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北高校歌ができるまで

 本校の校歌は、全国の校歌でも珍しく『一般公募』で寄せられた作品です。

 伊丹市などの広報誌に募集要項を掲載したところ、その斬新な手法が反響を呼び、多くの作品が本校に寄せられたようです。選ばれた作品は、本校が開校して3年目、昭和50年(1975年)10月22日の開校記念式にて、校旗とともに披露されました。

 校歌ができるまでの過程は、当時の資料が現存しておりませんので、詳しいことは分かりません。しかし、本校の創立10周年記念誌(昭和57年10月発行)に、校歌制定に関わった音楽の先生、作詞者、作曲者の方々から寄せられた文章が残っております。ここでは、その一部をご紹介します。

 卒業生の皆さまで、校歌についての資料をお持ちの方がいらっしゃりましたら、ぜひご一報ください。

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当時音楽教諭として本校に勤めておられたM先生

 創立三年目を迎えた春の頃、私たちの身辺は急に忙しくなりました。校歌制定委員会が作られ、何度となく討議が重ねられたのです。全国で無数にある校歌は、もうすでにひとつのパターンが出来ています。教育環境として、学校周辺の山紫水明が描かれ、最後は希望や理想といくことばで締めくくる。私たちの会議は、その個性のなさを否定するところから出発しました。新しいこれからの学校に、古い形式化した歌詞はふさわしくありません。困難さは百も承知で、あえて新しい時代の歌詞を求めました。「従来の校歌の概念にとらわれない斬新なもの」という募集規定をたずさえて、伊丹はもちろん、川西や宝塚の市役所広報課をたずねたことを思い出します。市の「広報」によって紹介された募集要項は、各地域で反響をよび、やがて学校には次々と応募原稿が配達されてきました。正確な数は、今思い出せません。しかし、中にはわざわざ曲をつけた歌詞もあり、一般の方々の伊丹北高によせる関心の深さをしのばせるのに充分なものがありました。こうした数多くの作品の中から、委員会は北山忠夫氏の作品を満場一致で選び出しました。一語一語を大切にするユニークな作風と、ひときわ鮮やかな感覚が印象的でした。(後略)

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作詞者 北山忠夫さん

 (前略)とにかく斬新な歌詞をということで、どこまで新しくなれたか、どうかは分かりませんが、私は私なりに、ものの原点にもどるのが新しさにも通じるようにもおもい、とても簡潔な歌詞にしました。

 選考のすえ、さいごに残った二編の歌詞から、全校生の多くからおされ、当時の音楽の方を担当しておられたM先生の助言と加筆をいただいたうえ、作曲の谷陽子さんのすばらしい曲にもめぐまれ、その日、私のささやかな、ことだまは、全校生のさわやかな歌声となって、北高校の空へととびたってくれたのでした。(後略)

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作曲者 谷陽子さん

 (前略)思えば北高校と私との出会いは、母との何気ない会話がきっかけでした。母が市の発行している「広報いたみ」という新聞に、校歌募集の記事が載っていたので、勉強にもなるから出してみたらと言うのです。

 当時私は大学在学中で、時間に余裕もあり新聞に出ていた歌詞がとてもすばらしくて、作ってみようという気になりました。あまり時間をかけずに簡単に作った曲と、少し苦心して作った曲と二曲を応募したのですが、送ってしまってからは、結果の事などまったく気に止めていませんでしたので、忘れてしまっておりました。

 ところが何日か経って北高校よりお電話をいただき、私の作品が、しかもあまり苦心せずに作った曲が、校歌に選ばれたとお聞きして、飛び上がる程驚きました。北山さんのお作りになった詩が、今までの校歌になく、とても斬新なものであったので、曲も校歌のもつイメージにとらわれずに、軽快な気持ちで、楽しく作ることができました。開校記念の日に、皆様が校歌を斉唱してくださるのを聞き、その伴奏をさせていただきながら、胸が高なったのを、今でもはっきり覚えております。(後略)

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作詞者直筆歌詞、作曲者直筆楽譜

校歌作詞者の直筆歌詞です
校歌作曲者の直筆楽譜です

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