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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第62回:東京愛宕山訪問記 2015年5月15日

館長補佐 神戸 佳文

 

 前回の学芸コラムで京都洛西の愛宕山上にある愛宕神社について記したが、今回はそのつながりで鉄道唱歌第1集1番の歌詞に登場する「愛宕の山」(東京都港区)にある愛宕神社について述べさせていただくことにしたい。

 

 愛宕神社は海抜26メートルの愛宕山(桜田山)の山上にあり、慶長8年(1603)徳川家康の命により、京都の愛宕神社から分祀して創建されたといわれている。愛宕山は天然の山としては、東京23区の中では最も高く、(人工の山としては、新宿区の箱根山(44メートル)があるとのこと。) かつては都内を見渡せる高台であったが、今は都市化して、すぐそばの「虎ノ門ヒルズ」をはじめとする高層ビルに取り囲まれている。

写真@ 愛宕神社
写真A 愛宕山からみる「虎ノ門ヒルズ」

 神社は東向きで麓からの参道となる急角度の石段は、講談「出世の春駒」などで知られている。寛永11年(1634) 徳川幕府第三代将軍の徳川家光が、先代将軍徳川秀忠の三回忌に増上寺参拝の帰り、愛宕山上の梅の花を見て、「乗馬のまま梅の花を取りに行く者はいないか」と言ったところ、多くの者が尻込みをする中で、曲垣平九郎が乗馬のまま登り、梅の花を持って降りて将軍に献上し、その名を全国に知られたとされ「出世の石段」と呼ばれている。境内には曲垣平九郎が乗馬のまま石段を登ろうとするのを描いた顔出し看板がある。

写真B 参道の石段
写真C 参道の石段げ)
写真D 曲垣平九郎と馬の顔出し看板

 愛宕神社は火伏の神として知られているが、戦いの神としても知られている。京都の愛宕神社は、明智光秀が「本能寺の変」の前に参拝し、江戸の愛宕神社では、「桜田門外の変」の際には、水戸藩の浪士がここで祈願して江戸城へ向ったと言われている。

写真E NHK放送博物館

 愛宕神社の南側にNHK放送博物館がある。ここは大正14年(1925)東京放送局が置かれて、ラジオ放送が始まったところである。その跡地に建つのがこの博物館である。わが国の放送の歴史やかつての放送の機材が展示されている。ここの展示がリニューアルされるという情報を聞き、展示を観覧した。今から半世紀前の子供の頃に放送された懐かしい番組が紹介されているコーナーでは、思わず涙がこぼれてくることもあった。

 

 本年2月からリニューアル工事に入っており、12月に新しくオープンするとのことである。リニューアルされた展示がどのようになっているか再度訪問するのが今から楽しみである。

 東京の愛宕山は、近世、近代の歴史を伝える都心のオアシスともいえる場所であろう。