尊い命を守るために
兵庫教育大学大学院教授 心の教育総合センター所長  冨永 良喜


わが国は今岐路に立っている。
少年による強盗などの凶悪犯罪は,ここ10年増加している。一方で,殺人事件の件数は戦後減少傾向にありここ数年は横ばいである。また,わが国の自殺者は年間3万人を超えている。自殺の人口比率では,男子は世界第3位,女子は第2位である。児童虐待の数は,3万件を超え,15年前の30倍である。
このような現状に,楔をうつために,「尊い命を守るために」という教育プログラム案を提案した。

命を守るための知恵と態度を育成する
命はかけがえのないものであり奪われると決してよみがえることはない。しかし,子どもたちの身近にいじめ・暴力・犯罪・虐待・DV等の命をおびやかす行為が存在する。これらに対して,未然に防ぐ方法を考えたり,対策を講じる必要がある。また,地震や水害等の自然災害に対しても,その被害を最小限にくいとめる知恵を学ばせる必要がある。
命をおびやかす行為に対しては,単にそれを避けるだけではなく,毅然と立ち向かい克服していこうとする態度を養い,そのことをとおして,子どもたちがかけがえのない命を実感し,自他の命を守っていこうとする態度を育てる必要がある。
(「『命の大切さ』を実感させる教育への提言」(兵庫県教育委員会)6p.より)

この提案では,大きく二つの柱を立てた。一つは,「子どもを被害から守るために」,もう一つは「他者を傷つけない,自分を傷つけない力を育むために」である。前者の代表は,ヒヤリハットマップ作りなどの安全教育や防犯教育,そして防災教育である。後者は,いじめ防止教育,ストレスマネジメント教育,暴力防止教育,犯罪抑止教育,自殺防止教育などである。

人を傷つけない心を育む
(1) 愛されているという実感
加害行為とは,他者の人権を蹂躙する行為であり,それは,安心な生活を侵害するものである。いじめ防止教育や暴力防止教育を展開する場合,暴力やいじめなどの加害行為をする人の心理的背景を考える必要がある。家庭裁判所が少年による重大事件を分析した結果,非行少年には「愛されているという実感」が欠如していることがわかった。詰まるところ,日常の「愛されている」という実感こそ,いじめや暴力を抑止する力になる。そして,そのかかわりができるのは,家族といった身近な人である。しかし,ここ10年の虐待の件数の増加をみると,家族の抑止力を期待する前に,社会的な施策の展開が必要なことがわかる。
そして,加害少年の過去をみると多くは,身近な人から,暴力(言葉による暴力も含む)や支配を受け,それが,「しつけ」や「教育」の名の下で行われている。不幸なことに,大人は,虐待をしているという認識がない。「大人は愛しているが,子どもは愛されているという実感がもてない」ということが,加害少年の背景であろう。では,どのようなことから始めるべきなのか?

(2) 知ることから始めたい
まず,知ることから始めたい。いじめ被害にあった子どもの声を聴く。学校単位で,「いじめ被害・加害調査」を実施することも一つであろう。被害にあった者の苦しみが伝わるようなアンケートを実施する。そして,「この学校で,いじめ被害にあって苦しんでいる人がいます」と資料に基づいて伝える。また,伝えるだけでなく,いじめ加害や暴力ではない解決の方法があることを提案する。子どもにわかりやすい紙芝居や寸劇などを活用するのも一つの方法である。
また,小学校高学年から,「暴力とは何か」,「虐待とは何か」を年齢に応じた教材を用いて伝えたい。暴力には衝動的暴力と道具的暴力があること,前者はストレスマネジメント教育が有効であり,後者は,人の支配欲求を理解する心理教育が必要だろう。
高校生には,犯罪被害にあった人の声を聴く。犯罪でかけがえのない家族を奪われた人の声を聴くことも必要である。
このような暴力防止教育,ストレスマネジメント教育などを学んだ子どもたちが,大人になる。もちろん,子どもだけの取組ではなく,保護者や地域を巻き込んだ取組に展開する必要がある。

子どもを被害から守るために
(1) 防犯教育と防災教育
ヒヤリハットマップの作成や不審者から身を守る方法などの防犯教育と,災害の被害を最小限に抑える防災教育である。兵庫県では,阪神・淡路大震災の教訓から,生きた防災教育が展開されている。被災した地域を歩き,住民から聴き取り調査をすることで,災害を最小限に抑えた知恵を学ぶ教育実践が展開されている。

(2) 災害・事件と心のケア
また,不幸にして被災や被害にあったときに,回復する方法を事前に身に付ける心の予防教育も展開されつつある。トラウマや喪失から人はどのように立ち直っていくのか。悲惨な出来事から何を学び,人類は進歩してきたのか。どのようなかかわりが,二次的被害を与えるのか。年齢に応じた教材が工夫開発されつつある。

地域のみんなと展開しよう
「トライやる・ウイーク」は,地域の人たちを巻き込んだことが功を奏した。教師がすべて教材を開発するのではなく,地域の知恵を活用したい。スクールカウンセラーと協働で,ストレスマネジメント教育や暴力防止教育を展開してほしい。本年度は,様々な授業案や教育プログラムをインターネットなどで公開したい。また,心の教育総合センターに,良い教育実践を届けてほしい。