作品解説
百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)
江戸時代 一巻 紙本着彩 巻子装
縦34.7㎝×横1044.5㎝ 全39紙継
見返貼紙墨書「鳥羽覚猷僧正戯画/百鬼夜行之図 光之写」
奥書「鳥羽僧正戯画/百鬼夜行之図 光之写「エス/文庫/ケイ(朱文方印)」」

 様々な姿をした99体の妖怪が描かれています。絵巻を広げる方向に沿って、右から左へと連なる妖怪たちはまるで紙の上を行進しているようです。画中の妖怪は、鬼のような姿をとるもののほか、道具や動物などが擬人化された造形も数多く認められます。この資料は材質や保存状況から江戸時代後期ごろの模写と推定されます。

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 さまざまな姿をした妖怪99体を描いた絵巻物です。絵巻を巻き広げる方向に沿って右から左へと列挙された妖怪たちは、歩み、走るような動態をとり、まるで行進しているようです。あるいは重複なく妖怪が列挙されるさまは博物図譜のようでもあります。こうしたいわゆる「百鬼夜行絵巻」は、江戸時代をつうじて多数の模本や再編・改変が制作されました。現在では六〇数本の作品が残存しています。

 先行研究では、「百鬼夜行絵巻」には基本的に四系統あり、それぞれを基本的に踏襲した絵巻物と、二つの系統を合成した絵巻物が存在することが明らかにされました。これらの画中で、妖怪は鬼のような姿をしていたり、道具が人のような姿をしていたり、あるいは動物や魚介類が擬人化していたりと、三つほどの規則性にそって造形化されています。作品名に「鬼」とありますが、妖怪の性質としては古道具が変化した付喪神として描かれているようです。

 この館蔵「百鬼夜行絵巻」は、室町時代に遡る重要文化財「百鬼夜行図」(真珠庵蔵)の系(69体)と江戸時代の「百鬼ノ図」(国際日本文化研究センター蔵)の系統(32体)を合成したもので、二系統の妖怪をほぼくまなく描きあわせ、再構成した内容となっています。本絵巻のもととなった真珠庵本系統は伝本が非常に多く、いずれの他系統とも組み合わされる、いわば「百鬼夜行絵巻」の核とも呼べる存在です。また国際日本文化研究センター本系統は、祖本の成立が室町時代に遡るとみられ、とりわけ動物や魚介類の擬人化を多く含む珍しい系統のものです。

 この二系統や、二系統を合成した諸本では、巻末に巨大な火の玉(または朝日)と黒雲を描くことも特徴です。この表現がなにを示すかは諸説ありますが、妖怪たちが逃げるさまからは、妖怪とは対峙する性質のものであることが暗示されます。妖怪たちが闇の存在、忌み嫌われるべき存在だとすれば、火の玉(または朝日)はたとえば神仏などのような聖性に属するものであるのでしょう。

 なお仏教や神道にも異形の姿をとる尊格が知られます。たとえば阿修羅や大威徳明王など天部・明王の大部分は、人間とは異なる多面多臂多足で表されますが、美麗な姿に造形化されます。それにたいして「百鬼夜行絵巻」で描かれる妖怪たちは、人間とおなじ一面二臂二足でありながら、指が少なく、爪・牙・毛・翼を生やした、それも醜悪な姿に造形化されます。こうした造形化のベクトルの違いは、「百鬼夜行絵巻」の妖怪たちが伝統的宗教に裏打ちされない非認定の存在であることや、人間にとって身近な俗性をおびた存在であることを示しているようです。

 本絵巻の類本には「百鬼夜行図(模本)」(東京国立博物館蔵)や「百鬼夜行」(東北大学図書館狩野文庫蔵)などがあります。これら類本と比べると、一八番目の長布をかぶった妖怪や七四番目の有翼の妖怪において、描き写す過程で生じたとみられる図様の欠落が認められます。したがってこの絵巻を模写した原本は、類本のなかでも比較的新しい可能性があります。しかし材質や保存状況からは江戸時代後期ごろの模写と推定され、真珠庵本系統と国際日本文化研究センター本系統を合成した系統のなかでは制作時期の早い伝本として位置づけられます。

百器夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)
江戸時代 一巻 紙本着彩 巻子装
縦25.3㎝×横458.0㎝ 全10紙継
巻頭墨書「北窓翁一蝶画「趣在山/雲泉/石間(朱文円印)」」
奥書「飛鳥井中勢之丞/探藤蔵「迂斎(白文方印)」」

 日常雑器や、職人たちが使う道具類がモチーフとなり、35体の楽しい妖怪に姿を変えて描かれています。画中に「箕」「味噌漉し」などが見られることから、江戸時代の庶民生活を基にした題材であり、年月を経て道具たちが付喪神と化す、当時の人々の感覚が見事に表現されています。

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 さまざまな器物(道具)の擬人化した妖怪を、35体描いた絵巻物です。いわゆる「百鬼夜行絵巻」のうちの一作品ですが、「鬼」ではなく「器」字が作品名に用いられています。この名称は箱書に由来するもので、それは他の諸本とは異なって、日常雑器や職人たちの用いる道具がモチーフとなっていることから、いつからか名付けられたのでしょう。また、宗教的な道具や高価な調度類の少ないことも特徴です。くわえて箕(み 18)や味噌漉し(みそこし 21)などは近世に発明された道具であることから、本作品の妖怪たちは、江戸時代の庶民にとっての身の周りの道具に特化されており、まさに年月を経て道具たちの変じた付喪神を描く絵巻物といえましょう。

 これら妖怪たちが重複せず列挙されるさまは、さながら道具の博物図譜のようです。巻末には火の玉(または朝日)や黒雲の描写はなく、画中のストーリー性も後退しています。

 なお先行研究では、「百鬼夜行絵巻」には基本的に四系統あり、それぞれを基本的に踏襲した絵巻物と、二つの系統を合成した絵巻物が存在することが明らかにされました。本絵巻は、「百鬼夜行絵巻」の四系統のうち重要文化財「百鬼夜行図」(真珠庵蔵)の系統、「百鬼ノ図」(国際日本文化研究センター蔵)の系統、「百鬼夜行絵巻」(京都市立芸術大学蔵)の系統ともまったく重複しない、第四番目の系統の代表作として位置づけられています。

 また本作品の系統と真珠庵本の系統とを合成した内容の「百鬼夜行絵巻」も知られており(たとえば京都府立総合資料館蔵本や東京芸術大学蔵本、国立歴史民俗博物館蔵本)、これらの合成した系統との比較によって、本作品の祖本にはもともと盥(たらい)をモチーフにした女性の妖怪が加わっていたことが推定されています。

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