大猪と狩人忠太
ほら穴にかがやく本当の姿

 今から千年以上も前の、延喜(えんぎ)元年のことです。播磨国(はりまのくに)に、かりうどの忠太(ちゅうた)という男が住んでいました。たいそうな弓の名人で、毎日のように山へ入っては、たくさんのえものをとって暮らしておりました。

 ある日のことです。いつものように、忠太がえものを肩から下げて山を下りてくると、仲間のかりうどに出会いました。
 「おい忠太、おまえ、上野の山おくに大猪(おおいのしし)が出るちゅう話を聞いたか」
 「いいや、そんな話は知らん。大体、どれくらい大きいんや」
 「うわさで聞いたんやけど、身のたけが三十尺もあって、山みたいに大きいそうや。なんでも背中にはササがびっしりはえとるらしい。あんまりおそろしいて、近寄ることもできへんのや」

 その大猪の名は、「いざさ王」というのでした。いざさ王は里へ下りてきては田畑をあらし回るので、上野の人たちは困り果てているということです。それを聞いて、忠太は大喜びしました。近ごろますます上達し、ねらったえものはにがさない弓のうで前を、その怪物(かいぶつ)相手にためしてみたかったのです。忠太はさっそく、上野の里へ出かけてゆきました。

 山おくへと分け入って待ちかまえていると、やがてはるか遠くから、ごおーっという山鳴りのような音がひびいてきました。これこそいざさ王にちがいありません。忠太は矢をつがえて待ち構えました。
 
 しかし現れたいざさ王を見て、さすがの忠太もきもをつぶしました。背中に生えた木やササがごうごうとゆれて、まるで山全体が動いているみたいです。けれども忠太が必死の思いで放った矢は、大猪の胸にぐさりとつきささりました。
 ところがいざさ王はびくともしません。そのまま南へ南へと、ものすごい勢いで走ってゆきます。「にがすものか」と、忠太もけんめいに後を追いかけました。

 やがて海へ出ると、いざさ王はそのまま海に飛びこんで泳ぎはじめました。そして播磨灘(はりまなだ)を横切り、鹿ノ瀬(しかのせ)もこえて、とうとう淡路島(あわじしま)まで泳ぎ着いてしまいました。忠太も船に乗って、いざさ王の後を追います。
 いざさ王はそのまま走り続けて、とうとう先山(せんざん)の頂上にまでたどりつき、そこでふっとかき消すように見えなくなってしまいました。

 忠太もその後を追って、山の頂上にやってきました。見ると、矢がささった傷口からこぼれたらしい血のあとがあります。血のあとは、山頂近くにある大きな杉の木の、根元に開いたほら穴まで続いていました。

 「ははあ、あの中にかくれたな」
 忠太はもう一度矢をつがえると、足音をしのばせながらほら穴へと近づいてゆきました。ところが、暗いはずのほら穴の中が、明るくかがやいています。おまけに、手の力がぬけてしまって、どうやっても弓を引きしぼることができません。一体どうしたことだとおどろいているうちに、忠太は、何かに引きよせられるようにほら穴の中へと入ってゆきました。

 「あっ」
 忠太は思わず、手にしていた弓矢を投げ出すと、その場にひれふしてしまいました。ほら穴のおくには、千手観音(せんじゅかんのん)様の像が立っていて、その胸元に、忠太の矢が深々とつきささっているではありませんか。忠太は真っ青になり、ぶるぶるふるえだしました。人々を救ってくださる観音様を、よりによって弓で射るとは、何ということでしょう。

 「ああ、これは日ごろ鳥やけものの命をうばっている私に、殺生(せっしょう)はいけないことだと、観音様が身をもって教えてくださったのだ。何とおそれ多いことだろう」
 忠太は、これまでたくさんの鳥やけものの命をうばったことを、心から悪かったと思いました。そこでさっそく出家し、名前も寂忍(じゃくにん)と改めました。そしてこの観音様をお祭りすることにしました。

 忠太の話は、都の醍醐天皇(だいごてんのう)にまで聞こえました。このありがたい話を聞いた天皇は、さっそく、先山の頂上に大きな寺を建てて、千手観音様を祭るように命じました。これが、先山千光寺の始まりだということです。

 さて、播磨に残された忠太の家族は、いつまでたっても帰ってこない忠太をさがして、淡路島までやってきました。しかし忠太は、家族に会おうともしなかったそうです。先山の近くまで来ながら、会えないことを悲しんだ忠太の子供は、そこにあった石の上に上って先山の方に向かい、父の名をよび続けました。やがてその石が二つに割れてしまったので、今でも、その土地は、「二つ石」と呼ばれているということです。