校史年表


1.旧制中学校 高等女学校
2.高等学校

1.旧制中学校(黒字) 高等女学校(緑字)

年代 内容
明治29.12 柏原中学校設立の議県会通過、校地決定し校舎建築に着手
明治30.2
(1897)
本館、講堂、南校舎、北校舎、生徒控室の5棟完成(敷地3604坪 総工費1万6172円94銭1厘)
 〃 .4 兵庫県柏原尋常中学校と称す 兵庫県師範学校教諭土井亀之進、初代校長に就任 開校式 入学生103名 授業料月2円30銭(26日)
明治32.4 兵庫県柏原中学校と改称、生徒定員300名
明治34.3 鳥取師範学校教諭大江磯吉、第2代校長に就任
 〃 .4 兵庫県立柏原中学校と改称
明治35.3 第1回卒業式を挙行(卒業生23名)
 〃 .5 柏原町立崇廣小学校内に女子補習科2教室を設置 入学生25名 修業年限3年
明治36.3 柏原町立柏原女学校設立認可。入学生44人。
明治38.4 情操教育として音楽教育を実施 音楽教諭犬童信蔵(球渓)着任
明治41.4 兵庫県氷上郡立高等女学校設立認可 近藤九市郎校長兼教諭に任命 入学生169名
明治42.11 初めての修学旅行(京都・奈良・大阪方面)
大正2.4 初の外国人教師(カニングハム氏)を雇用
大正4.11 校歌制定 作詞上原延蔵(国語教諭)、校閲佐佐木信綱、作曲犬童球渓(元音楽教諭)
大正10.5 生徒の服装を洋装に(従来は和服に袴)
大正14.11 県下女子第1回中学校寵球大会にて優勝、明治神宮競技大会に出場
昭和3.4 制服、制帽改正(カーキ色となる)
 〃 .5 校章、徽章を制定 校歌制定
昭和4.6 校旗制定
昭和6  農村不況の影響により入学者激減(1年定員100名 入学者88名、補習科定員50名 志願者は甲13名 乙7名)
昭和10.夏 丹後由良海岸にて初めての臨海教育
昭和11.5 全校生徒、第1回長距離競走大会
 〃 .9 体育に薙刀を取り入れる
昭和12.11 防空演習開始
昭和14.6 修学旅行が東京から奈良・伊勢方面に変更
 〃 .12 運動場の隅に炭焼窯を構築し、木炭製造を始める
昭和15.1 御真影奉安殿新設
 〃 .6 戦前最後の修学旅行
 〃 .7 第1回製炭作業実施
昭和16.4 生徒定員1000名、学友会解消、報国団結成
 〃 .5 柏原高等女学校報国団結成
 〃 .7 滑空機1機[考え方社]より寄贈
 〃 .9 全校夜行軍実施 柏中報国隊結成式 滑空訓練実施
 〃 .10 滑空機1機 足立耕太郎氏寄贈(柏中2号)
 〃 .11 赤井野滑空場建設、訓練開始
昭和17.6 勤労奉仕隊結成
 〃 .10 この年の修学旅行は東京方面
 〃 .12 冬の制服としてモンペを採用
昭和18.4 滑空訓練を教練科の1分科とする
 〃 .9 朝日式駒鳥型滑空機1機(柏中3号)、学校職員より寄贈
 〃 .12 第1回女子勤労挺身隊結成(川西航空伊丹工場に出動)
  この年の修学旅行は伊勢・奈良方面(翌年から昭和21年までは実施せず)
昭和19.3 第2回女子挺身隊結成(三菱電機伊丹工場、田熊汽罐尼崎工場、東洋電機成松工場へ勤務)
 〃 .5 木炭供出(1300俵)
 〃 .6 学徒動員(第4学年尼崎甲陽製作所、3学年甲陽電機成松軍需工場へ動員)在校生は1、2年生のみとなる
 〃 .7 生徒の通年勤労動員実施、3年生は尼崎大日電線、4、5年生は西宮鐘淵工場へ動員
 〃 .9 学童疎開受入(尼崎杭瀬国民学校)
昭和20.2 東洋ベアリング工場を疎開工場として受入
 〃  松柏図書館類焼
 〃 .3 修業年限4カ年、卒業を認む(戦時特例)
 〃 .8 太平洋戦争終結(15日)
 〃  工場出勤生徒に対し詔勅の主旨を伝達する(16日)
 〃  工場出動を中止し帰宅させる(18日)
 〃  1、2年生の授業開始(24日)
 〃  工場学徒解散式 3年生以上も授業復旧(25日)
 〃 .10 慰霊祭執行 予科練その他軍務に従事していた者学校に復帰
 〃 .11 進駐軍2名来校視察
 〃  進駐軍の指令に基づき、教練用品を提出、その他軍国的色調濃厚なもの、教師用図書、滑空機を廃棄
昭和21.4 臨時生徒定員1000名20学級編成、従来の4年制を改め5年制に
昭和22.4 本年度は入学生を募集せず 6・3制実施により3年生以下の生徒を併設中学校に編入
 〃  創立50周年記念体育大会
 〃  臨時生徒定員1250名25学級
 〃  6・3制実施にともない併設中学校を置き、3年生以下の生徒を収容
 〃 .6 高校への昇格陳情を知事にする
 〃  旧中最後の修学旅行(東京方面)
昭和23.3 併設中学校第1回卒業式
 〃 .4 高等学校に昇格、兵庫県立柏原高等学校と改称 ただし現在校生が卒業するまで柏原中学校は存続
 〃  高等学校昇格、兵庫県立氷上高等学校と改称
 〃 .7 柏原高校、氷上高校両併設中学校の生徒は旧女学校校舎に、高等学校の生徒は旧中学校校舎に収容
 〃 .9 柏原高等学校と合併


2.高等学校
年代 内容
昭和23.9 兵庫県立柏原高等学校並びに同氷上高等学校が合併し、新たに兵庫県立柏原高等学校となる(第1学年のみ男女共学)
 〃  定時制高等学校併置 中心校を本校に、分校を成松(現氷上町)及び佐治(現青垣町)に設置
 〃 .10 定時制入学式挙行 第1回入学生中心校23名、成松25名、佐治42名の計90名
 〃 .11 生徒会憲章制定
昭和24.3 柏原高等学校第1回卒業式及び柏原中学校第49回卒業式及び女学校第47回卒業式を同時に挙行
 〃  併設中学校第2回卒業式挙行(25日)
 〃  以上をもって旧制柏原中学校及び旧制柏原高等女学校在籍者全て卒業につき、柏原中学校、柏原高等女学校は3月31日をもって終わる
 〃 .4 学区制実施、男女共学完全実施
昭和25.2 校章決定
昭和27.1 校歌作詞作曲制定、校旗制定 (2月)
昭和28.10 2年生での修学旅行を開始
昭和29.3 男子寄宿舎撤去
昭和31.10 創立60周年記念式挙行
昭和32.11 男女別関東方面修学旅行を、本年より2年生全員九州修学旅行として実施
昭和35.2 体育館兼講堂新築(402坪57)、新築された体育館で初めて全校生徒参加による卒業式挙行
 〃 .7 臨海教育開始(美方郡諸寄海岸)
昭和36.3 第33回選抜高校野球大会出場
昭和37.4 定時制青垣分校全日制に移行
昭和38.3 定時制山東分校廃校
昭和39.3 青垣分校定時制課程を閉じる
昭和40.4 この年度、全日制生徒数2118名、学級数40(創立以来最大規模)
 〃  同和教育主任設定
 〃  ワシントン州ケント・メリディアン高校と姉妹校提携
 〃  ケント・メリディアン高校より担当教官タージスキー氏来校、国際親善委員会組織
 〃 .5 定時制に給食始まる
昭和41.4 生徒定員全日制1950名、定時制370名に
 〃  交換留学生委員会組織、米国ワシントン州ケント・メリディアン高校と交換留学生制度始まる
 〃 .8 3年生吉田勇司 第1回留学生としてケント・メリデイアン高校へ
 〃 .10 創立70周年記念式挙行
昭和42.4 最初の留学生キャサリン・ヘンダーソン来校
昭和43.3 高校入試に[兵庫方式]導入
昭和44.4 春のマラソンを全校登山大会に変更
昭和49.4 全校登山をスコアーオリエンテーリングに変更
昭和51.4 青垣分校、兵庫県立氷上西高等学校として独立
 〃  この年のみ修学旅行は九州でなく東北方面
昭和52.10 創立80周年記念式挙行
昭和53 スコアーオリエンテーリングを全校遠足に変更
昭和55.2 今年度から修学旅行は信州でのスキー実習となる
昭和60.10 校訓制定 [進取創造・質実剛健・敬愛和協]
 〃 .12 国際親善委員会、兵庫県教育委員会より[ゆずりは賞]受賞
昭和61.3 昭和60年度卒業生を最後に家政科を閉じる
 〃 .6 創立90周年記念式挙行、記念庭園、校訓碑完成
 〃 .7 最後の臨海教育(鳥取県羽尾海岸)
昭和62.3 商業科を閉じる
 〃 .9 大山登山野外活動開始
昭和63.1 パーソナルコンピュータ一導入(25台)
昭和64.1 西オーストラリア州オーシャンリーフ高校と姉妹校提携の調印
平成元.8 オーシャンリーフ高校との短期交換留学生制度発足
平成4.4 [いきいきハイスクール]事業創設
平成6.9 最後の大山登山野外活動
平成7.4 新入生に新制服(ブレザー)導入
 〃 .10 国際親善委員会創設30周年記念式典挙行
平成9.4 創立百周年記念式典挙行、柏陵会館竣工

百年の青春へ