くわばらくわばら

 伝説紀行で神様と仏様の伝説を取り上げることになったとき、いろいろな本を読んでいて、まっ先に目についたのが、「くわばらくわばら」の話であった。この言葉を知らないわけではなかったが、今や日常で使うことなどほとんどない言葉である。落語か何かで聞いたような記憶もあるが、大体、「何かまずいことが起きそうなときに使うのかな」という程度で、具体的に何を意味するのかさえ知らなかったし、近畿ではなく、関東の方の言葉だと思っていた。

 そういうわけで「くわばら」が、三田市(さんだし)の桑原だと知ったときには、ぜひその正体を確かめてみようと思ったのである。

欣勝寺の雷井戸
欣勝寺(門)

欣勝寺(門)

森に包まれた寺

森に包まれた寺

欣勝寺(本堂)

欣勝寺(本堂)

 欣勝寺(きんしょうじ)は、三田市南部、武庫川(むこがわ)左(東)岸の桑原にあって、国道176号線からは東に400mほど離れた緑の丘陵に包まれている。日当たりの良い丘陵のすそは、ひな壇のように水田が並んでいて、その間の細い道を上ると、欣勝寺の門が見える。急速に発展をとげている三田市の市街地と違い、周囲の雑木林と水田が、落ち着いた空気を保ってくれている。古い村のお寺、そういった雰囲気が今でも残っている。

雷井戸

雷井戸

雷井戸(切石の枠)

雷井戸(切石の枠)

雷井戸(看板)

雷井戸(看板)

雷井戸(石碑)

雷井戸(石碑)

雷の子がいた

雷の子がいた

 雷井戸は、お寺の門を入ってすぐ左手にあった。地表から上は切石で縁取りされているが、地下にあたる部分は、人のこぶしの3倍から人の頭ほどの自然石が積まれた、直径1mに足りないほどの小さな井戸である。おそらく地上部分は、新しく作り直されたのだろう。水がずいぶんたまっていたので、井戸の深さまではわからなかった。

 傍にはいわれを書いた看板が立てられ、雷井戸と刻まれた石碑の足元には、小さな雷の人形が、何だか物言いたげな顔ですわっていた。

欣勝寺(境内)

欣勝寺(境内)

鬼面瓦

鬼面瓦

 桑原のあたりに、本当に雷が落ちないのかどうか、僕は知らない。もちろん調べようもないのだけれど、昔の人にとって雷は、正体がわからないだけに恐ろしく、その一方で、雨を恵んでくれる大切な存在でもあったのだろう。足を滑らせて雲から落っこち、和尚さんにしかってもらうことで、桑原村だけには落ちないようになってもらいたい。このお話にはそういう願いがこめられていたのかもしれない。

 というわけで「くわばらくわばら」は、正しくは「ここは桑原欣勝寺、ここは桑原欣勝寺」と唱えなければならないのである。世の中にはいろんな雷があるから、落ちそうなときは是非使ってみていただきたい。もちろん、逆効果ということもあるということをお忘れなく。

武庫川左岸に沿って

 さて三田市から武庫川に沿って下ると、武田尾(たけだお)付近の渓谷を経て大阪平野西部に出る。そこから河内国までは船ですぐ。大和国や山城国も遠くない。このような位置にあって、丹波や播磨(はりま)とも接する北摂・西摂(ほくせつ・せいせつ)の地には、史跡や文化財が少なくない。ニュータウンができて、ここ20年ほどで三田の町の姿は大きく変わったが、武庫川の左岸に沿って、歴史や伝説をめぐってみよう。

 桑原から少し北西へ行った三輪には、三輪神社と三田焼の窯跡がある。

本殿への階段

本殿への階段

三輪神社(本殿)

三輪神社(本殿)

三輪神社(本殿)

三輪神社(本殿)

三輪神社(看板)

三輪神社(看板)

三輪

三輪

まっすぐに続く参道

まっすぐに続く参道

 三輪神社は、三田市内のみならず北摂でも屈指の古社である。奈良時代に、大和国(現在の奈良県)の大神神社(おおみわじんじゃ)から分祀(ぶんし)されたと伝えられ、国造りの神様であり、人々の暮らしの守り神でもあるオオナムチノミコトが祭られている。

 2005年に遷宮祭がおこなわれたということであるが、銅板で葺(ふ)かれた、木の色もまだ新しい社殿は、しかし十分な風格を感じさせてくれる。境内からは、ふもとの鳥居からまっすぐに続く参道と、その周囲に広がる旧市街の中心部が一望できる。この場所は、ちょうど三田盆地の入り口にもあたるから、古代から重要な場所として神が祭られたのかもしれない。

 三輪神社から続く尾根には、江戸時代の後期に三田焼の窯が営まれた。2003年には窯跡が史跡公園として整備され、窯の大きさや内部構造を見学できるようになっている。ここで焼かれた染付磁器や青磁は、京都、大阪などにも出荷されていたという。

三輪明神窯跡(石碑)

三輪明神窯跡(石碑)

整備された窯跡

整備された窯跡

窯跡

窯跡

窯の構造

窯の構造

 公園内には小さいながら展示室があって、出土品の一部を見ることができるほか、陶芸体験もできるから、焼物に関心がある人にはお勧めである。

 三輪神社から武庫川沿いに国道を5kmほど北上し、上井沢の交差点を右折すると、青野ダムに至る。

青野ダムから永沢寺まで
青野ダム記念館

青野ダム記念館

展示室

 青野ダムは、1988年に完成した多目的ダムである。武庫川の小さな支流であった青野川をせき止めてできたダム湖は、今は青々とした水をたたえて千丈寺湖(せんじょうじこ)と呼ばれている。この青野ダム建設にともなって、旧石器時代から中世にまで至る、集落跡、古墳、窯跡など、平地が少ない山間部としては、驚くほど数多くの遺跡が発掘調査された。ちなみにこの地域にある「末(すえ)」という地名は、須恵器(すえき)を焼いていた、その「スエ」が転じたものである。出土品の一部は、青野ダム記念館に展示されていて、考古学ファンにとっては必見である。

 千丈寺湖は、また、ブラックバス釣りの名所である。週末になると、駐車場にはバスファンが車を連ね、湖の周囲は大いににぎわっている。それはそれで楽しい風景なのだけれど、ダムができる前を知っている僕にとっては少々残念でもある。以前は、谷筋の真ん中を細い青野川が流れ、周囲の山の斜面には小さな段々畑が作られて、ひなびた懐かしい山里の風景があった。夏の夜、顔の前の指先も見えないほど暗い川の縁に立つと、無数のゲンジボタルが乱舞していたものである。

 千丈寺湖の東を回ると、湖の北端近くに末西の集落がある。ここの公会堂にお祭りされているのが「末の観音様」である。三田市の伝説の一つで、池の底に沈んでいた観音様を、それとは知らずに踏み台にして遊んでいた子供が腹痛をおこし、不思議に思った村人が、池の底をさらって引き揚げたものだという。また、観音様の中に金が隠されていると思った若者が、観音様を壊そうとして腹痛をおこしたとも伝えられている。

観音様

 一方で観音様は、どんなに日照りが続いても、この村には水があって田畑が良く実るように守ってくれているとも言われている。今では数軒の家が交代でお祭りをしているとのことである。お願いして拝見させていただいたが、思っていたよりも大きく、高さが2m以上もある立派な観音様であった。きらびやかな伽藍(がらん)があるわけではないが、いつまでも村で守り続けてほしい仏様である。

永沢寺(門)

永沢寺(門)

門と池と仏様

門と池と仏様

仁王像

仁王像

 末の村からさらに谷奥へと進むと、母子の集落を抜け、永沢寺(ようたくじ)に至る。もう摂津と丹波の国境に近い、三田市最北端である。

 永沢寺は、室町時代に細川氏によって創建された寺院で、通幻禅師(つうげんぜんじ)を開祖としている。現在の建物は江戸時代中ごろに再建されたもので、広い境内には本堂、開祖堂、書院などが設けられて、落ち着いた雰囲気をかもしだしている。

永沢寺(本堂)

永沢寺(本堂)

永沢寺(本堂)

永沢寺(本堂)

長い廊下

長い廊下

 この通幻禅師という人が、まさしく伝説そのもののような人だということをご存じだろうか。まずその生誕なのだが、「飴(あめ)買い幽霊」というお話を知っている人も多いだろう。「赤ん坊を身ごもった若い母親が死んで、葬られた後に、墓の中で赤ん坊を産み落とす。乳をやれない母親は、幽霊になって夜ごと飴屋に飴を買いにくる」というあのお話である。実はその赤ん坊が通幻だったというのだ。

 また、長じて高徳の僧となった通幻を慕って、竜が女性に姿を変えて説教を聞きに通った後、通幻の教えによって苦しみから解き放たれ、そのお礼にと身の鱗(うろこ)を1枚残していった。その鱗に水をかけて雨乞(あまご)いをすれば、どんなかんばつのときでも雨が降るという伝説も伝えられている。

 雷から観音様、飴買い幽霊から竜の鱗まで、近代的なニュータウンがどれほど広がっても、その周りには、まだたくさんの伝説が生き続けている。