀の前半とされる。創建時の伽藍は670年に焼失したことが『日本書紀』に記録されており、金堂、五重塔などがある現在の西院伽藍は、その後に再建されたものと考えられている。西院伽藍は、木造建築としては世界最古のもので、建築のうち西院伽藍と東院伽藍の夢殿が国宝に指定されているほか、仏像、工芸品などに多数の国宝がある。1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界文化遺産に登録。

細川氏(ほそかわし)

 清和源氏(せいわげんじ)の流れをひく、足利氏の支族。足利義季(あしかがよしすえ)が三河国細川村に住み、細川姓を名乗ったことに始まる。足利尊氏(あしかがたかうじ)の挙兵に従ったことから、室町幕府の管領(かんれい:室町幕府で将軍を補佐した最高職)として、讃岐・阿波・河内・和泉などを領国として勢威をふるった。

 応仁の乱後は衰退したが、織田氏、豊臣氏に仕えた後、関ヶ原の戦いでは徳川氏に属し、江戸時代には肥後熊本54万石を領する有力外様大名となった。

菩提寺(ぼだいじ)

 先祖代々の墓を置き、葬式や法事をおこなう寺。