卒業(戦前編)

「涙があふれて、「蛍の光」 など唄えなかった − 。」
高等女学校の卒業生の回想である。
また再会できるという保証すらない、戦時下の卒業式で、
当時の若者達は何を感じ、何を考えていたのだろうか?


卒業証書と修了証書
柏原高等女学校の卒業証書と補習科修了証書。
当時の学科課程は、4年制の本科の上に、1年の補習科があった。
補習科は実習コースの一部と、主に小学校教員をめざす二部に
分かれていた。当時の教育制度では、二部学科を修了した者、
1年以上小学校に勤務し成績優良であれば、無試験で尋常小学校
教員の資格を得ることができた。


卒業生に餞す(津倉亮一校長)
昭和16年(1941)3月15日。卒業証書授与式での津倉校長の式辞。
たんに家を治めるのみにとどまらす、「わが大和民族をして世界中
最も優秀なる民族」とすることが教養ある現代女性の使命だと説いている。
この年の12日、太平洋戦争が始まる。


卒業式式次第と唱歌歌詞
昭和15年(1940)3月15日。第15回補習科修了・第32回
本科卒業証書授与式のプログラム。


柏原高女・卒業生答辞
昭和17年(1942)3月、卒業生代表の答辞である。
「わが建国の大理想たる八紘一宇」など、太平洋戦争下の
時代情勢を色濃く反映した内容である。しかし、上級生、
下級生を通しての高等女学校の家族的な雰囲気は、揺るぎなかった。
「私達を姉のごとくお慕い下さいましたにもかかわりませす何一つ
お早くし申しませすに過ごしましたことは心残りの一つでございます」
と在校生に向けた言葉が印象的である。


百年の青春へ