ギンガムチェック(薄オレンジ)

1999 School Speech Contest
July 16 in the Naka-cho Cultural Hall   
umespeech.wav
Click on the photo to hear the beginning of her speech.

Grade 9 Class 3  Saki Umeda    『What I value most.』
 
Grade 9 Class 2   Ai Nishida    『My way of life』
Grade 9 Class 4 Mami Adachi 『 The most important person in my life』


 2年 1組  後藤 里恵     『私の心のトライやる』
  2年 2組  徳平 有紀    『福祉の仕事』
 1年 3組   岸本 麻理    『使い捨て時代はもう古い』


 1年 1組   間嶋 亜由美 『本音の大切さ・使い方』
  1年 2組   吉田 奈央   『 話し合い 』
  1年 4組  服部 奈都城   『自己中心的』
  2年 3組  伊藤 嘉奈子  『大切な時間の中で』

  2年 4組  笹倉 弥奈 『トライやるウイークで学んだこと』

  3年 1組  清水 祐子    『本当の自分』



     一番大切なもの 三年三組 梅田 沙紀 

「今、一番大切なものは何ですか」と聞かれたら、みなさん何と答えますか。
人、物、気持ちその人によって「大切」という表現は、様々に形を変えると思います。私の場合、以前の私なら、大切なものなんて考えたこともなかったし、特に何も浮かんでこなかったでしょう。ただ毎日が過ぎていくことに何の抵抗もなく。全ての事に中途半端だったあのころの私なら。けれど、今はちがいます。私は見つけたのです。今、最も大切で大事にしたいものを。それは、「仲間」です。一言で「仲間」と言ってしまうと、とても単純で簡単なものに聞こえてしまうかもしれませんが、私にとっての「仲間」は、もっと大きく深い存在です。今までだって「仲間」とよべる人達はいました。けれど、私はいつも心のどこかで友人の事を疑っていたような気がします。「上辺だけのつきあい」こんな思いをちらつかせて。みなさんにも似たような思いありませんでしたか。全てをさらけ出す事に抵抗を覚え、「本当の友達」そんな言葉を信じられずにいました。裏切られる事におびえ、信じきれなかった私。でも、私の友人達はそれを全て否定してくれました。こんな風にしか考えられない自分にも、あんな友情にも嫌気が差していた私に「仲間」という言葉の本当の意味を理解させてくれたのです。ある時は、私のために泣いてくれました。ある時は、私のために怒ってくれました。私はたくさんの優しさや安らぎ、精一杯の気持ちを理解する事で自分も理解される事を、知りました。そこには、かつてあった、疑いや抵抗など存在しません。                          
私にとって仲間はなくてはならないもので、もうその存在は私の一部になっています。それほど私自身に関わり、影響をおよぼしているのです。友人達の尊敬すべき点が、私を向上させ、一周りも二周りも大きくしてくれます。同じ人といたのではつまらない。そう考える人もいるかもしれません。他の人にだって気軽に話しかけ、友人の輪を広げていく事も大切です。自分にあった接し方でなおかつ、周囲の人にも自分自身にもベストな状態で、仲間とつき合っていけたらすばらしいですね。                                          
「仲間」それが見つけられなくてとまどっている子供達もたくさんいるはずです。その延長線上にに「いじめ」「自殺」などという社会的問題にもなりつつあるものがたたずんでいるのではないでしょうか。現在の中学生ならではのそんな問題も大切な友人達と支えあい、助け合えばかならずよい方に道は開けるはずです。仲間といるだけで、何でもない時間の流れや、平穏な毎日が最高の思い出になったり、見る物、感じる事が独りの時より多いはずです。人と接すると必ずなにかしらその人から刺激を受けます。自分とはちがったた考え方がそこにはあるんです。それを理解したとき、その理解は、私の明日への成長のかけ橋となります。  私は今、大きな声で自慢したい。私の仲間の尊さと自分がその一員であるという誇りを。この気持ちが日々変化する社会の中でも心に生き続けていくことを強くねがいます。私が得た物は、代用品なんてない、この世でたった一つの大きな宝です。  私は仲間を手に入れてひと安心などという気はありません。更に肥大化し、常に進化し続けたいと思っています。みなさんにだって、大切な仲間になる人が必ずいるはずです。自分のために生まれてきた様な人達が。もしかしたら、すぐ近くにいるかもしれませんよ。もう一度よく周りを見つめ直してみて下さい。きっとステキな仲間がいるはずです。  今、中学三年生といういわば節目に、すばらしき仲間と過ごせる喜びと、仲間にとって最良の自分でいられるよう、自分自身に磨きをかけたいと思っています。 私が今、一番大切にしているものは、愛すべき仲間とその間に生まれた何よりも勝るつながりだとここに胸を張って宣言できます。



    
私の心とのトライやる       2年1組 後藤里恵

「楽しかったらうんと遊んだらいい。こわかったら逃げたらいい。 」 これが最初に受けた説明だったのです。「楽しかったらうんと遊んだらいい。」「こわかったら... 」本当にやっていけるんだろうか、ここにいる人たちはどんな人たちなんだろう・・・考えれば考えるほど私の心は不安でいっぱいになりました。初めて養徳会の 門をくぐったとき、その時から、私のトライやるが始まったのです。  これは私にとってはまさに心のトライやるでした。私の心の中にあるいけない心との戦いだったのかもしれません。まわりにいる多くの人たち、その人たちの中にいても、「何か自分たちと違う」という違和感につきまとわれ、話しかけるきっかけもつかめずに、ただ「こんにちは」「こんにちは」と無意味にかたい表情で挨拶をくりかえすばかりのスタートでした。一緒に行った友達の中には頭痛をおこす人がでましたが、それくらい私はこの日、肉体的以上に精神的に、とっても疲れたのです。  ところが、そこの生徒さんたちは、そんな私たちの気持ちにおかまいなく、明るく、 素直に、どんどん自分を私たちに出してこられるのです。散歩に行くときでもそうでした。ごく自然に差し出された手に、私はてれくささや、はずかしさにためらいながら手をつなぎました。でも、手をつないで歩いていると、いつの間にか、私もその明るさにひきこまれていきました。そして、日がたつにつれ、違和感も薄れ、散歩やいろんな活動を楽しめるようになっていったのです。                  
ところが・・・「あっ・・嫌だな・・」それは散歩中のことでした。町の中を歩くのですからもちろんいろんな人とすれ違います。私が気づいたのは、その人たちの、何か珍しいものでも見るような視線だったのです。自分もきっと今までなら同じ状態だったのでしょうが、この時は勝手なもんです、冷たい見方をされたことに、ものすごく腹がたってきたのです。 「そんな見方せんといて!」本当に言おうかと思ったくらい私は、感情が高ぶったのです。ところが、私と一緒に手をつないでいる子は、そんな視線には目もくれず、平気な様子です。「なぜなんだろう?」私は不思議に思いました。そんな見方をされることのある散歩なら、気分が悪いだろうし、したくないこともあるんじゃないかと思ったのです。 そこで、次の日にまた散歩した時に、それとなく尋ねてみたのです。 「散歩ほんとに好き?」すると・・・「すき〜!」すごく明るい返事が帰ってきました。 その時私はふっ・・・と思ったのです。 どうしてこの子たちはこんなに明るくふるまえるんだろう? 周りの視線は気にならないんだろうか・・・  そして、気づいたのです。
もしかしたら、他人の視線を気にしていたのは、この子たちではなく、自分の方だったのではないのか・・・私が気にした視線や、それに対するいらだちは、気がつかないうちに、障害をかかえた人たちといっしょに歩いていることに私の方が特別な意識を持ちすぎていたからなのではないだろうか・・・その人たちの視線が気になったのは、自分が見られることに対する恥ずかしさからだったのではないかと・・・。 それに比べ、ここの人たちは、純粋です。心のすみを探したって、裏を探してみたって、他人の心を疑ったり、自分たちを見る視線を疑ったりするようなものはまったくないんです。 まわりの人が例え心ない目で見ていようと、自分と他人を比べてみたり、その人の心を疑ってみたりなんかまったくしていないいんです。こんな揺れ動く気持ちで手をつないで散歩してした私の気持ちも疑うことなく、心から私と一緒にする散歩を楽しんでくれていたのです。それほどここの人たちの心は曇りなく、美しいんだ。私はそのとき初めてそれに気づいて、自分を恥ずかしく思いました。  本当にすばらしい人たちだ、ここに来てよかった! 私は心からそう思えるようになりました。  ほんの1週間のトライやるウィーク。でも私にとっては忘れられない大きな1週間となりました。私自身をこんなふうに変える機会を与えて下さった養徳会のみなさんにこころから感謝しています。 一列学園の人たち、日ノ本青年寮のみなさんも、私は大好きです! 本当にありがとうございました。                                       

   話し合い          1年 2組    吉田 奈央  
今まで、わたしの周りでは、「いじめ」ではないけれど、いじめの始まりになりそうなできごとがありました。一つは、ある子を、ほぼクラス全員でからかったり、仲間はずれにしたことです。はじめは、あだ名をつけてからかうことから始まりました。その時点では、わたしも「そのうちおさまるだろう」と思ってあだ名を陰で言っていました。ところが、二か月たっても三か月たっても、おさまるどころかどんどんエスカレートしていき、行動にまで移るようになっていきました。  その後もこのできごとは一年から二年くらい続きました。そんなに長い間見ていると、わたしもいろいろなことを思い、気持ちも少しずつ変わっていきました。  約二年の間、そんな事が続いていたのに誰一人「やめよう」と言う人はいませんでした。結局、やった人はもちろんのこと、分かっていながら何もできなかった人も、その子にとっては同じに見えたのだと思います。  また、今まで仲良くしていた人から突然無視された子があり、わたしは「どうしたらええやろ。何でやろ」と相談されました。わたしは自分で考えられることは言いましたが、解決できるほどの考えはなかなか浮かびませんでした。毎日、そのことを二人で話していましたが、わたしがその立場だったらどうするだろう、と考えてもみました。考えた未、わたしは、「お父さんやお母さんにも相談してみたら?」と言いましたが、それは絶対いやだ、という答えが返ってきました。以前、わたしも無視されたり、いやな電話や無言電話が毎日同じ時間にかかったりし、それが二か月ぐらい続いたことがありました。そんな時、わたしはすぐに両親に話しました。そして三人で何時間も話をしました。わたしの話や気持ちを聞いてもらい、三人で考えを出し合って、とても気分が楽になったのを覚えています。こういうことはそう簡単には解決はしないけれども、いやなことがあるたびに励ましてくれたり、時にはアドバイスをしてくれ、わたしのために何時間でも話をしてくれるので、両親に相談して、本当に良かったなと思いました。 両親には話したくないと言った友達のことを考えたとき、一番信頼でき、自分の気持ちを一番よく分かってくれるのは、自分の親なのに・・・。ふだんから、家の中でいろんな話をお互いにしていたら、困った時にも一番に相談できる関係ができるのだろうと思いました。 最初に言った、クラスの中から仲間はずれになっていた子はそのことを家で話していたのでしょうか。それとも一人で誰にも言わずに耐えていたのでしょうか。 わたしの両親は、「どんなことでも一人で考え込まずに必ずお父さん達に言いよ。必ず力になって、助けてあげるから。」と言いました。わたしはとても心強く思いました。前に言った二人の子も本当につらい時、悲しい時には周りの大人に聞てもらうと、解決はできなくても、きっと何かいい方法が見つかり、気持ちが楽になっただろうと思います。 これから、今まで以上にいろんなことが、自分にも、また周りの友達にも起こるでしょう。だからこそ、友達や家族とのかかわりを大切にし、いつも心から話し合えるようにしたいです。 楽しい学校生活の中で、一人でもつらい思いをする人がいなくなるようにしなければなりません。「もし自分がその立場だったら・・・。」といつも考え、生活していきましょう。わたしもそうしていきもす。

各学年より一編を掲載させていただきました。
PTAより近日中に今回の12名の弁論を掲載した文集を発行する予定です。ご希望があれば、ご連絡下さい。

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