教育の核心として「命の大切さ」の実感を育む
武庫川女子大学大学院教授 上地 安昭


確固たる教育理念に基づいた命の教育
人間にとって命ほど大切なものは他にないことを多くの人は理解している。しかし,その命の大切さを実感し命を大事に守るように常に心がけているか,と問われると疑問である。空気や水と同じように生命は当然つづくものであり,生きていることがあたりまえのことのように思い過ごしているのが普通であろう。過去に生命の危機に遭遇した経験がない限りにおいてである。とくに成長期の子どもたちにとって,生命が途絶える死は遠い未来のことであって,「命の大切さ」の実感が乏しいのは発達的観点から理解できないこともない。しかし,子どもたちの命にかかわる悲惨な事件や事故,災害が多発化する今日,「命の大切さ」の教育へのあらたな取組が切実に求められているとの認識が望まれる。
「命の大切さ」の教育は,学校教育の核心であると理解する。命があってこそ,つまり命を前提に教育をはじめ人間の生活のすべてが成り立っていることは言うまでもない。子どもたちが生きるための知恵を学ぶ学校における命の教育は,教師が担う重大な責務であると認識する。教育専門家としてその役割を果たすには,教師自らが命の問題への関心と「命の大切さ」の実感を深め,確かな教育理念に基づいた教育実践に徹することが期待される。

あらためて「命の大切さ」の教育の課題を問う
1 なぜ今,あらためて「命の大切さ」を実感する教育か
今も昔も命の問題は,全人類の最大の関心事であることに異論はない。人類の生存にかかわる問題は人間の究極の目標であり永遠のテーマである。ただし,高度な科学文明の進歩とは逆に人類滅亡への危機感が年々つのる今日,あらためて「命の大切さ」を実感し命と正面向き合う教育の必要性を痛感せざるを得ないのが現実である。

2 「命の大切さ」の教育は究極の教育目標であるとの認識
「命の大切さ」の教育は,人間にとって最も尊い心を育むことであり,あらゆる教育の究極の目標であるとの認識に徹することが望まれる。

3 「命の大切さ」は体験的実感を通して育まれる
「命の大切さ」は単に知識として教えて育まれるものではない。人と人,人と他の生物,人と自然との触れ合いの中で,視覚,聴覚,触覚等,人間の五感による体験的実感を通して育まれる。

4 「命の大切さ」の教育は,子どもの発達の初期の段階に重点的に行うことが肝心である
「命の大切さ」を実感する教育は,とくに乳幼児期の子育ての段階で体感的教育として重点的に行うことが望まれる。さらにその後の発達段階を通して育む必要がある。

5 命は人生そのものでありあらゆる生活場面で育まれる
「命の大切さ」は,家庭や学校をはじめ子どもの生活のありとあらゆる場面で育まれる。

6 まずは指導する立場にある大人自身が自己の「命の大切さ」を自ら実感することが,「命の大切さ」を実感する教育へ取り組む前提条件である
自らの「命の大切さ」についての実感の持てない人は,他人の「命の大切さ」を真に尊重し,「命の大切さ」の実感を他者へ伝えることが困難である。

7 周囲からの愛情と信頼に満ちたかかわりが,「命の大切さ」を実感する心を育む
愛情と信頼に満ちた乳幼児期の親子の家族関係を基盤に,周囲の力で大事に育てられた子どもは,生きる喜び,つまり「命の大切さ」を実感する人間へと成長することが期待される。

8 「命の教育」を徹底するには,揺るぎない確固たる信念と勇気が必要である
尊い命を護るためには,生命の危機へ繋がるあらゆる悪へ挑戦する真の人間性に目覚めた確固たる信念と勇気が必要である。

9 地球上の人類の安全と平和は,一人ひとりの命の尊厳の精神がなければ実現しない
個人の命を尊重する精神は,家庭,学校,地域社会,国家,地球上の安全と平和を実現するための前提条件である。人命の軽視は結果的に全人類(地球)の滅亡に繋がるとの認識が望まれる。

10 現代の子どもたちは,「命の大切さ」を実感する生活体験が乏しい
最近の子どもたちは,生きていることの喜びとともに「命の大切さ」を実感する生活環境に恵まれることが少なく,さらに人間の死への悲愴感と喪失感を実感する生活体験の乏しい子どもたちも決して少なくない。

11 現代の子どもたちは,現実と空想の世界の区別がつかない生活環境に浸っており,人間の生と死を現実的に捉えることが困難な状況におかれている
IT時代のメディア文化に親しんで育った現代の子どもたちは,「人の生と死」を身近な現実的出来事として受け止めることが困難な状況におかれている。つまり現代の子どもたちは,バーチャル(仮想)とアクチャル(現実)の世界の区別がつかず混乱した状態にあり,人間の死に対する現実感覚の喪失が大いに懸念される。

まとめにかえて
「命の大切さ」の教育は,人間教育の究極の目標であり実に遠大なテーマである。同時に人類の存亡にかかわるきわめて切迫感のある現実的問題でもある。とくに人類の危機の時代と言われる今日,われわれはこの命の教育の問題から目を逸らすわけにはいかない。とくにこれからの未来を生きる子どもたちの教育に携わっている教師は,この命の危機の現実を真摯に受け止め,尊い子どもたちの命を守り育む重大な責務を負っているとの使命感を,あらためて認識する必要があるのではなかろうか。