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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第97回:線路はつづく−古レールを再利用した鉄道構造物2− 2018年4月15日

事業企画課長 鈴木 敬二

 

 鉄道のレールの側面にはレールを生産したメーカーや製造年月日などが刻印され、古い輸入レールにはそれを発注した鉄道会社名が記されている例も見られます。古い輸入レールなどは駅ホーム上家を支える柱や梁に再利用されていることがあり、これらを読み取っていくとそのレールの来歴がわかる、という文章を1月のコラムに書きました。前回は兵庫県内のJR線の駅の事例を中心に記しましたが、今回は県内の私鉄の駅の事例を紹介し、そこから何がわかるのかを見てみたいと思います。

 

(1)阪神電鉄岩谷駅ホーム上家の支柱に再利用されたレール
刻印=CARNEGIE 1904 ET | H.D.T.K.

 

 まずは阪神電鉄の事例を紹介します。岩屋駅は阪神本線が神戸三宮に向かう地下路線の起点となる駅であり、兵庫県立美術館の最寄り駅として多くの方に利用されています。平成13年(2001)に駅の改良工事が行われましたが、下りホームはかつてのホームが使用されています。その屋根を支える柱などには古レールが再利用されており、そこにみられる多様な刻印の中で見つけたのが写真(1)です。

 さて大阪梅田と神戸三宮を結ぶ阪神本線は明治38年(1905)に開通しますが、写真1のレールはその前年に、アメリカのUSスチールによって製造されたことがわかります。なおUSスチールの設立は明治34年(1901)。当時「鋼鉄王」と呼ばれたアンドリュー・カーネギーが保有する製鉄会社「カーネギー鉄鋼会社」をはじめとし、複数の製鉄会社が合併して誕生したメーカーで、現在でもアメリカ合衆国最大級の製鉄会社として存続しています。USスチール合流後も、レールの刻印には“CARNEGIE”と元の社名が記されている点が興味深く感じられます。

 このレールの刻印右端にはH.D.T.K.の文字が記されています。カーネギー製のレールの場合、この位置にはレール製造を発注した鉄道会社の略号が記されることが多いです。このレールは阪神電鉄の駅に再利用されていることを考えると、H.D.T.K.はH(阪神).D(電気).T(鉄道).K(株式会社)を意味するものと推測されます。

 もっとも岩屋駅には、国鉄の前身である官設鉄道を所管した国の省庁発注のレール(「工」または“I.J.G.R.”などの文字が目印)が数多く存在し、これら他社線のレールが阪神の駅に混入していることは事実ですが、逆にH.D.T.K.は阪神電鉄以外に該当する鉄道会社が考えられず、他社線の駅でも滅多にその刻印を目にすることがないことから、このレールは阪神電鉄が発注したレールであり、その製造年から同鉄道の開業のために調達されたレールのうちの一本と考えるのが妥当といえるでしょう。(ちなみに阪神電鉄が発注したレールの刻印には、“HANSHIN”の銘があるものも知られています。)

 

(2)山陽電鉄霞ヶ丘駅ホーム上家の支柱に再利用されたレール
刻印(表)G.H.H W 1922
(裏)MEIKI D.K. 60lbs A.S.C.E. 6040 O.H.

 

 神戸市街地と姫路を結ぶ山陽電鉄の本線は、かつての神戸側の起点であった兵庫(電鉄兵庫駅)と明石の区間は兵庫電気軌道、明石〜姫路間は神戸姫路電気鉄道というように、明石を境に東と西とでそれぞれ別の会社が敷設した路線がもとになっています。神戸姫路電鉄の開通前は明姫電鉄という社名でしたが、この明姫電鉄の社名が入った古レールが、山陽電鉄の霞ヶ丘駅をはじめとする各駅で再利用されています。

 上の写真が明姫電鉄の発注したレールです。通常、レールの刻印はレールの片方の側面にしか見られませんが、この明姫電鉄が発注したレールは両側に刻印が認められます。片側にはレール製造会社と製造年月が記されます。この場合、レールを製造したのはドイツのルール工業地帯にあったG.H.H.(グーテホフヌングスヒュッテ)という会社です。G.H.H.はわが国の官営八幡製鉄所の設立に際し技術協力を行っていたことで知られています。また製造年である大正11年(1922)は、明石〜姫路間が開通する前年にあたります。いっぽう裏面の刻印は、レールを発注した鉄道会社である明姫電鉄の名称と、製品の規格〔アメリカ土木学会の規格に準拠した60ポンドレール(1ヤードあたりの重量)〕、および平炉(Open Hearth)とよばれる炉で鉄の精錬が行われたことを示しています。つまりこのレールは、山陽電鉄・明石〜姫路間の前身である明姫電鉄が鉄道開業のためにドイツの製鉄会社に発注して調達したレールのうちの一本と判断されます。

 山陽電鉄の各駅には1922年の刻印がある他社製のレールとして、同じドイツのクルップ社と、アメリカのUSスチール(テネシー)の刻印も数多く認められます。

 

(3)山陽電鉄の架線柱として再利用された溝付きレール

 

 溝付きレールは路面電車の路線を道路との併用区間に敷設する際に用いられるレールです。写真の溝付きレールは山陽塩屋駅付近にて架線柱として再利用されているものです。潮風への対策のためか塗装が厚く刻印の確認は困難でしたが、これらのうちの2本に、なんとか“LORAIN STEEL”の文字だけを読み取ることができました。やはりUSスチールに属するロレイン社は、日本向けの路面電車用レールのメーカーとして知られています。

 山陽電鉄の前身である兵庫電気軌道は、道路内に敷設される鉄道(路面電車)として建設されたため、道路との併用区間が多く存在しました。今からちょうど50年前の昭和43年(1968)に神戸高速鉄道が開通した際に電鉄兵庫〜西代間が廃止され、山陽電鉄の併用軌道の区間はほぼ解消されたのではないでしょうか。この溝付きレールの製造年を読み取ることはできませんでしたが、かつて軌道として建設された山陽電鉄の歴史を現在に伝えているといえます。

 

(4)阪急神戸線王子公園駅ホーム上家の梁に再利用されたレール
刻印=OH TENNESSEE-7540-A.S.C.E-11-1919 IGR 工

 

 阪急神戸線の駅のうち、王子公園や芦屋川などは古レールによりホーム上家を築かれています。写真の古レールは国(鉄道院)の発注によりUSスチール(テネシー)が製造した75ポンドレールです。これら両駅の柱や梁を確認した訳ではありませんが、阪急電鉄の前身である阪神急行や箕面有馬電軌の刻印のあるものは確認できず、発注者が記されている場合それらはすべて鉄道院など官設鉄道関係ばかりでした。

 このことから、当初は古レールを扱う建材業者が介在して各鉄道会社から古レールを回収し、それを建材として別の会社に転売するといった流通経路の存在を想定したこともありました。しかし阪急電鉄では“IGR”とか「工」などの文字が入ったレールを、同鉄道の使用レールとして保存していることを阪急電鉄の方からご教示いただく機会がありました。とすると、例えば国が発注して製造されたレールを阪急が購入した。あるいは国が使用した中古のレールを阪急が入手して使用した、などということも想定する必要があるようです。

 なお、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の略号である“M.A.E.R.”の刻印があるレールが同社で保存されており、阪急電鉄様のご好意により次回の特別企画展「線路はつづく−レールでたどる兵庫五国の鉄道史−」にて展示をさせていただく予定です。箕面有馬電軌だけではなく、上に記した阪神電鉄や山陽電鉄(明姫電鉄)のレールなども展示しますので、ご興味のある方はどうぞ展覧会にお越しください。

 ここまで、駅のホーム上家に再利用された古レールの事例をご紹介しました。しかし古レールの再利用はそれにはとどまらず、実に身近な場所で多様な用途に使用されています。あまりにも身近な場所すぎて、多くの方に気付かれることさえないのではないでしょうか。

 

(5)古レール造の跨線橋
JR山陽本線有年駅(現存せず。)

 

 駅ホーム上家とならび、駅構内の跨線橋にもレールの再利用が多く見られます。ただ都市部を中心に駅のバリアフリー化が進んでおり、また、最近の鉄骨造の構造物の多くはH形鋼が使用されることが多く古レールは使用されないため、写真のような古レール造の跨線橋は都市圏を中心に数を減らしつつあるようです。鉄道施設の利便性が高まる反面、気が付くとこのような日常的な風景が失われていくことに寂しさが感じられます。筆者の私見ではありますが。

 今回のコラムはこれで終わりにしたいと思います。少しマニアックな内容でしたが、2度にわたり最後までおつきあいいただいた方に心より感謝申し上げます。