『破戒』のモデル 大江礒吉




 本校の第二代校長である大江礒吉は、
 島崎藤村著『破戒』の主人公瀬川丑松のモデルとして知られる。
 いわれなき差別に立ち向かいながら、
 理想の学校づくりにかける情熱は、最後までまっすぐだった。
 「あくまで忍べ、力はすべてを解決する」(大江礒吉)



『破戒』(復刻版)


『破戒』(復刻版)
明治39年(1906)3月発行。わずか半月で完売,
再刷が間に合わないほどのベストセラーになったという。


『破戒』口絵




『破戒』口絵 



第二代校長  第二代校長・大江礒吉
都田忠次郎宛の書簡 都田忠次郎宛の書簡
柏原中学校校長に赴任する前,大江は鳥取師範学校から「休職命令」を受けている。
昼夜を分かたずの軍事教練と,競争を煽る人格軽視の教育方針を批判したためだ。
朋友都田忠次郎に宛てた書簡で,大江はこう記している。
「住野君十余年の功績、都田君十年の苦心、学校職員諸氏積年の経営惨憺一朝の
水泡二帰し、鳥取師範の日々奈落の底に落ち行く状況ハ実二痛心の外無之候。
今日二於て昔日を追懐すれバ茫として夢の如き感有之候。
安達の我利主義、小林の奸佞(4字欠)の小人輩跋扈時代中ハ恐らくハ鳥取のDark
Ageとも命名致すべく候。
回天の事業卿等の力に竢つこと多し、最早憤激し来りて申上くべき辞も無之候・・・」。
(明治33年12月18日)

大江校長の下宿先
大江校長の下宿先
儒学者・小島省斎の塾跡でもあり,音楽教師として赴任した犬童球渓が
「旅愁」の想を得た下宿跡でもある。(現在柏原観光案内所)



小倉省斎 小島省斎
文化元年(1804)〜明治17年(1884)。
儒学者。
氷上郡佐治村(青垣町佐治)生まれ。
柏原藩の藩政改革を推進し、藩校「崇廣館」を創立、”教育の氷上郡”の基礎をつくった。
犬童球渓 犬童球渓
明治12年(1879)〜昭和18年(1943)。
本名信蔵。
柏原中学校の初代音楽教諭として赴任したが,生徒のボイコットにあい、わずか8カ月で柏原を去った。
後に明治の代表的唱歌『旅愁』を完成する。大正4年に制定された中学校校歌の作曲者でもある。
柏原観光案内所(現在)
柏原町観光案内所
大江校長の下宿先は、小島省斎の熟跡であり、現在柏原町の観光案内所となっている。
犬童球渓の生涯を記したパネルや楽譜などが展示してある。




百年の青春へ