軍靴の響き・銃後の青春(女学校編)


    「男子は戦場へ、女子は銃後の守りを−」
 これが当時の合言葉だった。
 戦争末期ともなると授業らしい授業もなくなり、女生徒達も過酷な工場労働に、また、製炭作業へと駆り出された。
 少女のか細い腕を借りなければならないほど、時代は急迫していた。
 昭和20年(1945)8月、終戦。



銃剣をとる女学生
銃剣をとる女学生
昭和9年(1943)3月10日。 陸軍記念日に柏原中学校
の教官の下で軍事教練が行われた。


愛国処女団団旗
愛国処女団団旗
昭和14年(1937)7月、柏原高女愛国処女
団結成。 その前年の3月、国家総動員法が
成立した。 柏原高女も戦時体制に組み込
まれてゆく。





慰問帖
慰問帖
女生徒たちは、出征兵士を激励す
るために慰問帖や慰問袋を贈った。


慰問袋の中身 慰問袋の中身




尼崎甲陽製作所にて
尼崎甲陽製作所にて
昭和19年(1944)12月20日。
学徒勤労動員報告隊を結成した4年生全員112人が、軍需品の
製造に従事していた。銃弾を作っていたという。

女生徒の製炭作業
女生徒の製炭作業
昭和19年(1944)7月。
学校に残った下級生も、火力資源を
補うために薪炭づくりの作業に駆り
出されていた。原木を山から校庭ま
で運搬する重労働は、最も厳しいも
のだった。
女生徒の製炭作業


百年の青春へ