用語解説一覧

ひょうご伝説紀行に関連する用語解説一覧です。
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【廃仏毀釈】はいぶつきしゃく

 排仏毀釈とも書く。明治の初年、政府による神仏分離、神道国教化政策によっておこった、仏教に対する弾圧・排斥運動。1868年の神仏分離令によって、全国各地で神官や国学者などが中心となり、寺院、仏像、仏具などを破壊し、多数の寺院が廃寺となった。1875年に信教の自由が通達されて鎮静化。

【箱木千年家】はこぎせんねんや

 神戸市北区山田町衝原にある中世民家。「箱木家住宅」が正式名称である。箱木家は、山田庄の地侍で、14〜15世紀にはこの地域の中心的な一族であったとされる。住宅は、かつては山田川に臨む台地上にあり、江戸時代にはすでに千年家と呼ばれていた。

 しかし1970年代におこなわれた呑吐(どんと)ダムの建設によって、住宅が水没することとなったため、解体、移築されたものである。

 移築の際におこなわれた調査により、姫路市安富町の皆河千年家(みなごせんねんや)とともに、現存する日本最古の民家であることが確認された。また解体前の箱木家住宅が、中世に建てられた母屋と、江戸時代中期に改築されたはなれを、江戸時代末期に一棟につないだ建物であったことも明らかとなっている。移築後は母屋とはなれを分離して、建築当初の状況が再現されている。国指定重要文化財。

【土師氏】はじし

 古代の豪族。姓(かばね)は臣(おみ)であったが、後に連(むらじ)、次いで宿禰(すくね)となった。アメノヒボコの14世孫である野見宿禰(のみのすくね)を始祖とし、土師部を率いて土器(土師器)、埴輪の製作や、天皇の葬儀に従事した。奈良時代以降、土師氏から菅原氏、秋篠氏、大枝(大江)氏などが分かれた。

【埴輪】はにわ

 古墳に立て並べた、日本固有の焼物。岩手県から鹿児島県にかけて分布する。古語で土あるいは粘土を意味する「ハニ」に通ずる。筒状の円筒埴輪と、人をはじめさまざまな器物や動物をかたどった形象埴輪とがある。

 起源は円筒埴輪の方が古く、弥生時代末に埋葬儀礼に用いられていた器台と壺(つぼ)が祖形である。形象埴輪は古墳時代前期後半頃から登場することから、野見宿禰を埴輪の始祖とする『日本書紀』の伝承は事実と相違する。

【播磨灘】はりまなだ

 兵庫県の播磨地域に面する、瀬戸内海東部の海域。東を淡路島、西を小豆島(しょうどしま)、南を四国によって画されている。面積は約2500平方キロメートル。近畿、中国、四国、九州を結ぶ重要な航路がある。

【播磨国風土記】はりまのくにふどき

 奈良時代に編集された播磨国の地誌。成立は715年以前とされている。原文の冒頭が失われて巻首と明石郡の項目は存在しないが、他の部分はよく保存されており、当時の地名に関する伝承や産物などがわかる。

【日岡古墳群】ひおかこふんぐん

 日岡山山頂からふもとにかけて分布する古墳群。主として古墳時代前期〜中期にかけて築造されたと推定されている。日岡山頂には、陵墓として管理されている褶墓古墳(日岡陵)がある。全長80mの前方後円墳で、公開されている測量図からは整った古式前方後円墳とされているが、明治時代初頭に修築した際、円墳であったものに前方部を付け加えたという説もある。古墳時代前期の加古川下流地域を考える上で、重要な古墳群である。

【日岡山】ひおかやま

 加古川市日岡に所在する独立丘陵。加古川に面し、標高は51m前後である。山頂からふもとにかけて、日岡古墳群が広がっている。『播磨国風土記』によると日岡の語源は、景行天皇(応神天皇とする説もある)がこの丘に登ったとき、鹿が「比々(ヒヒ)」と鳴いたためだという。現在一帯は、公園としてさまざまな施設が整備されている。

【東求女塚古墳】ひがしもとめづかこふん

 神戸市東灘区住吉宮町に所在する、古墳時代前期の前方後円墳。住吉川右岸の海岸線に近い平地にある。墳丘の破壊が著しいが、全長約80m、後円部直径47m、前方部幅42mと推定されている。

 明治初年までは墳丘が残されていたが、壁土採取のために掘削され、その際に三角縁神獣鏡、内行花文鏡、画文帯神獣鏡などの銅鏡6面、車輪石、鉄刀、勾玉(まがたま)、人骨などが出土した。また1900年ごろにも、2面の鏡片が出土している。こうした破壊の際に、後円部より石材が出土していることから、埋葬施設は竪穴(たてあな)式石室であったと推定されている。

 さらにその後、阪神電車による前方部の土取りがおこなわれ、後円部もしだいに削平を受けて、ほとんど痕跡をとどめないまでになった。1982年に前方部の一部が発掘調査され、かつて周濠(しゅうごう)が存在したこと、墳丘に葺石があったことなどが明らかになった。

 東求女塚古墳が築造されたのは、出土遺物や前方部の形態などから、4世紀後半でもやや新しい時期とされている。

【光り藻】ひかりも

 淡水産の微細藻類で、不等毛植物門、黄金色藻綱に属する。水面に浮かんだ部分が光を反射して黄金色に輝く。生活史の1段階で、水をはじく性質をもつ脚をのばすため、この時期に体が水面に浮かぶ。国内で初めて発見された千葉県竹岡では、国の天然記念物に指定されている。

【兵庫県レッドデータブック】ひょうごけんれっどでーたぶっく

 兵庫県の健康生活部環境局自然環境保全課が編集した、県下において保全・保護の重要度が高い環境、生物を選定・収録した報告書。2003年に改訂版が刊行されている。選定されているのは、動植物種、植物群落、地形、地質、自然景観で、それぞれ基準を設定して重要度別に区分されている。

【兵庫の貴重な景観】ひょうごのきちょうなけいかん

 兵庫県の健康生活部環境局自然環境保全課が選定した、『改訂・兵庫の貴重な自然 兵庫県版レッドデータブック2003』で選定された景観。ここでは景観を、「視覚的な美しさと緑や自然の質(生態系)を包合した概念」としてとらえており、景観資源的価値と自然的価値の両面から評価されるものを貴重な自然景観とし、A〜Cランクで合計207か所が選定されている。

【屏風ヶ浦】びょうぶがうら

 明石市八木から江井ヶ島に至る約1.4kmの海岸線。海に面して、高さ10mほどのがけ面が続くため、この名がある。

【平野祇園遺跡】ひらのぎおんいせき

 神戸市兵庫区の平野交差点付近に広がる遺跡。1993年に発掘調査がおこなわれ、貴族の庭園と考えられる石組みの池跡がみつかった。周辺からは大量の土器をはじめ、瓦、中国産陶磁器類も出土したが、建物跡はまだ確認されていない。福原京の一部を形成していた、平氏一門の邸宅などと関連が深いと思われる。

【褶】ひれ

 比礼・領巾とも書く。

 古代、女性が着用したスカーフの一種。薄い細長い布で作られ、女性が首から肩にかけてめぐらせ、長く垂らした。装飾的な効果だけではなく、これを振ることで破邪の呪力があるとされていた。中世以降はしだいに使用されなくなった。

【尋】ひろ

 日本古来の長さの単位。1尋は約1.82m。

【福原京】ふくはらきょう

 平安時代末のわずかな期間、現在の神戸市兵庫区に置かれていた都。平清盛は、1180年6月にこの地へ遷都したが、実質的な都の造営はおこなわれず、同年11月に再び京都へ戻った。1183年に平氏が都落ちした際、福原は焼き払われた。

【藤無山】ふじなしやま

 宍粟市と養父市の境界をなす山地にある山。標高は1139.2m。若杉峠の東にある、大屋スキー場から尾根筋に登るルートが比較的平易だが、ルートによっては難路も多い、熟達者向きの山である。尾根筋付近は植林地となっている。

【藤原豊成】ふじわらのとよなり

 奈良時代の貴族(704〜766)。難波大臣。737年におきた天然痘の流行で父と兄弟が急死したために、藤原氏の中心人物として浮上した。

 749年に右大臣となったが、弟藤原仲麻呂と対立して政権の外に押し出され気味となり翌年の橘奈良麻呂の乱に連座して大宰府に流されることになった。しかしこれに抗議し、「病気」と称して難波にあった自分の別荘に籠ったため、大宰府行きは無期延期状態となり、そこで8年間の隠遁(いんとん)生活を送った。764年、仲麻呂が道鏡排斥に失敗して殺害された後(藤原仲麻呂の乱)、従一位右大臣として政権の中枢に復帰した。

【古法華石仏】ふるぼっけせきぶつ

 加西市西長町古法華に所在する、白鳳期(7世紀後半)の石仏。浮彫如来像および両脇侍(わきじ)が、この地域に産する流紋岩質溶結凝灰岩に刻まれており、日本の石仏中、最も古いものの一つとされる。過去に火災に遭っており、一部が剥落している。

 縦102cm、横72cm、厚さ20cmの板石の表面に、高さ46cmの中尊と、蓮華座上に立つ脇侍を半肉彫りとし、中尊の上に天蓋、脇侍の上に三重の塔を刻んでいる。

 この三尊石仏上が、錣(しころ)葺きの屋根をかたどった石造の屋蓋に覆われていることから、これらは三尊石仏を奥壁とする石造厨子(ずし)として作られたと考えられており、その形式は法隆寺の玉虫厨子を想起させるという。1951年国指定重要文化財。

【分水界・分水嶺】ぶんすいかい・ぶんすいれい

 雨が、二つ以上の水系へ分かれて流れる境界。通常は山の稜線(りょうせん)が分水界となる。

【平荘湖古墳群】へいそうここふんぐん

 加古川市平荘町の人造湖である平荘湖とその周辺に分布する古墳群。平荘湖のために約50基が水没した。最も古い古墳は、5世紀後半にさかのぼるが、大部分の古墳は6〜7世紀に築造されたものである。平荘湖古墳群の中には、百済系といわれる初期の須恵器を出土した池尻2号墳、金銅製(こんどうせい)の馬具、金糸などを出土した池尻15号墳、金製垂飾付(たれかざりつき)耳飾を出土したカンス塚古墳など、注目される古墳も多い。

【弁慶】べんけい

 鎌倉時代前期の僧(?〜1189)。源義経の従臣で、武蔵坊と号した。『平家物語』、『義経記』などで豪傑として描かれて伝説化した。それによれば、義経に従って数々の軍功を立て、衣川の戦いで戦死したとされる。その生涯、事跡などについては伝説的な部分が多い。

【法皇】ほうおう

 正式には太上法皇という。太上天皇(天皇の位を譲った人。略して上皇という。)が出家した場合の称。

【宝篋印塔】ほうきょういんとう

 本来は「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」を納めるための塔。日本では平安時代末ごろから作られるようになり、鎌倉時代中ごろからはその役割が、墓碑や供養塔に変化していった。多くの場合石塔である。

【法道仙人】ほうどうせんにん

 法華山一乗寺を開いたとされる、伝説上の仙人。他にも数多くの、近畿地方の山岳寺院を開いたとされる。法道仙人についての最も古い記録は、兵庫県加東市にある御嶽山清水寺に伝わる1181年のものである。

 伝説によれば、法道仙人は天竺(てんじく=インド)の霊鷲山(りょうじゅせん)に住む五百侍明仙の一人で、孝徳天皇のころ、紫雲に乗って日本に渡り、法華山一乗寺(ほっけさんいちじょうじ)を開いたという。千手大悲銅像(千手観音)と仏舎利(ぶっしゃり)、宝鉢を持って常に法華経を誦し、また、その鉢を里へ飛ばしては供物を受けたので、空鉢仙人とも呼ばれたとされる。室町時代初期に著された『峰相記(みねあいき)』には、播磨において法道仙人が開いた寺として、20か寺があげられている。

【法華経】ほけきょう

 妙法蓮華経の略称。釈迦の耆闍崛山(ぎしゃくつせん)における8年間の説法を集めたものとされる。この経典の霊験功徳は、どのような障害も克服できると信じられている。日本では606年に聖徳太子が講経して以来重視され、諸国に法華滅罪の寺(国分尼寺)が建立された。天台宗、日蓮宗などが、この経典を根本として成立。

【法華山一乗寺】ほっけさんいちじょうじ

 兵庫県加西市にある天台宗の寺院。西国三十三箇所第26番、および播磨西国三十三箇所第33番札所である。山号は法華山、本尊は銅造聖観音立像。

 開基は法道仙人とされる。寺伝によれば法道仙人は、大化5(649)年に孝徳天皇に召されてその病気平癒を祈ったが、その霊験があったため、翌年天皇の勅願により堂宇が建立されたという。

 この説話が史実であるとは考えにくいが、本尊の銅造聖観音立像は白鳳期の作とされるため、寺の開基もこの時期だと言われている。北方2.5kmの笠松山山麓には、「古法華(ふるぼっけ)」の地名が残り、白鳳期の石仏も現存するため、一乗寺は本来この付近にあったと言われている。現在の位置に移った年代は、現存最古の建造物である三重塔(1171年建立)以前であろう。

 1523年には、兵火によって堂宇を焼失したが、1562年に赤松義祐により再興。さらに火災を受けるが、1628年に姫路城主本多忠政の援助で本堂などが復興した。

 国宝に指定されている三重塔は、この形式のものとしては日本国内屈指の古塔である。

 下記のような国宝、重要文化財のほか、県指定文化財多数。

<国宝>
三重塔・聖徳太子及天台高僧画像

<重要文化財>
金堂(本堂)・護法堂・弁天堂・阿弥陀如来五尊画像・五大力吼画像・聖観世音菩薩立像・ 木造法道仙人像・僧形座像・石造五輪塔