わが青春の柏原中学校


 「心はあくまで文化的であれ、身体はあくまでも野蛮的であれ」
 第6代柏原中学校長・倉塚源太郎の教えである。
 武道やスポーツが奨励されるとともに、
 英才教育にも力が注がれた。
 柏中生の自主自立の意気は高く、
 ストライキや授業のボイコットもしばしば行われ、
 下級生への鉄拳制裁も当たり前だったと伝えられる。


大正初期の生徒
大正初期の生徒

柏原中学校・校舎全景(昭和2年ごろ)
柏原中学校・校舎全景(昭和2年ごろ)

第四師団長東久邇宮殿下台臨 御真影奉安殿(昭和15年)
第四師団長東久邇宮殿下台臨
昭和10年(1935)10月、歓迎準備のため、毎日、分列行進など厳しい訓練が行われた。
御真影奉安殿(昭和15年)
御真影とは天皇の肖像写真のこと。校門に入ったら、生徒は必ず奉安殿に向かい敬礼しなければならなった。




大正時代の陸上部・野球部・庭球部
大正時代の陸上部・野球部・庭球部


弁論大会
弁論部からは、芦田均(元内閣総理大臣・3回卒)を初め、大勢の俊英が輩出した。
弁論大会

製炭実習記念写真(昭和16年2月) 製炭実習記念写真
(昭和16年2月)

戦時下の物資増産のため、校内で薪炭の生産も行われていた。文部省から視察が来るほど優秀な生産量を誇った。
製炭作業記録


百年の青春へ