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播州歌舞伎[ばんしゅうかぶき]
 地方芝居の一つである播州歌舞伎は加西市北条町東高室[かさいしほうじょうちょうひがしたかむろ]に起こったという。東高室には「石屋[いしや]三分に百姓一分、残る六分は皆役者」という俗謡が残されている。
 最初の興行[こうぎょう]は天保[てんぽう]2年(1831)に加西郡山下村(現加西市)の里神社[さとじんじゃ]の鳥居の落成に招かれて、演じた芝居であったという。文政[ぶんせい]8年(1825)の「諸国芝居繁栄栄数望」(くにぐにしばいはんえいずもう)という見立番付に、「行司 播磨高村(室)座」として登場する。
 19世紀中頃に最盛期を迎え、播州を始め山陽・山陰・淡路・四国にまで巡業した。
 播州歌舞伎の特色は、通し狂言を得意とし、祝儀物[しゅうぎもの]の寿式三番叟[ことぶきしきさんばそう]も女形[おやま]の太夫[たゆう]が翁[おきな]をつとめる。洗練された都市歌舞伎とは違い、舞台での所作[しょさ]は大きく派手で、観客の求めに応じて即興的な入れ事をするなど今も親まれている。
 兵庫県には農村歌舞伎の舞台が多くみられ、ここに紹介する写真は神戸市北区下谷上[しもたにがみ]地区で行われたものである。

山田町下谷上天彦神社の農村歌舞伎舞台 花道の場面転換用ドンデン返しの橋 数人で軽く回る舞台中央の回り舞台 一条大蔵卿奥殿の場 右手二階造りの囃子方が座る古い型の舞台
中ノ太夫(女形)がつとめる古い形式の寿式三番叟 多人数で舞う寿式三番叟の帯切り 一条大蔵卿奥殿の場 蝶千鳥曽我対面の舞台