病草紙
 人には生老病死(しょうろうびょうし)の四つの苦しみがある。この四苦(しく)のうち病苦には、実にざまざまな種類がある。
 まず、人に見える体の部位に、先天的に生じた病がある。
 たとえば背骨が曲がって生まれる病。顔に痣(あざ)がある病もある。鼻先に墨を塗ったような鼻黒の病は、子や孫に遺伝する。こうした見える部位の病は、痛くなくとも、人に見られるものだから、朝夕に思い煩われる。
 また、体の機能に、先天的に生じた病もある。
 たとえば、まるで瞳がいつも揺れている風病という病。それに白昼に眠ってしまう病もある。これらに痛みはないのだが、人の視線が辛いことかぎりない。不眠症は、痛みもなく視線が辛いこともないが、ひどく侘(わび)しい。
 あるいは、人に見えない体の部位に生じた病がある。
 見えない部位といえば、口の中である。たとえば、舌の根にさらに小さな舌のようなものが生える病では、食事を飲み込もうにも咽喉(のど)が痛くて飲み込めず、重症になれば死ぬ。また歯の根元がぐらつく病は、食事をしようにも痛くて噛めない。強烈な口臭というのも苦しい。どんなに見目麗(みめうるわ)しくとも、臭い口の匂いのせいで恋人は逃げだし、寄りつく人はいなくなる。
 こういう見えない部位の病は、痛いうえに、人に知られてもなぜか同情されない。

 もう一つ、人に見えない体の部位といえば、お股の部分である。
 たとえば陰虱(つびじらみ)という小さな虫が陰毛に寄生する病気。これは耐えがたく痒(かゆ)い。また尻の穴が一つではなく、生まれつきたくさんあいている病気。これは排便するときに、いくつもの穴から便が出るため煩わしい。逆に尻の穴がなく、口から便を吐く病もある。それに霍乱(かくらん)という病では、口からは嘔吐(おうと)、尻からは下痢便をもらし、悶絶(もんぜつ)する。
 こういう見えない部位の病は、痛みもあるうえ、人に知られるのが恥ずかしい。

 世の中にはこんなにもさまざまな病が蔓延(まんえん)している。痛みと同じくらいの苦しみは、病を知られ嘲笑(あざわら)われることである。いや、他人に笑われることこそ、病苦の本質なのかもしれない。
 というのも、病の者が笑われるのをやめるには、生きることをやめるより他ないからだ。人の一生とは、悲しくも他者の笑いのなかに存在しているのだ。
 もういっそ誰の目も見えなくなってしまえばいいのに……。
 そういえば視力が衰えたため、治療を受けたところ、眼球に針を刺されて失明した男がいた。ヤブ医者にだまされて滑稽(こっけい)だと、やはり笑われたことよ。
 それでも、人はいつまでも病を傍観していたいものだ。たとえ笑う輩(やから)にも病苦は訪れるのだとしても、笑うことこそ人生ではないか。
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