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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第42回:東大寺と重源―重源上人の事跡を尋ねて―
2013年9月15日

学芸課長 神戸 佳文

 

 当館の講座・講演会のメインのひとつである「歴史講演会」は、毎年兵庫県内の歴史を主としたテーマで開催しています。本年は開館30周年を迎え、テーマを「開館30周年スペシャル」として、日本の歴史に深く結びついた内容の講座を開催するとともに、現地見学会「歴史の旅」も講座に関連した場所を選定しています。

 9月22日(日)の「歴史講演会」は、美術史家の赤川一博氏に「重源と東大寺復興」という演題で重源上人(1121〜1206)の東大寺の鎌倉復興についてご講演いただき、それに関連する「歴史の旅」は、私、神戸が担当して「東大寺と重源」というテーマで、11月20日(水)に重源上人の復興した建物等を中心に見学したいと予定しています。このコラムでは、その行程を紹介します。

 

 まず、東大寺の北方の三笠霊苑の一角にある重源上人のお墓を参拝します。石造三角五輪塔の墓石が特徴で、かつては東大寺俊乗堂の所にあり、その後現在の場所に移されたといわれています。

重源上人墓

 

 修理工事中の正倉院の脇を通って、大仏殿東側にある俊乗堂(江戸時代)向かいます。ここには、重源上人の肖像(国宝)が安置されていますが、拝観できるのは、7月5日の重源上人の忌日と12月16日の良弁僧正の忌日のみです。

東大寺俊乗堂

 開山堂(国宝)には、良弁僧正像(国宝)が安置されています。堂の内陣は正治2年(1200)、外陣は建長2年(1250)に建立され、大仏様(だいぶつよう)の建築様式が見られます。開山堂は塀の中にあり、堂と良弁僧正像の拝観は、前述した12月16日の忌日のみとなっています。

 法華堂(国宝)は、奈良時代創建の法華堂とその南側に礼堂が接近して建つ双堂形式であったものが、正治元年(1199)に屋根を一つとする堂に改修されました。最近、須弥壇などの修理が行われ、現在は、不空羂索観音立像と梵天・帝釈天立像、四天王立像、金剛力士立像の奈良時代の脱活乾漆像群と、塑像の執金剛神立像が再安置されています(すべて国宝)。

 

東大寺法華堂

 

 重源上人が生前最後に復興の指示を行ったのが東大寺東塔です。東塔は高さ約100メートルの七重塔と考えられており、元久元年(1204)に造営が開始されますが、2年後の建永元年(1206)重源没。完成は安貞元年(1227)で、南北朝時代の康安2年(1362)に落雷で焼失し、その後は再建されませんでしたが、最近復元計画が進められているようです。

 

東大寺東塔跡

 

 重源上人が再建し、今も残る建造物が東大寺南大門(国宝)です。大仏様の様式をみせる貴重な建築で、門の南側の東西に安置される像高約8メートルの巨大な金剛力士立像一対(国宝)は、建仁3年(1203)大仏師運慶・快慶をはじめとする慶派仏師一門による制作です。  また、門の北側の東西には、宋の石工の伊派による石造獅子一対(重文)が安置されています。

 

東大寺南大門

 

 南大門のすぐ北西に2年前に開館したばかりの東大寺ミュージアムがあります。ここには、 法華堂に安置されていた、日光・月光立像(国宝)、弁才天・吉祥天立像(重文)の塑像4体などが展示されており、観覧を予定しています。

 そして大仏殿へ入ります。重源上人によって修造された大仏、慶派一門によって制作された両脇侍、四天王像。建久6年(1195)に再建された大仏殿は、永禄10年(1567)の松永・三好の合戦によって焼失。現在の大仏殿は、宝永6年(1709)に公慶上人(1648〜1705)によって再建されたものです。大仏殿内の北側には、奈良時代の東大寺の伽藍模型とともに、鎌倉再興の大仏殿模型も置かれています。最後にこれを拝見して重源上人の偉業に思いを馳せたいと思います。

 

東大寺大仏殿