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    第2学期終業式(R1.12.24)校長挨拶

 

 みなさんこんばんは。令和元年も残すところあと一週間。今年1年どうでしたか。充実した1年でしたか。

さて、今日は私が最近気になっていることについて、お話ししたいと思います。

 私は家族と連絡を取る際、よくラインを使います。妻とのやりとりの履歴を見ると、そのほとんどが「いまから帰ります」「り」と表記されています。「了解」と入力するのが面倒なので、その頭文字の「り」。これで意思疎通ができてしまうのです。ラインのようなデジタルツールは、時間も場所も選ばずに瞬時に用いることができる本当に便利な道具です。しかし、気をつけて欲しいのは、道具はデジタルであるけれども、意思疎通という動作は常に複雑で無駄の多いアナログであるということです。私と妻や家族との関係性の上に「り」を用いた意思疎通は成り立ちます。しかし、例えば会社の上司からのメールに「り」と応えて許されるでしょうか。

 本来コミュニケーションは、相手の表情や声色に反応しながら進めるアナログチックな動作です。しかし、文字を用いたとき、途端に記号に変わる。このときに多くの情報が「圧縮」されてしまうのです。受け取った側はそれを「解凍」しなければならない。その時に必要になるのが、伝える側のできるだけ誤解を生まない「言葉選び」と、両者の「関係性」です。

 ネットの世界では、心ない言葉で人を傷つけ死に追いやることを「指殺人」と言うそうです。相手との関係性のない中で、しかも自分の素性を隠した中で、悪意に満ちた「言葉選び」をしたとき、言葉は人の命を奪う凶器になるということです。

 SNSは二進法で構築されたデジタルツールです。便利ではあるけれども万能ではありません。私たち生身の人間の複雑な関係性まで、もれなく伝えることなどできない。それを分かった上で利用する「作法」が必要だということです。