用語解説一覧

ひょうご伝説紀行に関連する用語解説一覧です。
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【篠山城】ささやまじょう

 篠山市北新町にある近世の平山城。1609年、徳川家康の実子松平康重が家康の命を受けて築城を開始し、15か国20大名を動員して、わずか6か月で完成したという。

 全体の平面は方形で、輪郭式(りんかくしき)と梯郭式(ていかくしき)を融合した形式となっている。本丸、二の丸、三の丸は石垣と土塁で囲み、二の丸と三の丸の間には内堀がめぐる。三の丸の外側に外堀がめぐり、北、東、南には馬出(うまだし)が設けられている。天守閣は当初から建設されなかった。

 初代城主は松平康重。以後8代にわたって松平氏が藩主をつとめ、その後は青山氏6代が藩主となって明治維新を迎えた。

 明治維新後に大書院を除くすべての建物が取り壊され、大書院も1944年に焼失、2000年に復元された。国指定史跡。

【佐用郡】さようぐん

 播磨の北西部に位置し、宍粟郡、揖保郡、赤穂郡と岡山県の英田郡に囲まれた地域。『播磨国風土記』では「讃容郡」として記載されている。古くは「さよ」と呼ばれていた。

 千種川上流に当たる佐用川流域の山間部では、古代から鉄を産出し、製鉄がおこなわれた地域と考えられる。中世には赤松氏が支配し、その後は山名氏、尼子氏、毛利氏などの支配を経て、羽柴秀吉が占領した。江戸時代には三日月藩(1万5000石)が置かれて、幕末まで継続。明治維新により姫路県、飾磨県を経て、明治9(1876)年に兵庫県に編入された。

 2005年10月に、佐用・上月・南光・三日月の4町が合併して、現在の佐用町となった。現佐用郡は、佐用町一町で構成されている。

【山陽道】さんようどう

 奈良時代に政府によって整備された、平城京から大宰府に至る道。古代では最大規模の街道で、幅6〜9mの道路が直線的に設けられていた。平安京に遷都後は、起点が平安京となる。外国の使節が通行することが予想されたため、同様に整備された七街道の中で、唯一の大路に格付けされて最重要視された。途中には56駅が設けられていた。

 江戸時代には、古代山陽道を踏襲して西国街道が整備され、現在の国道2号線も一部で重複しながら、これに沿って設けられている。

【塩野六角古墳】しおのろっかくこふん

 姫路市安富町塩野に所在する、古墳時代後期(終末期)の古墳。標高150〜160mの東面する山腹に、単独で築造されている。1990〜1991年におこなわれた発掘調査により、一辺の長さが3.8〜4.4m、対辺長が6.8〜7.3mの六角形を呈する古墳であることが明らかになった。前面の墳丘裾(ふんきゅうすそ)には列石がみられる。

 中心に、長さ4.4m、開口部幅1.1m、奥壁幅0.8m、高さ1.3mの横穴式石室が設けられている。石室内には礫(れき)を置いて棺台としているが、棺の跡などは見いだされていない。石室内からは、須恵器の長頸壺(ちょうけいつぼ)と坏(つき)が出土し、その形から7世紀中ごろのものとされている。被葬者は不明であるが、『播磨国風土記』に登場する山部氏をあてる説がある。

 六角形の古墳は、ほかに奈良県マルコ山古墳、岡山県奥池3号墳の2基が知られるのみである。

【鹿が壺】しかがつぼ

 地学上は甌穴(おうけつ、ポットホール)と呼ばれる。これは急傾斜の渓流の河床が岩盤であった場合、そのわずかな凹みにたまった礫(れき)や砂が、水流によって旋回することで岩盤をまるく浸食してできる。

 甌穴自体は珍しいものではないが、鹿が壺の場合のように、多数の甌穴が群集する例はまれである。これは、基盤の岩石(流紋岩質溶結凝灰岩)が比較的均質、緻密で、谷の傾斜と同一方向の流理面があることが、甌穴の形成に適していたためとされている。

 姫路市指定天然記念物。

【鹿の瀬】しかのせ

 播磨灘唯一かつ最大の瀬(海域で特に浅い部分)で、最も浅い部分の深度は2m程度とされる。海底は砂質〜砂礫質(されきしつ)で、イカナゴの主要な産卵場となっているほか、タイ、マダコなどをはじめとする多様な魚類の好漁場(明石・淡路の入会漁場)となっている。また近年では、ノリの養殖も盛んである。

【志染の石室】しじみのせきしつ

 志染の窟屋(しじみのいわや)ともいうことがある。

 三木市志染に所在する、自然の岩盤が浸食されてできた岩陰。『播磨国風土記』などでは、父市辺押盤皇子(いちべのおしはおうじ)を大泊瀬皇子(雄略天皇)に殺され、都を逃げのびた億計(をけ)、弘計(おけ)の二皇子が隠れ住んだ場所と伝えている。のちに弟の弘計が23代顕宗天皇、兄の億計が24代仁賢天皇となった。

 現在、窟屋内にはわき水がたまっているが、ここに淡水性藻類の光り藻が発生することがあり、その際には水が金色に輝くことから、「窟屋の金水」と呼ばれている。

【守護】しゅご

 鎌倉・室町幕府で、国単位に置かれた職。初期には惣追捕使(そうついぶし)と呼ばれた。明確な制度として成立するのは、源頼朝が挙兵した直後(1180)に、有力御家人を東国諸国の守護人に任じてからである。

 守護は一国内の軍政を担当し、大番催促(おおばんさいそく:京、鎌倉の警護)、謀反人の追捕、殺害人の追捕を基本的権限とした。これを大犯三箇条(たいぼんさんかじょう)という。南北朝期になると、守護はその任国に対する権限を強め、守護大名へと変質していった。

【性空】しょうくう

 平安時代中期の天台宗の僧(?〜1007年)。九州の霧島山や背振山で修行の後、播磨の書写山に入り円教寺を開いた。花山法皇(かざんほうおう)の2度にわたる行幸をはじめ、多数の支持者を得た。晩年は、姫路市夢前町に弥勒寺を建てて隠棲(いんせい)した。

【聖徳の王】しょうとくのおおきみ

 聖徳太子(574〜622)のこと(『播磨国風土記』印南郡の記述)。

【正福寺】しょうふくじ

 新温泉町に所在する天台宗の寺院。天竜山と号する。848年に、慈覚大師が湯村温泉を開発した際に創建したと伝えられ、湯村温泉の荒湯を見下ろす高台に建つ。本尊は、平安後期の作とされる不動明王立像で、県指定文化財。境内に、正福寺桜と呼ばれる桜があり、県天然記念物に指定されている。

【正福寺桜】しょうふくじざくら

 キンキマメザクラとヤマザクラの自然交配種とされる八重桜で、兵庫県の固有種といわれている。植物学者牧野富太郎により、「Prunus tajimaensis」の学名が与えられている。がく片10枚、1つの花に雌しべが2〜4本ある珍しい桜で、花と赤い葉が同時に育つため、満開のころは桜の木が真っ赤に見えるという。

【照葉樹林】しょうようじゅりん

 温帯に見られる常緑広葉樹林の一つ。森林を構成する木に、葉の表面の光沢が強い樹木が多いのでこの名がある。本来本州の南西部以南では、照葉樹林が極相林(きょくそうりん、その地域で自然の変遷に任せたとき、最終的に到達する森林の姿。その地域の環境に適合して、長期にわたって安定する)であるが、開発や植林を通じてまとまった照葉樹林はほとんどが消失し、一部の山地や寺社の鎮守の森などで断片的に見られるだけとなっている。

【書写山円教寺】しょしゃざんえんぎょうじ

 姫路市書写にある天台宗の寺院。書写山と号する。康保3(996)年、性空上人が開基。伝説によれば性空は、九州で修行して法華経を修めた後、瑞雲(ずいうん)に導かれて書写山に庵(いおり)を結んだとされる。

 10世紀後半に、国司藤原季孝(ふじわらのすえたか)の寄進により法華堂が建設されて以降、堂宇の造営が盛んとなり、講堂、常行堂などの諸堂が建立された。翌年、円教寺の寺号をもって花山法皇の勅願寺となった。その後は、平清盛による一切経の施入、後白河法皇の参籠、後醍醐天皇の行幸など、天皇、貴族の手厚い保護を受けた。1331年には落雷によって堂宇の大半を焼失したが、守護の赤松氏の保護の下に復興に努めて再興した。

 現在、円教寺の国指定文化財は下の通り。

<重要文化財>

 (建造物)
 大講堂・鐘楼・金剛堂・食堂・常行堂(常行堂、中門及び楽屋、舞台からなる)
 護法堂(乙天社及び若天社)2棟・壽量院

 (仏像)
 木造釈迦如来及び両脇侍(わきじ)像
 木造四天王立像
 木造阿弥陀如来坐像(常行堂本尊)

【垂仁天皇】すいにんてんのう

 第11代の天皇。記紀によれば、丹波から日葉酢媛(ひばすひめ)を迎えて皇后としたという。日葉酢媛が亡くなった時、野見宿禰(のみのすくね)の進言に従い、殉死に替えて土で作った人形を置いたとされる。埴輪の起源説話として著名。また『古事記』では、石棺作りや土器・埴輪作りの部民を定めたとしている。このほか、相撲の起源説話、天日槍(あめのひぼこ)渡来、田道間守(たじまもり)の伝説などが知られる。153歳まで生きたとされるなど、伝説的要素が強く、史実性は確かではない。

【菅原道真】すがわらのみちざね

 平安時代前期の公卿(くぎょう)、学者(845〜903)。菅公(かんこう)と称された。幼少より詩歌に才能を発揮し、33歳で文章博士(もんじょうはかせ、律令政府の官僚養成機関であった大学寮に置かれた教授職)に任じられた。宇多、醍醐両天皇の信任が厚く、当時の「家の格」を越えて昇進し、従二位右大臣にまで任ぜられた。しかし、道真への権力集中を恐れた藤原氏や、中・下級貴族の反発も強くなり、左大臣藤原時平が「斉世親王を立てて皇位を奪おうとしている」と天皇に讒言(ざんげん)したことで、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、同地で没した。

【畝】せ

 日本古来の面積の単位。1畝は、約100平方メートル。

【石棺】せっかん

 埋葬する遺体を納めるために作られた、石製の棺。石を組み合わせて作る場合と、一個の石をくりぬいて作る場合がある。日本での最古の例は縄文時代後期にさかのぼる。

 古墳時代には、古墳に埋葬するためのさまざまな形式の石棺が製作された。その主要なものには、割竹形石棺、舟形石棺(ともに古墳時代前期)、長持形石棺(中期)、家形石棺(後期)がある。

【石棺仏】せっかんぶつ

 石棺の部材を利用して作られた石仏。石棺の蓋(ふた)のような板状の石材をそのまま利用して、浮き彫りで石仏をあらわしたものが多い。加古川市、高砂市、小野市、加西市など、加古川流域西部に多く分布する。13〜16世紀に製作されたものが多いと考えられている。

【瀬戸の岩戸の開削】せとのいわとのかいさく

 『出石神社由来記』による伝承。かつて入江、あるいは潟のような状況であった豊岡平野を、瀬戸の岩戸(現在の豊岡市来日岳(くるひだけ)付近とされる)を開削することによって排水し、耕地として開拓したという内容である。

【仙人】せんにん

 中国の神仙思想や道教の理想とする人間像。人間界を離れて山の中に住み、不老不死の法を修め、神通力を得てさまざまな術を有する人。また仏教では、世俗を離れて山林に住み、神通力をもつ修行者のことを指す。仏を最高の仙人という意味で、「大仙」、「金仙」ということがある。

【相応峰寺】そうおうぶじ

 新温泉町に所在する天台宗の寺院。観世音山と号する。浜坂湾に突き出た岬にある、観音山山頂に本堂、そのふもとに里坊がある。行基が737年に開いたとされる。本堂には平安時代前期の十一面観音立像があり、国重要文化財に指定されている。

【装飾付須恵器】そうしょくつきすえき

 古墳時代後期に見られる須恵器の一種。大型の壺(つぼ)、高坏(たかつき)、器台などに、ミニチュアの壺や人物・鳥・動物などの小像をつけたもの。ミニチュアの壺を多数つけたものは、「子持須恵器」と呼ばれることもある。

【袖壁】そでかべ

 建物から外部へ突出させる幅の狭い壁。目隠し・防火・防音などのために用いられる。