法道仙人

 法道仙人(ほうどうせんにん)はインド出身だということになっている。鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢仙人(からはちせんにん)とも呼ばれ、不思議な術を使う超能力の持ち主であった。

 いろいろな寺の縁起などによると、推古天皇(すいこてんのう)のころに日本へ渡ってきたとされているから、6〜7世紀の人物ということになるが、本当の事跡や没年、墓所などすべて不明で、伝わっているのはその名前と仙術にまつわる伝説ばかりである。つまり幻のような人なのである。むしろ実在かどうかさえわからない。第一、なぜ彼は「法道上人」や「僧法道」ではなく、「仙人」なのだろうか。

 播磨国(はりまのくに)の山には、法道仙人を開山・開基と伝える寺が多い。ちょっと数えただけで十や二十は挙げられるだろう。実際、彼が開いたと伝える寺院は、県下に110か所以上あるという。また、彼が日本に渡るときに、共に渡ってきた「牛頭天王(ごずてんのう)」は、姫路市の広峰神社(ひろみねじんじゃ)に祭られ、その後、八坂神社(やさかじんじゃ)中の座に祭られたとされているから、播磨国がとりわけ仙人と関わりが深いことは間違いない。

 伽藍(がらん)を構えた寺院だけでなく、あちこちにある不可思議な自然物が、法道仙人と結びつけて理解され伝えられていることは、仙人に対する素朴な信仰がこの地の人々にとっても身近であったことを示している。

法華山一乗寺
日本真景・播磨・垂水名所図帖

日本真景
播磨・垂水名所図帖

播州名所巡覧図絵

播州名所巡覧図絵

 その伝説の始まりは、法華山一乗寺(ほっけさんいちじょうじ)であった。法道仙人が日本にやってきたとき、最初に発見した「霊地」が一乗寺背後の法華山であり、寺伝では孝徳天皇(こうとくてんのう)の勅願により、650年に開基されたということになっている。だとすると、まさしく法道仙人来日後間もない時期ということになる。

 法華山は、「八葉蓮華(はちようれんげ)の形をした霊山」と言われる。山頂は標高243mほどと、さして高くない山であるが、地図で見るとなるほど、谷が複雑に入り込んで、「八葉」に見えないこともない。もっと特徴的なのは、この山がまわりを満願寺川(まんがんじがわ)や法華山谷川(ほっけさんたにがわ)などの河川に囲まれ、周囲のどの山ともつながっていないということである。山中にありながら独立した山塊。そして入りくんだ谷。こんな景観が、「八葉蓮華」と称される元だったのだろう。

一乗寺(参道)

一乗寺(参道)

一乗寺(三重の塔)

一乗寺(三重の塔)

 それにしても「八葉」の形は、空からでなくてはわからないと思うのだが、やはり仙人は、空を飛んだのだろうか。

 一乗寺へはバスの便もあるし、加古川市(かこがわし)や加西市(かさいし)側からの道も、充分に整備されている。バス停から北へのびる整備された参道を歩くと、すぐに、常緑樹のトンネルに覆われた階段がある。そこを登ると、常行堂がある広場になる。常行堂は聖武天皇の勅願で建てられたとされるが、何度か焼失して、現在の建物は明治時代に再建されたものである。

 そこから、少し急な第二の階段を登ると、国宝三重の塔へと導かれる。平安時代末に建てられた塔は、ゆったりとした安定感がある優美なもので、平安から中世建築への移行期の姿をよくとどめている。

 本堂や開山堂(かいさんどう)へはさらに階段を登るのだが、取材時(2006年)には本堂が改修工事中のため、立ち入ることができず残念であった。秘仏を祭る本堂や、さらに奥にある開山堂は、森閑とした山岳寺院の雰囲気をたたえていて、厳粛な気持ちにさせられる場所である。2007年には工事も完了するということなので、再会の日を楽しみに待つことにしたい。

古法華の石仏

古法華石仏

古法華石仏

 この一乗寺が創建された当時は、さらに北の笠松山(かさまつやま))のふもとにあったようだ。その場所ははっきりしないが、ふもとの古法華自然公園内には、7世紀後半に作られた古法華石仏(重要文化財)があることからも、この山の周辺に飛鳥〜奈良時代の寺院があったことは確かだとされている。里山の自然を残すこの公園は、散策路も整備され、秋の紅葉の美しさは格別である。

投松
投げ松

投げ松

 一乗寺からそう遠くない加古川市志方町の大澤には、「法道仙人の投げ松(なげまつ)」が祭られている。県道高砂北条線を北上して、投松(こちらは「ねじまつ」と読む)の交差点を過ぎ、山陽道をくぐったすぐの所を右折すると、村を通り過ぎた所にお堂があって、その中に「投げ松」が鎮座している。

 「投げ松」は、枯木である。が、どう見ても奇妙な松だ。幹も枝もうねうねと曲がりくねっている。曲がりすぎて、蛇のとぐろのようになった部分もある。この木が生きていたときには、ずいぶん奇妙に見えただろう。伝説では、法道仙人が放り投げた松ということになっているが、なるほどこのねじ曲がった幹や枝の理由を、放り投げられたせいにしたわけだ。

 それにしてもかなりの巨木であったらしい。これほど曲がりくねったのは、この木だけが持つ性質だろうか。かなり以前に枯れたようだが、今も枝の断面から松やにが流れているのは驚きである。

 
法道仙人の手形石
札馬神社

札馬神社

法道仙人の手形石

法道仙人の手形石

 法道仙人の手形石は、投げ松から少し県道を戻った、札馬神社(さつうまじんじゃ)の境内にある。この神社は山陽道建設のために現在の場所へ移転したが、その際に手形石も移されたようだ。

手形?

手形?

 本殿前に無造作に置かれた石の一部に、まるでヒトデのような形の「手形」が彫り込まれている。石自体は凝灰岩の板石で、見たところどうやら古墳から掘り出した石棺のふたのようである。石棺にこんな彫り込みがされることはないから、後世のだれかが彫ったのだろうけれど、その目的がわからない。

 手形石や投げ松の近くには、法道仙人が乗ってきた馬のひづめ跡や、法道仙人の石船などという物もあるそうだから、探してみるのもいいかもしれない。さらに南に下ると、法道仙人の鉢を招いて供物をささげたという、生石(おおしこ)の大神が祭られた生石神社(おうしこじんじゃ)もある。昔の人が残してくれた謎は、大抵迷宮入りであるが、空想の楽しさを与えてくれることは確かだ。

生石神社

生石神社

日本真景・播磨・垂水名所図帖

日本真景
播磨・垂水名所図帖

 
米塚堂
武蔵生誕の地の石碑

武蔵生誕の地の石碑

米塚堂

米塚堂

米塚堂の碑

米塚堂の碑

 高砂市(たかさごし)の米田町米田(よねだちょうよねだ)には、法道仙人が飛ばした米俵が墜ちたという場所に、米塚堂が建てられている。米田天神社(よねだてんじんじゃ)から少し南へ下った場所、「宮本武蔵生誕地」という巨大な石碑の近くにある、米塚と書かれた小さな堂と傍にある伝承を記した碑が、法道仙人の名残である。

 
鴨神社と梶原の大イチョウ
梶原の大銀杏

梶原の大銀杏

イチョウの木

イチョウの木

 舞鶴道(まいづるどう)を北上して、丹波第一トンネルを抜けると、視界が一気に開けて氷上低地(ひかみていち)が一望できる。春日インターチェンジから出て、国道175号線をさらに北上すると、正面に見える鉢を伏せたようななだらかな山が小富士山(こふじさん)で、梶原(かじわら)の村はこの山の北側にある。

 梶原の村はずれにある鴨神社(かもじんじゃ)は、10世紀に編集された延喜式(えんぎしき)に記録のある古い神社である。高い木が茂る神社の本殿から少し離れた、一の鳥居のわきに、大きなイチョウの木が立っている。

イチョウの木と鴨神社一の鳥居

イチョウの木と
鴨神社一の鳥居

 本によっては樹齢1500年と書かれているが、イチョウは中国が原産地で、日本に伝わってきたのは奈良時代のこととされているから、この数字は少し大きすぎるように思う。幹周りが5.8mと周囲を圧倒する巨樹だが、その長寿のせいで傷みも激しく、大規模な治療が施されたとのことで、その治療のあとが痛々しい。けれども村の人たちに守られた木は、これからも静かに歴史を刻んでゆくことだろう。伝説もまた、この木とともに生き続けるに違いない。