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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第9回:近世京都画壇のネットワーク

 2010年12月15日
学芸員 五十嵐 公一

 10月に『近世京都画壇のネットワーク 注文主と絵師』(吉川弘文館)が出版された。これは醍醐寺三宝院門跡・覚定、醍醐寺三宝院門跡・高賢、公家の二条綱平という人物たち(注文主)と、京都で活躍した絵師たちとの関係に注目した本である。

 

 

 実は、この三人の注文主たちには姻戚関係がある。覚定の兄の孫が高賢であり、その高賢の甥が二条綱平である。従って、『近世京都画壇のネットワーク 注文主と絵師』は姻戚関係をもつ注文主たちと絵師たちがどの様につながっているのか、その多くの具体例を紹介する内容となっている。

 絵画史研究は先ず作品、そして絵師に着目し、そこから多くの問題を考えてゆくのが普通である。しかし、この本はそうではない。先ず注文主に着目している。つまり、通常の研究手続きとは全く逆なのだが、注文主に注目すると今まで気づかなかったことが見えてくる。

 たとえば、俵屋宗達が描いた作品に「源氏物語関屋澪標図屏風」がある。言うまでもなく、これは国宝にも指定されている日本美術史上屈指の名品である。現在、東京の静嘉堂文庫美術館にあるが、これは明治28年頃までは京都・醍醐寺の所蔵だった。そして、これについて、醍醐寺三宝院門跡・覚定の日記『寛永日々記』寛永8年(1631)9月13日条に、こんな記録がある。

 源氏御屏風壱双<宗達筆 判金一枚也>今日出来、結構成事也、

 寛永8年9月13日、宗達が描いた「源氏御屏風壱双」が醍醐寺三宝院門跡・覚定のもとに納品されたというのである。この「源氏御屏風壱双」は「源氏物語関屋澪標図屏風」のことだと考えてよいから、この記録から「源氏物語関屋澪標図屏風」が寛永8年に描かれたことが明らかとなる。しかし、ここから分かるのはそれだけではない。この作品を描かせたのが覚定であり、覚定はその出来映えに満足したことも同時に分かるのである。

 では、覚定は「源氏物語関屋澪標図屏風」のどこに満足したのだろうか?それを探るため、覚定について調べてみると面白い事実に気づく。当時、覚定は25歳だったのである。つまり、「源氏物語関屋澪標図屏風」は、宗達が25歳の注文主・覚定のために描いた作品だったのである。

 そして、この25歳の注文主を満足させるため、宗達は画題選択を始め、いくつかの趣向を凝らした。そして、それらが「源氏物語関屋澪標図屏風」の面白さにつながっている。その面白さについて『近世京都画壇のネットワーク 注文主と絵師』であれこれ考えてみた。それが妥当かどうか、一読し判断していただけると嬉しい。