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震災メモリアル2008

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被災地報告

被災地報告  石川県立門前高等学校

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能登半島地震について

石川県立門前高校から来ました。よろしくお願いします。

平成19年3月25日に起こった能登半島地震によって、門前町は全く違う姿になってしまいました。しかし震災から10か月以上たち少しずつ家も建ち元の姿に戻ろうとしています。今日はそんな門前を紹介したいと思います。

僕たちが住む門前町は能登半島の北西に位置し、山や海といった自然に囲まれた豊かな土地にあります。門前町にある猿山灯台の付近には町花となっているユキワリソウが咲いています。これは3月中旬から下旬にかけて赤や白の可憐な花を咲かせます。また、長い冬をじっと我慢して雪を割って花を咲かすことからユキワリソウと呼ばれています。琴が浜、通称「鳴き砂の浜」は歩くとキュッキュと音がする砂浜として有名です。なぜ音がするかというと、砂は不純物が少なく粒も細かく均一であるという理由からです。

総持寺

この写真は私たちが誇る総持寺です。正しくは総持寺祖院といい今から約700年前に開山されましたが、明治31年に火災により大部分を焼失したのを機に、総持寺は神奈川県横浜市に移されました。今はまた門前の総持寺が租院として再興されました。また、総持寺は日本仏教の曹洞宗として知られています。曹洞宗お釈迦様より歴代のお坊さん方によって相続されてきた正代の仏法です。修行僧は仏性を備え本来の自己が無心に座る、つまり座禅をします。そしてこの写真は震災で被害にあった総持寺の様子です。歴史ある建物の多くが被害に遭いました。

門前そば

この写真は門前町の特産物の門前そばです。能登半島の自然の中で育ったそば粉を使い、繋ぎには自生する自然薯、つまり山芋をふんだんに使った素朴で風味豊かなそばです。僕たちも年末には学校で育てたそば粉を使ってそばを作り、近くの老人ホームなどに進呈しています。

次に地震についての発表に移ります。発生日時平成19年3月25日、日曜日午前9時41分。震源地、能登半島沖。北緯37度2分、東経136.7度。震源の深さ11キロ。規模マグニチュード6.9。震度6強。津波警報が9時43分に発令されて、11時30分に解除されました。主な余震は25、26日と28日に震度5弱の地震が観測されました。輪島市では死者1名、行方不明者なし、重軽傷者は市内で105名、県内で338名でした。県内では住居9,275軒、非住居7,719軒、あわせて644億円の被害が出ました。

地震の被害

国や県は災害応急体制の整備、大臣等の派遣、激震災害の指定、自衛隊の災害派遣、被災者生活支援法の適用、能登半島地震復興基金の創立などで対応してくれました。門前町にも安倍前総理大臣や冬柴国土交通大臣などが視察に訪れ、陸上自衛隊の方々にはご飯の炊き出しや仮設のお風呂のお世話などをしていただきました。その後も、陸上自衛隊の方々は門前に駐屯しいろいろな支援をしてくれました。

地震の直後には愛知、岐阜、福井から約400名の警察官が駆けつけてくださり、また京都、福井、滋賀、富山、東京、大阪、新潟、兵庫より87隊349名の消防士が救助の手助けをしに来てくださいました。石川県内では全壊半壊合せて1万7,016軒の家屋が被害に遭いました。まちでは家と家との間に隙間ができてしまい、とても寂しい風景になってしまいました。

震災直後は多くの人は避難所で生活していましたが、4月に入ってから被災した方にアンケートをとって、その結果をもとに被災者の方を避難所から解放するために、1か月以内に行政の土地に仮設住宅を建設することにしました。県内では334戸、門前町には180戸の仮設住宅があります。門前の被災者は高齢者が多く家を再建することができない人が多いので、今でもほとんどの人が仮設住宅で暮らしています。仮設住宅には「心のケアハウス」が建設され、みんなで悩みを相談したり将来のことについて話し合ったりしています。

門前町に備蓄されていたのは乾パン400食、インスタントラーメン100食の計500食でした。備蓄は大雨や台風に備えて人口の5%はありましたが、今回の地震では2,000名の人が被災したので全く足りませんでした。3月25日、被災者の方々は昼、備蓄されていた食糧と婦人会の炊き出しを食べ、夜は自衛隊の持ってきた2,000食のご飯を食べたそうです。

門前には全国から数がわからないほどたくさんの物資が届きました。その中では水が一番多かったです。日本赤十字社から届いたものには毛布、歯磨き粉、テント、懐中電灯、電池、スリッパなどがありました。その物資は一時剱地中学校に保管され、残った物資はまちの人に配られました。通常輪島市では年間18,500トンのごみが出ます。しかし地震後は20万から25万トンのごみが出たそうです。震災後のごみは輪島市の約13年分のごみに匹敵します。輪島市のごみ処理施設では処理能力の限界を超えたくさんのごみが数日間公園やグランドに放置されました。この写真はダートトライヤル場です。毎年、車のレースの全日本選手権が行われます。災害時には粗大ごみ置き場になりました。

門前町には災害コーディネーターのいるところが18か所ありました。そこでは5人体制で24時間活動しています。しかし、地震があった日は1日で70人から80人をお迎えしました。災害コーディネーター97人で門前町8,000人のお世話をしなければならなかったのですが、ボランティアの人たちのおかげでなんとかなったそうです。

輪島より門前の方が、被害が大きかった理由は3つあるそうです。まず、震源地に近いということ。地面が砂ということ。建物の多くが古くて問題があったということです。昔からある柱しかない家は、横揺れに弱いため今回の地震でたくさん壊れてしまいました。また、門前高校の下の地層は筋が交わっていたので被害が少なくて済んだそうです。地震発生後、門前町の電気は大丈夫でしたが上水道は1週間止まりました。役場の職員が5人がかりで水道管の確認をしたところ、1日に5キロから6キロしか確認できないため10日以上かかりました。この調査が終わったのは4月4日で、深見地区は4月7日まで水が出ませんでした。お話を伺った役場の方に震災の感想を聞きました。「地震前から訓練を行っていて職員各自に係が与えられていたが、実際は役場に来た順に係を与える形になってしまったので、組織の重要性を再確認した」とのことです。役場の方にこれからの門前をどうしたいかと聞いたところ、総持寺通りの再建、道下、黒島の町並み再生、災害にあった人の手助けをしたいそうです。

僕たち門前高校も大きな被害に遭いました。第一体育館の床が波を打ち使用できず、仮玄関がつくられたりもしました。半年間の工事でほぼ地震前と同じ状態になりました。僕たちは生まれて初めてこのような地震に遭い、今でも僕たちをはじめ門前町の全員がとても不安だと思います。僕たち生徒会が門前町の元気を取り戻すためにこれからも町の人のために全力で取り組み、復興に協力できるように一生懸命取り組もうと思います。地震の被害が大きく私たちも心に大きな傷を負いました。しかし、私たちは「がんばっています。門前高校」や「門前高校元気宣言」と球技大会や文化祭のテーマに前向きなスローガンをつけ、私たちが筆頭となって門前を元気づけていこうとがんばっています。地震があってからいろんな人が門前を訪れ、元気づけてくれました。だから、僕たちもがんばらないといけないと思います。冬休みに僕たちもクリスマスカードを届けるために仮設住宅を訪問しました。その時に仮設住宅に住む方からたくさんの話を聞かせてもらいました。

仮設住宅の入居期間は2年間です。その後は家を建てることのできない人は公営住宅に入らなくてはいけません。住居の問題が多く残っています。また、自営業を営んでいた人の多くは職を失い仕事を探しているそうです。将来の展望が開けずたくさんの人が困っています。僕たちも自分たちに何ができるか考えていきたいと思います。最近では東京ディズニーランドからミッキーマウスが遊びに来てくれ、たくさんの子どもたちを励ましてくれたそうです。また、僕たちが訪問している間にも近くの小学生が仮設住宅へ門松を届けに来ていました。僕たちもそのような輪の中に入っていろんな人たちを元気づけたいと思います。

最後に地震の後、門前高校の生徒が書いた詩を紹介します。

 

     ただでさえ夜は暗いまちなのに

     黒く塗りつぶされたような

     絶望そのもののようなそのまちは

     虚しさを私たちに与えました

     17年も一緒にいたのに

     突然消えたそのまちは謝るように静かに泣いていました

 

これで門前高校の発表を終わります。ありがとうございました。

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