「人が傷つくということ」
兵庫県こころのケアセンター研究部長 加藤 寛


命の大切さ
先日,子どもの入学式に出席したら,校長先生の挨拶の中でこんな一節を聞いた。その校長先生は学校生活での注意点を挙げられた後,「でも,もっと大切なのは,ひとりひとりが命を大切に思う気持ちです。家族の,お友達のそして自分自身の命を大切にすることが何よりも大切です」という言葉で祝辞を締められたのだった。「こういうところに,あの委員会の活動は,貢献するのだな」と思い,少々妙な気分だった。というのも「『命の大切さ』を実感させる教育プログラム構想委員会」の委員になって欲しいという依頼が来たときには,とても不思議な気分だったからである。まず「命の大切さ」を教育現場で取り上げることが必要なのかと思った。こういうことは家庭で教えるべきなのではないか,自分の子どもの頃にそういうことを習っただろうかと考えて,まず迷った。そして「実感させる」という言葉にも引っかかった。「子どもたちが実感する」というように主体が子ども側にあるのではなく,「実感させる」とはかなり押しつけがましいなと,正直なところ思った。何度も固辞しようとしたが,断り方が下手だったのか,結局引き受けてしまった。
その後,担当者や他の委員と話すうちに,教育関係の方たちはとても強い危機感を持っているのだということが伝わってきた。子どもたちが被害に遭い,そして被害を負わすような事態に社会は注目し,その対策を学校に求めているのである。そして,私のような教育の門外漢を,委員の一人にした理由もわかった。というのも,私はこの10年間日常的に,傷ついた人たちに接し治療をしてきたので,被害者の苦悩を知る者として,それを子どもたちに伝える方法を考えて欲しいという要請だった。

トラウマの本質
様々な犯罪,事故,災害,暴力などによって,人の心は傷つく。それを「トラウマ」と呼んでいるが,この言葉はいつの間にかとても有名になってしまった。最近では,子どもの漫画にも出てくるし,深夜のバラエティ番組でタレントさんが「それが私のトラウマや」とおもしろおかしく使っている。実際,トラウマをもたらす事象は社会には溢れていて,ある調査では男性の約50%,女性では約40%が何らかのトラウマ体験をしていることが報告されている。しかし,いくらこの言葉が有名になっても,トラウマ体験の本質は被害に遭った人にしかわからない。被害者が現場で感じた恐怖,無力感,残酷さは百万言を弄しても伝えられるものではない。講演でトラウマについて話すときには,私はある写真を見せることにしている。それは,スマトラ沖津波の直後に撮影されたもので,浜辺にたくさんの瓦礫が打ち寄せられているように見える写真である。それをよく見ると,瓦礫と見えるものは,ほとんどが遺体で,腐敗して原型をとどめない夥しい数の遺体がそこに横たわっている。戦争や災害の本質はこうした死である。メディアで,こういう遺体の映像が登場することはないが,現場にいた被害者たちは,その情景を目の当たりにしているのである。ましてや,彼らの味わった恐怖感など,伝えられるはずもない。
私は毎日の診療で被害者と向き合っているが,いつも念頭に置いているのは,被害者が経験したことのほんの一部も,残念ながら私にはわからないということである。このことを忘れて共感を示したとしても,被害者には虚しく感じられるだけだろう。支援する者は,常にこの現実を意識しておく必要がある。

子どもたちに伝えられること
命は大切で尊いものである。こんな当たり前のことを,どのように子どもに伝えればいいのか,端的に答えられる人はいないだろう。逆に「なぜ人を殺してはいけないのか」と問われれば,ある人は宗教の教えを持ち出すかも知れないし,他の動物と比較して人間だけが同じ種の仲間を殺すのだという動物学の知識を持ち出す人もいるかも知れない。しかし,抽象的な考え方をいくら説いても,子どもには伝わらないだろう。
私は「命の大切さ」を言葉を尽くして説明しても,結局は何もわからないのではないかと思う。むしろ死によって何がもたらされるのか,遺族はどのくらい悲しみ,どのように人生が変わるのか,あるいは死に直面するような体験をした場合に,どのような苦しみを被害者は味わい続けるのかを,伝えていく以外には,方法がないのではないかと思う。
ベトナム戦争がテレビで茶の間に伝えられたことで,アメリカ社会は戦争の残酷さを知り,それが反戦運動に繋がった。そのような社会の反応を恐れて,最近の戦争では情報が厳格に管理されているのは有名な話である。残酷で凄惨なものには,社会全体が意識的に目をそらそうとするのである。しかし,犯罪や大事故の被害者が,勇気を持って声を上げてくれているお陰で,我々は彼らの苦しみの一端を垣間見ることができる。ある遺族がこういうことを言っていた。「私は事件後,自分のプライバシーを切り売りして遺族の現実を伝えてきました。そうしないと忘れ去られるだけだと思ったからです」。彼らの現実に,われわれは目をそらすことなく向き合わなければならない。こうした悲しく残酷な情報を子どもたちに伝えていいのか,大人は迷うかも知れない。しかし,いつ降りかかるかわからない災難に直面したときにそれを乗り越え,そして他人に被害を与えないような配慮ができるためには,人が傷つくということの現実を知らせるしかないと思う。