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校地・施設

校地図

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校地図

  • クスノキ、桜、クロマツ、ヒマラヤスギ、クヌギ等々、長年の間に育った、非常に多彩で豊かな植栽に恵まれた校地です。
  • 明治35年(1902年)創立の本校は、昭和16年(1941年)より現在の地に在ります。

校地案内図

校内の風景

画像をクリックすると、拡大してご覧いただけます。説明も出ます。

運動場から見た本館。今と殆ど変わりませんが、耐震工事前の校舎。きれいに撮れているので載せます。本館2階の廊下です。進路指導室は広く、入ってすぐにはソファーと机、奥には壁一面に資料の棚があります。学校敷地内には1000台以上収容可能な駐輪場があります(駐輪場は数箇所に分かれています)。本校生徒は、多くが自転車通学をしています。耐震工事後の職員玄関前です。広々とした空間で、駐車場になっています。夕方の図書室です。南館3階、少し変わった所にあります。ちなみに図書室は、夕方頃の景色が、光の具合的に一番綺麗です。広い運動場。体育では、授業開始後大回りに2週走ります。プリンス池ではなく、事務室前の池の鯉です。かなりたくさんいます。体育館前の広場から中館を望む。本館の校舎です。本館には職員玄関が付いています。食堂です。昼休みは急がないと食券を買うのに行列が出来ます。ちなみに天ぷらうどん(180円)はオススメです。安くて出汁が美味しいです。食堂の定食です。日によって定食メニューは変わります。他にオムライス、親子丼、麻婆豆腐等があります。校舎から正門までの長いアプローチです。ほかの学校にはないものの一つ。朝の登校時刻は自転車ラッシュが見られます。食堂奥、体育館下の武道場です。写真は剣道部と柔道部の部活の様子。紅葉したプリンス池。はすの葉が水面を覆うほどの多さです。新しくなったパソコンルームです。全マシンを総入れ替え、ディスプレイも液晶になり、机が広くなりました。事務室前の鯉のいる池です。小さな噴水があります。普通教室です。ほとんどの授業はここで行われます。緑創館の外観です。本校創立100周年を記念して建てられました。緑創館の2階大ホールです。学年集会や、PTA集会等に使用されています。緑創館1階には和室、会議室、シャワールーム等が設けられています。

校内の歴史的モニュメント

本校が現在の校地に移転してきたのは、昭和16年(1941年)、太平洋戦争が始まった年です。

創立明治35年(1902年)の本校は、それ以前には、現在 伊丹市立北中学校がある場所に在りました。

北中学校の正門前で今も毎日使われている石橋は、当時の橋そのものだそうです。

そのように長い歴史がある本校、あちこちに「歴史的モニュメント」と呼ぶべき貴重な記念碑類が見られます。

 

まずは、校門を入ったところから、玄関に向かって進みながらご紹介します。

この通路沿いには、校内で最も多く歴史的モニュメントが存在します。

(画像をクリックすると、大きな画像が開きます)



  • 校門を入ったところの旧制中学校名の石碑
  • 校門を入ったところの旧制中学校名の石碑

上の石碑は校門をくぐってすぐ右手にあり、「兵庫縣立伊丹中學校」と彫られています。「中學校」とは、今の高等学校に相当する旧制中学校のことで、この石碑は戦前に使われていたものです。

最初の校地でも使っていたと考えられるので、明治時代に作られたものでしょうか。



  • 元地主さんが松の木を寄附したときの記念碑
  • 元地主さんが松の木を寄附したときの記念碑
  • 元地主さんが松の木を寄附したときの記念碑

上の石碑は、旧制中学校名の石碑のすぐ奥に立っています。非常に興味深い石碑です。この広大な校地の「旧地主」さんが、移転記念として「松の木200本」を寄附したという記念碑です。

時は「紀元(皇紀)2600年」、つまり昭和15年(1940年)の春とありますので、太平洋戦争が始まる前年です。この年は、皇紀2600年という節目の年なので、各地で盛大な祝典が行われたことでしょう。

本校に多数現存する松の木は、この時に寄贈されたものなのでしょうね。因みに、「旧地主」さんの名前は「大路利右衛門」とあり、大路(おおじ)とは、昔この近隣に多かった姓です。



  • 校訓碑
  • 校訓碑

上は、上の記念碑から玄関方向を向いたところにある校訓碑です。この石碑自体は平成4年に造られたものですが、「誠実・克己・忠恕」という校訓には長い歴史があります。

「誠実」はいいとして、「克己」、そして特に「忠恕」の読み方と意味は分かるでしょうか。裏側には、平成4年10月に創立90周年記念事業として造ったことが彫られています。



  • 東京オリンピック記念
  • 東京オリンピック記念
  • 東京オリンピック記念

校訓碑のすぐ横にある石碑。だいぶもろくなっているせいか、ご覧のように鉄枠で補強されています。「東京オリンピック記念樹」と彫られています。ただし、どれが「記念樹」なのかは分かりません。

この時の東京オリンピックは、石碑の裏面にある通り、昭和39年(1964年)10月の開催ですが、2回目の東京オリンピックが近付いている今、貴重なモニュメントだと思います。



  • 皇太子ご生誕記念
  • 皇太子ご生誕記念
  • 皇太子ご生誕記念

上の石碑には、「皇太子殿下御降誕記念」とあります。つまり、皇太子がお生まれになった記念碑ということですが、問題は、この「皇太子」とは、どの時代の皇太子なのか?

現代の平成の御時の皇太子さまのことでしょうか。いいえ。裏面には、昭和8年12月23日と日付があります。そうです。今上天皇(平成天皇)がお生まれになった時のものなのです。昭和8年には、本校は別の場所にあったので、最初の校地から移したものですね。



  • 里帰りの桜の木
  • 里帰りの桜の木
  • 里帰りの桜の木

上の記念碑(と植樹された桜の木)は最新のものです。平成29年11月に植樹・造営されました。詳しい経緯が銘板に書かれていますが、米国ワシントン州には日本から送られた桜の木があることは、多くの方がご存じだと思います。

しかし、その桜の苗木は、伊丹で育てられたものだということは、あまり知られていないのではないでしょうか。今回植樹されたこの木は、ワシントン州の桜の「子孫樹」です。通路の反対側には、元から多くの桜の木がありますが、何年か後、この木にもきれいな桜が咲くことでしょう。



  • 謎の「講和記念」
  • 謎の「講和記念」
  • 謎の「講和記念」

上の石碑だけは「謎」なのです。まず、ご覧のとおり2本の石碑状のものが立っていますが、この土台は、聞くところによると、元「掲揚柱」の土台だったとか。現在石碑があるところに1乃至2本の(国旗などの)掲揚柱が立っていたのでしょうか。掲揚柱も石碑も、元の形が謎です。

次の謎は、2本の石碑にある唯一の「講和記念」との文字。この「講和」は、いつのものを指すのでしょうか。最も可能性が高いのは、1951年(昭和26年)のサンフランシスコでの講和と思えるのですが、いかがでしょうか。



  • 御大礼記念
  • 御大礼記念
  • 御大礼記念

校門から玄関へ向かって並ぶ最後の歴史的モニュメントには、「御大礼記念樹」とあります。この石碑の場合も、もう周囲に「記念樹」はありません。「大礼」とは、普通は天皇の即位(式)のことですが、いつの「大礼」なのか。

この石碑の見かけから、それは容易に推測できると思います。昭和天皇が即位された時の記念碑です。裏面に彫られた日付は、昭和3年11月10日となっています。当然、この石碑も最初の校地から移したものですが、この石碑は、校内で2番目に古いものと思われます。(最古はこの下)



  • 東宮台臨記念碑
  • 東宮台臨記念碑
  • 東宮台臨記念碑
  • 東宮台臨記念碑

上の記念碑は、創立80周年記念館の南側にあります。1基は見るからに古く、「東宮台臨記念碑」と彫られています。読みにくいですが、裏面にも多くの文字が刻まれています。もう1基には、その古い記念碑を創立80周年に際して、古い校地(桜ヶ崎)からここに移した旨が書かれています。

古い石碑は、「天皇陛下と乃木大将が県立伊丹中學校にやってきた」記念碑です。また、この石碑の文字は、乃木 希典(のぎ まれすけ)大将が書いたとあります。天皇陛下が来校されるとなると、今でも大きな出来事ですが、当時は、想像もできないくらいの一大事だったのでしょうね。

乃木大将は大正元年に亡くなっているので、本校に来られたとすれば明治時代。となれば、この石碑が校内で最も古いものということになりますね。



  • 旧制中学校の校門
  • 旧制中学校の校門
  • 旧制中学校の校門
  • 旧制中学校の校門

創立百周年記念館(通称「緑創館」)の南東側にある、旧制中学校の校門の礎石です。高さ50~60センチの土台部分のみです。上部がどんな形であったのかは分かりませんが、これも、古い校地からここに移転されたものです。

写真4枚目は、校門の礎石というより、緑創館の写真です。現役生徒も、講演会などで時々使う建物です。

以上のほか、本校には、卒業50周年目に学校に何かを寄贈する慣行があります。それらの記念碑等も校地内に散見されます。