鹿が壺から安志の里へ 〜山間に息づいた「風土記の里」を訪ねる〜

姫路から北へ

 姫路市の西部から国道29号線を北上すると、やがて道は林田川(はやしだがわ)を渡って、その西に沿うように続いてゆく。雑木林と植林された杉や檜(ひのき)が混じる里山が、何となく心の落ち着きを感じさせて、まるで故郷に帰ったような気持ちにさせてくれる道である。やがて山が川へ迫るところを巻くように、道がカーブする「狭戸(せばと)」を通り過ぎると、『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』に記された安志里(あんじのさと)である。

 「安志(あんじ)」の交差点で国道と分かれ、中国道をくぐって、林田川の源流へと続く道を行く。この付近では、林田川は清流である。6月にはゲンジボタルの群舞が見られ、蛍狩り(採集ではなく眺めて楽しむことをいう。念のため。)にはよい場所である。

 谷が狭まり、道が山腹に取り付いた先に、安富ダムとダム湖がある。湖面を見下ろしながら、カーブする道を行くと、門柱のように立つ巨岩のわきを通る。その先が、関の村である。

関の村と鹿が壺
鹿が壺

鹿が壺

 関は、林田川最上流部の谷に沿った小さな村で、のどかさと、山村の清々しい空気があふれている。毎年7月24日ころには、村中でいっせいにタイマツに火をともして、火の安全、五穀豊穣(ごこくほうじょう)や無病息災などを祈願する、荘厳な伝統行事「まんど(関の火祭り)」がおこなわれるが、最近ではこれに合わせてしの笛のコンサートなども催されたようである。その関の村の奥に車を停めて、険しくなる道をたどると、鹿が壺である。

鹿が壺(全景)

鹿が壺(全景)

鹿が壺(案内板)

鹿が壺(案内板)

 鹿が壺は、巨大な岩盤の上を走る流れが、気が遠くなるような年月をかけて刻んだものだ。急斜面の岩盤の所々にある階段状の場所で、流れ落ちてきた石がたまる。その石が激しい流れによって、くるくると回るように動き、硬い岩盤にぶつかってわずかずつ削りとってゆき、やがて丸い穴がうがたれる。その繰り返しによって、大小十数個の穴ができたのである。岩盤も削られるが、石も磨かれる。よく見てみると、小さな穴の中にも、必ず丸くなった石が入っている。

 地学の世界では「ポットホール」と呼んで、必ずしも珍しい現象ではないそうだけれど、これほどたくさんのポットホールが集まっている場所は、そう多くないだろう。昔、この不思議な光景を見た人たちが、想像力をかきたてられたのもわかる気がする。

 最大の穴が鹿ケ壺(しかがつぼ)。「鹿が寝ている姿に似ている」という解説を読んで、その気になって見れば、確かに頭と、脚と、尾と、というふうにたどることができる。頭のちょうどよいあたりの岩に亀裂が走り、角のように見えるのがポイントであろう。それにしても、ずいぶん丸々と肥った鹿である。おそらく、いくつかのポットホールが順番に作られて、それがうまい具合につながった結果だと思われる。

 それにしても、これを鹿に見立てた伝説は、『播磨国風土記』が編纂された奈良時代にはもう伝説になっていたのだから、それよりはるか前にできたものに違いない。今でもそれが鹿の姿に見えるということは、少なくとも千数百年もの間、 穴の形はほとんど変わっていないということだから、こうした穴がうがたれるためには、さらに一けた、二けた長い年月がかかるに違いない。

 その悠久な時間を知っているのは、安志の里の姫神様だけかもしれない。

 
千年家
皆河の千年家(全景)

皆河の千年家
(全景)

皆河の千年家

皆河の千年家

 関の村から帰路をたどりながら、いくつか訪ねてみたいところがある。この千年家(せんねんや)もそのひとつ。皆河(みなご)の集落のはずれに、ぽつんと見える茅葺(かやぶき)屋根である。室町時代末に建てられたそうだから、およそ450年前ということになろうか。民家としては日本でも屈指の古さで、国の重要文化財に指定されている。高い棟から長くのびた屋根と低い軒の曲線が、背景の山々と相まってとても美しい。土・日・祭日であれば内部も公開されている。

 実はこの千年家にも伝説がある。この家の床下には「亀石(かめいし)」という大岩があって、いく度かの火難の折には、水を噴出して家を守ったというのだ。400年以上もの間、もっとも恐るべき火災を免れてきたことが、そんな伝説を生んだのだろうか。残念なことにその亀石を見ることはできなかったが。

 
安志姫神社
安志姫神社(鳥居)

安志姫神社(鳥居)

安志姫神社(境内)

安志姫神社(境内)

安志姫神社(拝殿と本殿)

安志姫神社(拝殿と本殿)

 安志集落から東へ少し行った、三森(みつもり)の集落に祭られているのが、安志の里を守る姫神様である。『播磨国風土記』の伝説によれば、昔、伊和大神(いわのおおかみ)が安志姫神を見初めて求婚したのに、安志姫がこれを断ったため、怒った大神は林田川の源流を石でせき止めて三方の里へ流れるようにし、そのせいで林田川は水が少ないのだとされている。

 結婚を断られたくらいで、ずいぶんひどい仕打ちだが、この伊和大神という人は、佐用郡(さようぐん)でも佐用都姫(さよつひめ)神に稲作りの競争で負けて追い出されているし、どうも女性運はなかったようだ。

安志姫神社(参道)

安志姫神社
(参道)

狛犬

狛犬

 本殿へ続く階段はすっかりこけむしている。この神社に祈願すると、お乳がよく出るようになるとも言われていて、境内にもご神木の「乳の木」が祭られている。里を守り、里人とともにあった姫神様らしい穏やかな空気が漂っていた。

 
塩野と六角古墳
塩野六角古墳(遠景)

塩野六角古墳(遠景)

塩野六角古墳からの眺望

塩野六角古墳からの眺望

 安志里でいちばん平地が広いのが、塩野(しおの)から植木野(うえきの)のあたりである。六角古墳は、この平野を見下ろす山腹にある。

塩野六角古墳(復元された石室)

塩野六角古墳(復元された石室)

 1990年に発掘されるまでは、まったく無名の古墳であったが、六角形という特殊な形であることが判明して、脚光をあびた。7世紀中ごろに築かれたということで、葬られた人はわからないが、その時代を考えると、まさしく風土記の伝説を語り伝えていた世代だろう。古墳から長い石段を降りながら、ふとそんなことを考えた。