教育にかかわる側に問われるもの
関西学院大学社会学部社会福祉学科助教授 藤井 美和


関係性の中で生かされる命
人は誰も一人では生きていけない。人は自分の周りの様々な関係の中で生き,その中で自分の存在を確かめ,自分の生を意味づけていく。そしてこの作業は,決してある年齢で達成され終結するものではなく,生涯を通して続く,人に与えられた最も大きな課題であると,私は考える。命や生きる意味についての問いは,様々な関係性において,その答えに近づくことができる。ここでいう関係性とは,家族や友人,社会や環境との間だけでなく,自然とのつながり,宇宙の中の自分,また自己を超えるものとの関係を含み,その関係の中の自分の存在に気付くことが,命の大切さを実感するスタートになると考える。決して人間が創り出すことのできない命,その命が今ここにあることに気付くことが「生きる」ことの課題に向き合う第一歩なのである。そしてその課題への取組には,誕生の喜び,家族・友人・社会関係の中での自己の発見といった「在る(生)もの」としての命を受け止めることと,大切な人を失うことや別れの悲しみといった「喪失(死)するもの」としての命を受け止めるという,2方向からのアプローチが必要である。

教育の受けるチャレンジ
近年の低年齢から始まる受験や競争の中で,我々の社会の持つ価値観が一つの方向−成績がよいとか能力が高い−に傾いていることに危うさを感じているのは私だけではないだろう。このような価値観は,病や障害を負ったとき,また高齢になり人の援助が必要になったとき,「そんな人間には価値がない」という考えを導きかねない。人が尊いのは,成績がよいとか人より秀でているからではなく,そこに存在していること自体が尊いのだということを,今の教育の中でどう伝えていくか,これは教育する側にとってのチャレンジである。誤解のないように言っておくが,勉強するなといっているのではない。教養は人を生かす力である。私が危惧するのは,教育の場が,世間の価値観に乗っ取られてしまうことである。しかしよく考えてみると,このような価値観をもつ社会を作ってきたのは我々一人一人であり,この価値観は,家庭,学校,育った環境によって築かれてきたものである。この現象に目を向けたとき,命の大切さを教育することがいかにチャレンジングかという本質がみえてくる。

教育プログラムの役割
人間は,どの人も必ず死を迎える。もし,何かができることや目に見える豊かさに価値をおいて生きるなら,すべてを失う人の最期は例外なく惨めだということになる。しかし,人間の尊さは,もっと違うところにある。実は,教育はそれに気付くためのきっかけを与えるものではないかと思う。
認知症の家族を介護するのがたいへんであることは想像に難くない。しかしたいへんなだけだろうか?余命数年と宣告された父親と過ごす家族は,悲嘆に暮れた日々を過ごしているのだろうか?私たちは,このような人たちを,自分自身とは「別の世界の人」と捉え,かわいそうな人たちと考えてはいないだろうか。人の生き方を,自分自身の問題として捉えることなくして,子どもを教育することは難しい。「命は大切です」「どんな人も尊いです」という言葉の背後に教師の実感がなければ,この教育は無意味になる。
この教育プログラム(注)に,普段会う機会の少ない人たちとの出会いが組み込まれているのは,それによって,生きることのしんどさ,楽しさ,すばらしさを実感するための仕掛けである。残り少ない人生を生きる人の話,大切な家族を亡くした人の苦しみ,障害を負いながら自立生活をする人たち,そういった人たちを,第三者として遠くから眺めるのでなく,実際にその人たちと会って話をする。そこで得るものは,どんな言葉より力強い。なぜなら,出会った時,その人たちは「別の世界の人」ではなくなっているからである。そして教育は,子どもたちが得た実感を,これからの生き方の中にどう生かしていくかを手助けするものでなければならない。

問われるのは私たち自身
この教育プログラムを意味あるものにするために最も大切なことは,教育にかかわる者が,自分自身の死生観・価値観を構築していくことにある。私たち自身もかけがえのない存在であり,その私たちは,またそれぞれかけがえのない関係の中で生きている。だからこそ私たちは関係性を大切にしなければならない。
人との関係においては,共に喜び悲しむ以上に,謝り,赦しあうことが大切である。自分の非を認めて謝ることは難しい,謝る人を赦すこともまた難しい。しかしこういったことを通して初めて本当の人間関係が形成される。自然との関係においても,自然への畏敬の念を持ち,自然の中にある自分の小ささに気付き,自然との共存や自然破壊の見直しが必要である。また自分を超えたものとの関係から自分自身のあり方,生き方を見つめなおすことも重要である。こういった関係性から自分自身を捉えることは,年齢や立場を問わず,すべての人に必要である。
この教育プログラムは,教える側がすべてを理解した上で知識を提供するものではなく,教師も生徒も親も,皆が共に悩み考えていくものである。だからこそ,そのプロセスで,皆それぞれが自分自身を問い直すこと−価値観・死生観の見直し−が求められるのである。
(注)「命の大切さ」を実感させる教育プログラムのURL:http://www.hyogo-c.ed.jp/~inochi/