校長室の窓から No.87

        平成28年2月18日

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1学年・百人一首大会

平成28年1月20日(水)、LHRの時間に、1年各クラス毎にカルタ大会を行い、クラス選抜班メンバーを決めました。
そしていよいよ平成28年1月27日(水)、1学年の百人一首大会を実施しました。

生徒たちは、覚えている札を早く取ろうと必死に取り組んでいました。また、詠み手は1学年団の先生方で、それぞれ個性豊かな抑揚で、和気あいあいの大会となりました。
「畳(フロアー?)の上の格闘技」といわれるだけあって、あちこちで「お手つき」「バトル」等が繰り広げられ、体育館の寒さや冷たさを吹き飛ばすほどの大盛況でした。



団体優勝は7組、準優勝は8組でした。

2学年・クラス対抗校歌コンクール

平成28年2月10日(水)LHRの時間に校歌コンクールが行われました。



本校の校歌は3番までありますが、1,2番を歌うクラス、1,3番を歌うクラス様々です。やはり「1番」が馴染み深いので1番を入れることが多いようでした。
それぞれのクラスが男女比を考えて個性を出し、大変感動的なコンクールになりました。

本校の校歌です。(昭和24年に原型が完成しました)

1 明けゆく空の日輪(ひ)よりなほ
  希望に燃ゆる若きらの
  理想は茅渟(ちぬ)の海を越え
  吹き来る風の琴にのり
  我が学舎のうちそとに
  高く清らにひびくなり

2 真澄める空のいや深く
  真理(まこと)究むる若きらの
  高き理想は六甲(むこ)山に
  光れる雲の純(きよ)らかさ
  心に求(と)めつ慕いつつ
  明日を思いてたぎるなり

3 ああ我が友ら手をとりて
  茅渟(ちぬ)より深く六甲(むこ)よりも
  高き心を讃えつつ
  新たなる世を誇らかに
  負いゆく道をあひともに
  この学舎におさめなむ

私は、歌詞について、いろいろ思うことがあります。

昔、菅原道真公が太宰府に行かれる際、船で尼崎沖を通りました。
当時の尼崎浜は、白砂に青松がきれいに並んでいたと言われています。
「ここは殊のほかのよき浦なり松は琴柱の並びたる如し」と詠まれ、賛美されました。
これにちなみ、尼崎は「琴の浦」と呼ばれるようになりました。
尼崎の地名に「琴」が多く付いているのはそのためでしょう。
本校の校歌にも校章にも「琴」が登場します。

校歌が作られたのが、終戦直後の昭和24年です。
特に3番。全校集会で話したことがあります。

「茅渟(ちぬ)より深く六甲(むこ)よりも高き」
昔から「母の恩は海より深く、父の恩は山より高い」といわれますが、そんな思いも入っているのでしょう。

「新たなる世を誇らかに負いゆく道をあひともに」
戦争により壊滅的な被害を受けたこの尼崎を、復興させて立て直そう、皆が手を取り合って立ち上がろう、新しい街を新しい世を作っていこう。工都尼崎で懸命に働く人々とその家族、日本の戦後復興を支えた人々を誇らしく思うこと・・・いろいろな思いを本校の校歌に託したのだろうと思います。
そういった人々の思いが伝わってくる歌詞になっています。

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