バーチャル映像より現実体験を
ノンフィクション作家 柳田 邦男


最近,赤ちゃんの出産についての本の出版記念会があり,ちょっとした縁があって参加した。
会場は東京郊外のJR国分寺駅につながったビル内にあるホールで,集まったのは,幼い子どもや生まれて間もない赤ちゃんを連れた親たちが大半を占めていた。妊婦もいた。というのも,出版された本が,国分寺市で開業助産婦を営むや矢じま島ゆか床こ子さんの活動と自宅で出産することの意味を語った『フィーリングFeeling ・バースBirth 心と体で感じるお産』(矢島床子・三井ひろみ著,バジリコ刊)だからだ。
親たちも子どもたちも,質素なバイキングの料理を紙皿に乗せて,元気でにこやかにおしゃべりに熱中。みんなそれぞれに自宅か矢島さん宅でお産をしたという熱い感動を共通に体験したうえに,妊娠中にはお産についての学びのためのクラスで一緒だったので,母親たちの間にはクラスメートのような親密感が漂っていた。

そしてもう一つ,会場の雰囲気を熱くしたのは,会場の三方の壁に展示されたお産の瞬間や生まれた赤ちゃんを抱いた母親の喜びの表情など数々の写真だった。私が最も感動した写真は,懸命に出産中の妻の両手を若い夫が握り,三歳と五歳くらいの二人のお兄ちゃんたちも母親の手を握って,助産婦とともに励まし安心させているシーンだった。一つのいのち生命の誕生を囲む家族の心のつながりが,目に焼きつくほど鮮明な形になって現われた瞬間と言おうか。そういう出産だから,子どもたちののびやかで明かるいこと!

矢島さんは,産院や助産院での勤務を経験してから独立して開業。それからの二十年間に三千人以上の赤ちゃんの誕生を支えてきたという。何とすばらしい仕事をしてきたことか。
今の日本社会は,子どもたちに「命の大切さ」を理解させるのが難かしいと,先生たちは悩んでいるという。
一体,なぜ「命の大切さ」を教えるのが難かしくなっているのか。私は1936年生まれで,戦前・戦中・戦後の混乱期に子ども時代を過ごした。親や先生に「命の大切さ」をあらたまって教えられた記憶はない。だが,「命の大切さ」については,子どもの頃から体にしみついた形でわかっていたと思う。その理由は,私なりに整理してみると,次のようなものだった。

(1) 兄弟姉妹も近所の友達も多く,群れをなして遊ぶ中で,たとえ喧嘩をしても,急所は蹴ってはいけないとかひ卑きょう怯なことはしてはいけないということを,子ども同士の中で教えられた。
(2) テレビもゲームもなく,暴力や殺戮の過激な映像が,社会の中でも家庭の中でも,日常的に提供されることはなかった。
(3) 出産も闘病も老衰も死も,日常の家庭の中にあり,幼少期から生老病死を自然な人間の営みとして,身近に見ていた。戦死や空襲死は恐ろしい別次元のものだった。
(4) 親子三代,同居または近くに住むことが多く,子どもの数も多かったので,「人の道」として生き方ややってはいけないことや生活の知恵が,いわば家族の文化として,日常生活の中で伝承されていた。
(5) 日本全体として貧しい家が多かったことから,子どもでも自分で自分の生活に責任を持ち,早く自立しなければならないという自律心と自立心を,十代半ば頃には持つのが一般的だった。

これに対し,今の時代はどうなっているかを比較してみる。
(1) 兄弟姉妹が少なく,近所の子どもも少ないので,屋外で群れて遊ぶことはほとんどない。このため,家の中にしろ外にしろ,遊びの中で,社会性を身につける機会が少ない。
(2) テレビやゲームで過激な情景に日常的に接するようになったうえに,子どもの心の中では,バーチャルな映像が現実的体験よりも優位になってしまうため,残虐行為に対する抵抗感が稀薄になって,より強い刺激を求める傾向が生じている。
(3) 生老病死が病院や施設内でのことになってしまったため,命を愛おしむ心が育ちにくくなっている。戦争を映像でしか知らないので,殺戮をゲーム感覚でしかとらえられない。
(4) 核家族化により,生きる知恵ややってはいけないことの心得などが伝承されにくく,大事な家族文化が断絶している。
(5) 経済的に豊かになったことが,子どもの自律心・自立心の形成を遅らせているうえに,モノに対する欲望を膨張させ,カネ欲しさに走らせる要因になっている。

このような状況から考えると,子どもたちに自分や他者の命というものを実感的に理解させ命を大事にする心を育てるには,家庭や地域や保育園・幼稚園や学校や自治体・国などあらゆる次元で多様な取り組みをしなければならないことがわかる。
そうした取り組みの核心は,子どもたちにバーチャル映像情報に接する時間を極力少なくして,生身の人間同士の接触や自然環境の中での遊びやじっくりと本を読むといった現実体験を多くすることだと,私は考えている。それは,子どもたちに感情のきめ細かな分化発達や考える力と言語力の発達をもたらすものでもある。
幼い時期に母親や父親が毎日絵本を読み聞かせることは,IT支配の時代には新たな重要性をもっている。絵本は・言・葉(文),・絵,親が感情をこめて読む・肉・声,絵をじーっと見たり頁を戻ったりするなど子どもが自分でコントロールするのびやかな・時・間,それら四つの要素がそろうことで,すばらしい現実体験になるのだ。
朝の登校前はテレビをつけないで,親と一緒に食事をすることや,テレビは選択した番組だけ見ること,子ども部屋にはテレビやパソコンを置かないことなどを実践するだけでも,子どもの心の成長にプラスになる。学校でも,各教科ごとに知識のつめこみでなく,子どもたちの心に感動をもたらすような農作業,山野での自然観察,動物飼育など,実体験的な授業の進め方の工夫が求められる。
本稿の冒頭に夫や幼い子も一緒になって出産する母親を支える情景を紹介したのは,生老病死の様々な段階の現場に,子どもを含めて家族全員でかかわることが,子どもたちに命や家族の絆というものを実感レベルで理解させる原点だからだ。そんなすばらしい自宅での出産が今でも可能なのだという事実は,いのちを愛しく思う心を稀薄にしてしまうIT革命やネット社会の中で取り戻すべきものを象徴的に示していると言えよう。